竹取物語 (1987年の映画)
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キャスト
- 加耶(かぐや姫):沢口靖子
- 五歳の加耶:中野美穂
- 大伴の大納言:中井貴一
- 車持の皇子:春風亭小朝
- 安倍の右大臣:竹田高利(コント山口君と竹田君)
- 明野:小高恵美
- 商人の宇陀:常田富士男
- 藤原の大國:加藤武
- 帝:石坂浩二
- 皇后:岸田今日子
- 彫金師:山口弘和(コント山口君と竹田君)
- 坂上の太政大臣:浜村純
- 耳梨の長者:出光元
- 小野の房守:井上博一
- 密偵・理世:中村嘉葎雄
- 理世の妻:横山道代
- 僧上の道尊:伊東四朗
- 土師の宗勝:三澤慎吾
- 石川の虫麻呂:保木本竜也
- 舎人の長・多治比:川崎博司
- 猟師:永妻晃
- 村人A:河合半兵衛
- 村人B:早田文次
- 村人C:桜井勝
- 村人D:加藤茂雄
- 村人E:広瀬正一
- 輦車の男:清末裕之、嶋崎信夫
- 田吉女:若尾文子
- 竹取の造:三船敏郎
- 役名不明:林孝一、宮内優子、香苗圭子、丸岡由枝、真下有紀、加賀谷由美、黒田昌子、東静子、森下哲嗣、内田崇吉、鈴木健二郎、紙谷隆太郎
スタッフ
- 監督:市川崑
- 製作:田中友幸、羽佐間重彰
- 企画:三ツ井康
- プロデューサー:角谷優、藤井浩明、新坂純一
- 脚本:菊島隆三、石上三登志、日高真也、市川崑
- 資料提供:馬場和夫
- 特技監督:中野昭慶
- 音楽:谷川賢作
- オーケストラ指揮:井上道義
- オーケストレイション:山本純ノ介
- 演奏:東京交響楽団
- コーラス:東京混声合唱団
- 琴:山田節子
- 主題歌:ピーター・セテラ "STAY WITH ME"(邦題:ステイ・ウィズ・ミー song for KA・GU・YA・姫)
- 作詞・作曲:ボビー・コールドウェル、ジョン・パーカー
- 唄:ピーター・セテラ(ワーナーパイオニア)[注釈 8]
- 撮影:小林節雄
- 美術:村木忍
- 録音:斉藤禎一
- 照明:下村一夫
- 編集:長田千鶴子
- 助監督:吉田一夫、手塚昌明
- 製作担当者:平松重和
- 衣裳:川上鈴雄
- 衣裳監修:斎藤寛
- 衣裳デザイン:ワダエミ
- 衣裳協力:三松
- 調音:大橋鉄矢
- 効果:小島良雄
- 殺陣:美山晋八
- 音楽協力:東宝音楽出版
- 現像:東京現像所
- 協力:カネボウ、カネボウ美容研究所、京都ホテル、SUNTORY HALL’OTARI.digital recorder DTR-900
- 協賛:日本生命
- 記録:原田良子
- 製作担当:平間重和
- スチール:橋山直己
- 整音:東宝録音センター
- カメラ&レンズ:PANAVISION
- 特殊技術
制作
『竹取物語』は1970年に死去した特撮監督の円谷英二[注釈 9]が生前に映像化を切望していた題材であり[9][1]、円谷とともに映画製作に携わってきた東宝映画社長の田中友幸にとっても念願の企画であった[6][3]。企画立案から完成までには10年の歳月が費やされ、フジテレビとの合作により[16]、総製作費20億円の東宝創立55周年記念超大作として完成した[8]。
SF要素の導入は、本作品の脚本を担当した一人でSF評論家でもあった石上三登志のアイデアによるものであった[6][17][注釈 10]。当初は脚本家の菊島隆三が第1稿を書き上げたが、一読した田中友幸が「このまま撮ると、普通のシャシンになる」と意見し、SFに詳しい石上が脚本に参加する事になった。その後、監督を担当する市川崑が呼ばれ、脚本作りに参加した。市川は当時、『鹿鳴館』や『映画女優』などの映画を並行して監督しており、積極的な打ち合わせに参加できない状態だったが、田中との話し合いで、脚本は、オーソドックスな菊島版と自由奔放な石上版の折衷案で行く事とし、石上はSF監修も兼務することになった。また「『未知との遭遇』風にしたい。そっくりで良い」という田中の要望で、宇宙船のミニチュアには、1万本の光ファイバーが用いられている[6]が、宇宙船パートの撮影は難航し、何度もリテイクが繰り返された[19]。特撮パートは円谷の弟子である 中野昭慶が担当した[3]。中野にとっては特技監督として最後の劇場作品となった。
