第百一号型輸送艦 艦型

第百一号型輸送艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/14 08:41 UTC 版)

艦型

基本計画番号J39[4]連合国軍側の揚陸艦艇では中型揚陸艦(LSM)に近い規模であり、LST-1級戦車揚陸艦の半分程度の排水量である。全般的な設計としては、強行輸送という用途に応じる高速性能と強兵装の一方で、戦時下における量産性への配慮がされている。

外観

外観は、広い前部甲板と艦後部の艦橋や艦尾の錨など、アメリカ海軍の戦車揚陸艦(LST)に類似した姿であるが、艦首の構造はLST-1級のような2枚扉の観音開き式ではなく、LCTや大発などの上陸用舟艇と同じような艦首の門扉が1枚であった。揚陸の際には門扉が前方に倒れて渡し板となり、その上を車両が走行できる構造になっている。

航行中の前方視界を確保するため、艦首門扉の上端には開口部が設けられている[34]。 また艦首甲板上左舷側にボックスを設置し、接岸時などは乗員が常駐して艦橋と連絡を取れるようにした[35]

船体

船体は工作を容易にするため、形状に直線と平面が多用された[36]。 船体の抵抗増加が予想されたが、水槽試験によると速長比1以下では抵抗が増加するが、それ以上の高速では問題無いことがわかった[36]戦時標準船などに導入されつつあったブロック工法も採用され、船体は船首部、中央部、艦首部の3個のブロックに分けて建造された[22][36]。 各ブロックは全て溶接(浦崎造船所のみ鋲接)、ブロックの接合は鋲接で行った[36]。 このような工夫により日立造船向島工場の第1艦でも船体の工数約30,000[36]、 建造期間112日で完成した[16]。 以降工数は更に短縮され、第5艦では半減した[36]

艦首底面の形状は種々検討されたが、大発と同様の船体下に2本の肋材を出すものにした[37]。 肋材は溶接で船体に取り付け、また非防水構造として、損傷しても船内に影響が無いようにした[38]。 また船倉部は全て二重底として防水に努めた[38]。 擱座した時の艦首部の水深を1 m程度とし、人員が飛び込んでも支障のない形状にした[39]

本艦型は、上陸用舟艇と異なって単独航行能力を持つ設計ではあったが、平底かつ平らな艦首の箱型船型のため、あまり航洋性は高くなかった[22]。 波の穏やかな南方の島嶼地帯での運用を想定したためで、日本近海などを航行するときには晴天時を選び、荒天時は島伝いに航行する計画であったが[40]、 実戦では硫黄島への航海など日本近海でも使用され、船体の強度不足が露呈した[41]。 このため修理工事の際などに補強工事も行われた[40]

船体形状から風圧側面積比が2以上と大きく、復原性能は特に充分留意した[42]。 GMを800 mm程度とし[43]、 公試状態でのレンジが120度以上となった[44]。 これにより後の対空兵装の増備が比較的容易になった[43]

補給物件艤装

第149号の上甲板へと揚収実験のために後進する九五式軽戦車[45]

搭載量はディーゼル装備艦で戦車の他に人員320名、貨物26トン、タービン装備艦で人員200名、貨物22トンの計約250トン搭載可能とした[46]。 タービン装備艦はその後の船体補強などにより、人員120名、合計約220トンに減少した[34]。 搭載能力を上げるために上甲板も使用することにし[36]、 戦車の搭載スペースとしては、艦内の船倉と上甲板の2か所が用意された。 各種戦車の搭載可能数は以下の通り[47]

戦車の種類 上甲板 船倉
特二式内火艇 4 3 7
特三式内火艇 3 2 5
特四式内火艇 2から3 2 4から5
九七式中戦車 4 5 9
九五式軽戦車 8 6 14

船倉と艦首通路の間には傾斜した内扉が設置されており[36]、 この内扉は、上甲板の車両を艦首通路に下ろすためのスロープ兼用となっており、上甲板には内扉に対応した開口が設けられている。 航海中は内扉を降ろし門扉と2重の防水壁を構成し[48]、 上甲板の開口は木板等で塞がれた[49]。 船倉内の戦車を揚陸する時には内扉を上げて船倉との通路が開かれる。 門扉、内扉の上げ下ろしは揚錨機のワーピングドラムを使用して艤装の簡易化を図った[36]。 また揚錨機の故障を考慮し予備として人力装置も設置した[48]。 揚錨機等の被害で内扉を上げることが不可能になる場合を想定して、まず船倉内の戦車を揚陸、次に内扉を降ろして上甲板の戦車を揚陸する順序としていた[36]

陸軍の資料では戦車の登坂角度は30度となっており、内扉の表面は木板なのでその傾斜角度は23度とした[36]。 陸軍の資料は土手での値であり、実物の内扉を陸上に設置して実験してみると、表面の乾湿等の状況により場合によっては登坂出来ないことがあった[48]。 内扉表面にシュロを2枚敷くことでどんな状況でも登坂出来る事が判ったが、解決には約3カ月かかった[48]。 この時には既に第1艦が艤装工事終了に近く、解決策が出なければ艦が完成しても運用が出来ない状況だったという[48]

門扉の形状で一番望ましいのは艦首が左右に観音開きになり導板を繰り出す形状だったが、急速建造に対応するために門扉は簡単な1枚な平板とし、それを導板と兼ねる形状にした[34]。 この形状は水の抵抗が大きくなりウォーターハンマー現象に対する強度は特に注意した[34]。 門扉のパッキンは通常のゴムでは防水が保てないため、シュロ縄で防水処理を行った[34]。 また接岸揚陸時に門扉を開くと、開口部から巻波で海水が浸入する恐れがあった[40]。 このため門扉はなるべく高い位置に設置され、船倉へ続く通路は内扉の場所で一時的に高くされた[40]。 この場合でも通路の傾斜は23度以内となるように設計された[40]

第103号型輸送艦の艦内側面図、各甲板平面図。

船倉内はなるべく平坦になるように設計された[47]。 また船倉はなるべく幅を広げて容積を確保したが、一方で舷側が被害を受けた時に一挙に浸水しないよう、両側面は舷側との間に防水区画を設けた[47]。 防水区画は横隔壁で4つに分けられ、また片舷浸水時の傾斜が大きくならないよう、一つは反対舷の防水区画と二重底で繋げてあった[47]。 防水区画の内部は戦車搭乗員や輸送人員の居住区に使用され[47]、 上甲板には昇降用ハッチが左右2個ずつ設置された[49]。 船倉との隔壁は準ガソリン・タイトとし、船倉の空気を直接外に排出するように通風トランクを設置して、船倉内での戦車のエンジン起動を可能にしていた[47]

陸上から戦車を揚陸する際は、艦首のバラストタンクに注水して擱座、離岸する時には艦首のそれは空に、艦尾のタンクに注水して離岸を容易にする計画とした[38]。 また後進のみでの離岸は不充分と思われたので、2.3トン(1.2トン[12])の艦尾錨を設置した[38]。 接岸前(150 mから200 m沖)に投錨しておき、離岸時に揚貨機(ウィンチ)でワイヤを巻き上げて離岸の補助とした[38]。 この投錨は揚陸中に船体が横を向くのを防止する働きもあった[38]。 なお艦尾錨に錨鎖を使わずにワイヤとしたのは隠密性を考慮して、動作音を抑えるためだった[38]

搭載物資は全て艦首門扉から搬出する計画だったが、実施部隊の要求により艦橋前の上甲板に小型ハッチ2個を設け、付近に3.5トン・デリックを装備した[34]

兵装

敵の制空権下に突入しての強行輸送を想定したため、武装は充実したものとされている。[要出典] 計画では艦尾に8 cm高角砲1門、艦橋両舷に25 mm3連装機銃が各1基で[13]マリアナ沖海戦後の1944年9月以降[50]、他の軍艦と同様に機銃増備がなされた。 装備状況は艦によって違いがあるが、後掲図の第141号輸送艦の例のように25 mm連装機銃が艦橋前に新設された機銃台と艦尾甲板上に各1台装備され、また艦上の空いたスペースに単装機銃が11挺前後装備された。 爆雷搭載の計画はなかったが、1944年4月以降に爆雷投下台を6基装備、爆雷12個を搭載した[50]

艤装

直接接岸しての揚陸を目的とした艦であるが、上陸用舟艇である10 m特型運貨船(小発)装載艇として搭載していた。 これは、接岸地点掩護のための先遣要員揚陸や、前路警戒の目的で搭載されたものである。[要出典]

主錨は1トンを1丁(予備に1トンをもう1丁)、錨鎖は⌀20×10節(250 m)を1連[12]、 右舷にのみ装備した。 揚錨機はディーゼル艦が電動式[19]、タービン艦が蒸気式を1基装備した[8]。 前述したように、この揚錨機は門扉や内扉の上げ下ろしにも使用された[36]

舵の平衡舵1枚、面積はタービン艦で4.678 m2[51][注 5]、 水中側面積比はディーゼル艦で1/35.87[52]、 タービン艦で1/36.3だった[51]。 舵取機械はディーゼル艦が電動式[19]、 タービン艦が2気筒ピストン(蒸気式)を1基装備した[8]。 タービン艦のそれは舵を大舵角から戻す時の出力が不足していた[43]。 舵の面積を小さくすれば良いが、旋回性能が悪化する[43]。 舵のバランス点を大舵角側に変更することで運用に問題無い程度に収めることができた[43]

防御

特に直接防御は有していない[40]。ただ艦橋は14 mm DS鋼(防弾板)で構成して防御とした[40]。またディーゼル艦の機械室舷側は外板を12 mmと厚くした[40]

機関

SB艇(T)

第141号輸送艦艦型図、1944年10月

機関は第二号型海防艦と全く同一の機関を採用し[7]タービン主機で出力2,500馬力、速力16ノットを計画した[6]。 後述のディーゼル主機装備の第百一号型と区別するため、タービン主機装備のSB艇の意味でSB艇(T)と呼ばれる[6]

