箕浦勝人 箕浦勝人の概要

箕浦勝人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/08 09:03 UTC 版)

箕浦勝人

経歴

豊後国臼杵で、臼杵藩の武道師範の実相寺常之丞の次男として生まれる。15歳で藩家老の箕浦又生の養子となる。慶應義塾出身で福澤諭吉の弟子。福澤諭吉の子孫の家庭教師を担当した。郵便報知新聞社に入社し、新聞記者の後、社長となる。立憲改進党に参加。明治22年(1889年)の東京市会議員選挙に日本橋区から立候補したが落選した[1]明治23年(1890年)の第1回衆議院議員総選挙で当選。大正4年(1915年)から大正5年(1916年)まで第2次大隈内閣逓信大臣を務める。

栄典

位階
勲章

著作

脚注


  1. ^ 制限選挙期における東京市会議員総選挙の結果について(櫻井良樹)
  2. ^ 『官報』第565号「叙任及辞令」1914年6月19日。
  3. ^ 『官報』第1187号「叙任及辞令」1916年7月15日。


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