本作品の竹林の場面には、マダケが多く群生している京都市洛西竹林公園が選ばれた。また、都の場面は調布基地跡地にセットを組んで撮影された[注釈 11]。[要出典]
加耶が天に昇るシーンで使用された籠は、後に映画『ゴジラvsビオランテ』(1989年)での大プールでの操演のセッティング作業に用いられた[20]。
注釈
- ^ 資料によっては、「2時間0分」と記述している[5][1]。
- ^ 書籍『ゴジラ 全怪獣大図鑑』では、「100m」と記述している[12]。
- ^ 書籍『ゴジラ 全怪獣大図鑑』では、「不明」と記述している[12]。
- ^ 資料によっては、名称を竜[13][5]、海竜[11][12]と記述している。
- ^ 資料によっては、全身が造形されたと記述しているものもあるが[5]、安丸はこれを否定している[11]。
- ^ 1984年版『ゴジラ』に次ぐ採用[5]。
- ^ 書籍『ゴジラ 全怪獣大図鑑』では、名称を月の住人と記述している[12]。
- ^ 後年、ボビー・コールドウェルのセルフカバー版が、フィリップモリスのたばこ『パーラメント』のCMで使用された。
- ^ 円谷は1935年の映画『かぐや姫』で撮影を担当している[1][3]。
- ^ 書籍『ゴジラ大全集』では、意図的に竜などのアンバランスな映像を挿入することでファンタジー映画として工夫していると評している[18]。
- ^ この場所は、現在の調布基地跡地運動広場に相当するが、撮影された1987年当時は広場として整備されておらず、関東村と呼ばれていた。
出典
- ^ a b c d e ゴジラ画報 1999, p. 205, 「竹取物語」
- ^ a b c d e 東宝特撮映画大全集 2012, p. 212, 「『竹取物語』」
- ^ a b c d e 小原篤 (2021年7月8日). “若き日の円谷英二、幻の映画 1935年「かぐや姫」短縮版、英で発見 東京で9月上映”. 朝日新聞デジタル. 2021年7月8日閲覧。
- ^ a b c キャラクター大全 2014, p. 166, 「東宝特撮映画リストACT.4」
- ^ a b c d e f g h 大ゴジラ図鑑2 1995, p. 153, 「竜」
- ^ a b c d e f 東宝特撮映画大全集 2012, p. 215, 「『竹取物語』撮影秘話/川北監督に訊く」
- ^ 1987年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
- ^ a b c 東宝特撮映画大全集 2012, p. 213, 「『竹取物語』作品解説/俳優名鑑」
- ^ a b c 日本特撮映画図鑑 1999, p. 143, 「東宝特撮作品 ビデオLDラインナップ 特撮シリーズ」
- ^ a b c d e f 東宝特撮映画大全集 2012, p. 214, 「『竹取物語』怪物図鑑/兵器図録/資料館」
- ^ a b c d e f g h オール東宝怪獣大図鑑 2014, p. 227, 「『竹取物語』海竜」
- ^ a b c d e f g h i j 全怪獣大図鑑 2021, p. 302, 「伝説の神獣たち」
- ^ a b c ゴジラ大全集 1994, p. 167, 「昭和50年代-平成怪獣グラフィティ」
- ^ VSビオランテコンプリーション 2015, p. 53, 「『ゴジラVSビオランテ』造形メイキング ゴジラ」
- ^ 大ゴジラ図鑑 1995, p. 174, 「INTERVIEW Gを作った男たち 小林知己に聞く」
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P349
- ^ “日本のテレビCM史の流れを変えた異才 ― 今村昭物語(14)”. 電通報. 電通 (2016年11月20日). 2016年12月15日閲覧。
- ^ ゴジラ大全集 1994, pp. 74–75, 「東宝特撮映画史 ゴジラ誕生 ゴジラ再生」
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P351
- ^ VSビオランテコンプリーション 2015, p. 17, 「シーンメイキング 3 ゴジラVSスーパーX2」
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