主缶(ボイラー)は零号乙15改型ホ号艦本式缶(空気余熱器付)2基、蒸気圧力は20 kg/cm2、温度は214 だった[8]。 当初重油専焼ボイラーを搭載したが、1945年1月以降に起工された艦は石炭専焼ボイラー搭載に変更された[50]。また第147号など数隻が石炭専焼に改造された[50]。これらの艦は煙突を延長、艦橋構造物より高い煙突になっている[50]

航続距離は高速時での距離が要求された[53]。 後述のディーゼル搭載艦は3,000カイリ/13.4ノット(全力)と決定したが[18]タービン搭載艦で16ノット(全力)時に同じ距離とすると燃料搭載量が大きくなり同一の船体に収まらなかった[53]。 急速建造の観点から別船体とすることは出来ず、往路は全力16ノットで1,000カイリ、復路は14ノットで1,700カイリで合計2,700カイリと変則的な決定となった[53]。 これは本型が半消耗品として考えられていた状況を示すものと思われる[53]

SB艇(D)

第101号輸送艦艦型図、竣工時(1944年3月)

主機を、タービン機関からディーゼル機関に変更した略同型である。二等輸送艦の初期生産分6隻について、本来のタービン機関の生産が間に合わなかったため、第一号型駆潜特務艇用などに生産されたディーゼル機関を装備した。400馬力と低出力の機関であったため主機を3基装備し、スクリュー3基の3軸推進艦となった。 ディーゼル主機装備のSB艇の意味で、SB艇(D)と称した[18]。 機関変更した略同型という意味では、海防艦の丙型(ディーゼル主機)と丁型(タービン主機)の関係と類似している。

基本設計はタービン装備艦と同じであるが、機関出力低下により速力が2.6ノット低下しているほか、両舷にスクリューがあるために離岸時の操艦が困難であったといわれる。 ただ燃費は大きく向上している。


注釈

  1. ^ #一般計画要領書(特務艇)p.3では満載排水量1,040.30になっている。
  2. ^ a b 1945年(昭和20年)1月以降の建造艦は石炭専焼とする。
  3. ^ #一般計画要領書(特務艇)p.17、S.B艇(D)の合計欄。ただし各人数を合計すると91名になる(士官4人、特務士官・准士官4人、下士官兵83人)。
  4. ^ 例えば#昭和造船史1pp.796-797、小艦艇要目表。
  5. ^ #一般計画要領書(特務艇)p.32、S.B艇(D)の舵面積は印刷部分がはっきりせず、4.6??。小数点以下2桁目は7か9、3桁目は7、8、9のいずれか。
  6. ^ 『写真 日本の軍艦 第13巻』による。『昭和造船史』によると1944年5月1日竣工。
  7. ^ 海軍での呼称は「陸軍輸送艇第千五百六号」。英語版ウィキペディアによると「機動第一二〇号艇」。
  8. ^ 海軍での呼称は「陸軍輸送艇第千五百七号」。英語版ウィキペディアによると「機動第一二三号艇」。
  9. ^ 海軍での呼称は「陸軍輸送艇第千五百八号」。英語版ウィキペディアによると「機動第一二五号艇」。
  10. ^ 英語版ウィキペディアによると「機動第一二七号艇」。
  11. ^ 英語版ウィキペディアによると「機動第一二八号艇」。
  12. ^ 『写真 日本の軍艦 第13巻』による。『昭和造船史』によると1944年2月28日竣工。
  13. ^ 『写真 日本の軍艦 第13巻』による。『昭和造船史』によると1944年6月28日竣工。
  14. ^ 『昭和造船史』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』に記載なし。
  15. ^ 海軍での呼称は「陸軍輸送艇第千五百四十四号」(海軍艦船要覧における誤植の可能性あり)。

出典

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  142. ^ #自S20.1至S20.8秘海軍公報/8月画像47、昭和20年7月14日内令第628号の2
  143. ^ 昭和20年11月20日付 海軍内令 号数不明。海軍艦船要覧 2013, p. 123
  144. ^ 昭和21年2月10日付 第二復員省内令 第25号。
  145. ^ 雑誌「丸」編集部 『写真 太平洋戦争 第10巻』 光人社、1995年、ISBN 4-7698-2092-5、pp.206-209
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  147. ^ 昭和20年4月5日付 海軍達 第64号。
  148. ^ 昭和20年4月5日付 海軍内令 第292号。海軍艦船要覧 2013, p. 122。#自S20.1.至S20.8秘海軍公報/4月(1)画像41-42、昭和20年4月5日内令第292号
  149. ^ #自S20.1.至S20.8秘海軍公報/4月(2)画像1、昭和20年4月5日内令第295号
  150. ^ 昭和22年1月6日付 復員庁第二復員局 復二第2号
  151. ^ #日本海軍全艦艇史下巻p.795、No.2404の写真解説。
  152. ^ #写真日本の軍艦第13巻256頁写真の解説。
  153. ^ a b #写真日本の軍艦第13巻263頁下写真の解説。
  154. ^ #写真日本の軍艦第13巻254頁下写真の解説。





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