磐衝別命 磐衝別命の概要

磐衝別命

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 14:40 UTC 版)

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第11代垂仁天皇の第十皇子である。史書には事績に関する記載はない。

名称

表記は次のように文書によって異なる。本項では表記を「磐衝別命」に統一して解説する。

系譜

(名称は『日本書紀』初出を第一とし、括弧内に『古事記』ほかを記載)

第11代垂仁天皇と、山背大国不遅(山代大国之淵)の娘の綺戸辺(かむはたとべ、弟苅羽田刀弁)との間に生まれた第十皇子である。同母妹には両道入姫命(ふたじいりひめのみこと、石衝毘売命:第14代仲哀天皇の母)がいる。

子には石城別王(いわきわけ、石城別王/伊波智和希)、水歯郎媛(みずはのいらつめ:第12代景行天皇妃の五百野皇女の母)がいる[注 1]

上宮記』逸文(『釈日本紀』所収)には磐衝別命後裔の系譜の記載があり、五世孫の振媛彦主人王に嫁ぎ、乎富等大公王(第26代継体天皇)を生んだという。

先代旧事本紀』「天皇本紀」では命を産んだ垂仁天皇の妃を丹波道主王の娘の真砥野媛(まとのひめ)とし、同母兄弟に祖別命(記紀では異母兄弟)があると異伝を記す[原 3]。また「国造本紀」では、四世孫として大兄彦君の名を伝える[原 5]

磐衝別命墓(石川県羽咋市

は、石川県羽咋市羽咋神社境内にある磐衝別命墓(いわつくわけのみことのはか、位置)に治定されている[1]。宮内庁上の形式は円墳。遺跡名は「羽咋御陵山古墳」など。

命の墓に関して史書に記載はないが、大正6年(1917年)に宮内省(現・宮内庁)により公式墓に治定された[2]。古墳は全長約100メートルの前方後円墳と見られ、5世紀中頃の築造と考えられている[2]

なお、墓には隣接して円墳(羽咋大谷塚古墳)があり、「磐城別王墓」として大正6年(1917年)に子の磐城別王の墓に治定されている[1][2]

異説として水尾神社滋賀県高島市)の社伝では、磐衝別命は猿田彦命の天成神道を学ぶために猿田彦命を祀る当地に来住したという。 磐衝別命は当地で亡くなったため、その子・磐城別王は磐衝別命を三尾山に埋葬したとされる。 境内裏手の山中には6世紀の群集墳(拝戸古墳群)が残っており、うち皇子塚は三尾君祖の墳墓であると伝える。


  1. ^ 磐城別王・水歯郎媛について『古事記』に記載はない。『日本書紀』では景行天皇紀に記載があるものの磐衝別命との関係は記されていないが、他の史書から磐衝別命の子とされている。
  1. ^ a b 『釈日本紀』巻13 述義9 第17所収『上宮記』逸文(『国史大系 第7巻』(経済雑誌社、1897年-1901年、国立国会図書館デジタルコレクション)354-355コマ参照)。
  2. ^ a b 『新撰姓氏録』右京皇別 羽咋公条(『群書類従 第十六輯』(経済雑誌社、1898年-1902年、国立国会図書館デジタルコレクション)77コマ参照)。
  3. ^ a b 『先代旧事本紀』「天皇本紀」垂仁天皇条(『国史大系 第7巻』(経済雑誌社、1897年-1901年、国立国会図書館デジタルコレクション)183コマ参照)。
  4. ^ a b 『先代旧事本紀』「国造本紀」羽咋国造条(『国史大系 第7巻』(経済雑誌社、1897年-1901年、国立国会図書館デジタルコレクション)221コマ参照)。
  5. ^ a b c 『先代旧事本紀』「国造本紀」加我国造条(『国史大系 第7巻』(経済雑誌社、1897年-1901年、国立国会図書館デジタルコレクション)221コマ参照)。
  1. ^ a b 宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』(1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)9コマ。
  2. ^ a b c d 現地説明板。
  3. ^ a b c 『日本古代氏族人名辞典』三尾氏項。
  4. ^ 『日本歴史地名体系 石川県の地名』(平凡社)羽咋郡節。
  5. ^ 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年)p. 217。
  6. ^ 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年)p. 220。
  7. ^ a b 『日本歴史地名体系 石川県の地名』(平凡社)羽咋市 羽咋神社項。


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