神田 神田の概要

神田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 03:57 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

沿革

伊勢神宮の神田
神宮神田での神田御田植初
湯島天満宮 御神田初穂

神田の起源は明らかとされていないが、大化646年ごろ)以前から存在したと考えられている。7世紀後半に律令制が整備され、田地が口分田などの班田収授の体系に組み込まれていっても、神田(および仏教寺院の運営にあてる寺田)のみは、班田の対象外とされた。これは、神田および寺田が、神社や寺院の所有物ではなく、神仏に帰属するものと認識されていたことによる。そのため、神仏に帰属する神田・寺田の売買は禁止されていた。

8世紀に成立した大宝律令養老律令では、神祇令・田令などに神田の規定が置かれた。それによると、神田を耕作するために、神戸(神に帰属する戸)が設定され、神戸にかかる租庸調は、神社の造営・運営経費にあてること、そして6年1班の班田収授の対象から除外することが規定されていた。すなわち、神田は不輸租田(租税が免除された田地)とされていた。

神田を不輸租田とする観念は、平安時代荘園の増加につながっていく。9世紀10世紀に律令制が崩壊した後も、神田には不輸の権(租税免除の権利)が認められていたため、墾田や買収などで付近の田地を集積していた田堵(有力農民)=開発領主は、自分の経営する田地を有力な神社(または有力寺院)へ寄進することで、不輸の権を獲得しようとした。そのため、有力寺社には荘園の寄進が集中した。

その後、11世紀から13世紀ごろに荘園公領制が成立すると、荘園国衙領の除田(じょでん、免税田を意味する)の一つとして神田が位置づけられた。神田にかかる年貢公事は、領主の収入とはならず、神社の祭祀・祭礼の経費にあてられた。こうした慣行はその後も続き、現代でも多くの神社で神に供御するための田として、神田・御神田が存続している。

地名・名字

日本の地名としての神田は、上記の神田に由来する。神田は日本各地に存在したため、地名としての神田も日本全国に分布している。著名な神田には、千代田区神田、唐津市の神田 (唐津市)(こうだ)などがある。

日本の名字(姓)の神田も、上記の神田に由来する。

脚注

関連項目

外部リンク




「神田」の続きの解説一覧




神田と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「神田」の関連用語


2
100% |||||

3
100% |||||

4
100% |||||

5
100% |||||

6
100% |||||

7
100% |||||

8
100% |||||

9
100% |||||

10
100% |||||

検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



神田のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの神田 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS