紅景子 紅景子の概要

紅景子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 19:14 UTC 版)

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くれない けいこ
紅 景子
本名 松山 貴美子
生年月日 (1949-10-27) 1949年10月27日(72歳)
出生地 日本京都府
出身地 日本大阪府
職業 女優
ジャンル テレビドラマ舞台
配偶者 松山政路
著名な家族 松山愛佳(次女)
主な作品
テレビドラマ
おらんだ左近事件帖
黒帯風雲録 柔
ロボット刑事
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大阪府出身[3](出生は京都府[1])。明浄学院高等学校中退[1][2][3]

人物

中学時代に見たNHK大河ドラマ花の生涯』に出演していた女優の淡島千景の演技に感動し、高校を2年で中退して淡島の内弟子となる[1][4]。淡島には弟子入りの手紙を出したが返事がなかったため、アルバイトの賃金をもって淡島邸を訪れ一度は追い返されるが、淡島の付き人を通じて弟子入りを認められた[5][注釈 1]。芸名は淡島によって命名された[2]

1968年大阪新歌舞伎座の舞台『朝の雪』でデビュー[1][2]。その後も舞台を中心に活動するが、1971年、『おらんだ左近事件帖』(フジテレビ)でテレビドラマに初レギュラー出演[1][2]

以後も『黒帯風雲録 柔』(日本テレビ)、『赤ひげ』(NHK)などの時代劇を中心に活動する[4]。『赤ひげ』出演当時のインタビュー記事では「スタジオドラマは初めてなので緊張しましたが、最近になり慣れました」と述べている[5]。そのほか、石ノ森章太郎原作で東映制作の特撮テレビドラマロボット刑事』(フジテレビ)にレギュラー出演した。1975年には、芸術座の舞台『たぬき』で山田五十鈴と共演している[4]

1976年の舞台『花は花よめ』の共演がきっかけで、1977年11月に俳優の松山政路と結婚[6]。結婚と同時に芸能界を引退[7]。次女は女優の松山愛佳。また、自身の闘病経験を活かした講演活動を全国各地で行っている[8]

出演

テレビドラマ

舞台

脚注

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注釈

  1. ^ 1971年の紹介記事では、淡島に「高校卒業まで」と諭され一旦帰宅したが、半年後に再度上京して弟子入りしたとされている[2]

出典

  1. ^ a b c d e f g 福島民報』 1972年10月19日付朝刊、7面。
  2. ^ a b c d e f 河北新報』 1971年10月2日付朝刊、10面。
  3. ^ a b c 日本タレント名鑑 '75』VIPタイムズ社、1975年、193頁。 
  4. ^ a b c 『福島民報』 1975年10月22日付夕刊2面。
  5. ^ a b 『福島民報』 1973年1月10日付朝刊、5面。
  6. ^ 『日本映画人名事典 男優編<下巻>』キネマ旬報社、1996年、656頁。ISBN 978-4873761893 
  7. ^ 日刊スポーツ』1977年11月22日付15面。
  8. ^ シリーズ『魂の学』実践講演会が開催中です!” (日本語). GLA. 2018年8月12日閲覧。


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