磐衝別命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 14:40 UTC 版)
関係地
- 羽咋神社(はくいじんじゃ、石川県羽咋市、位置)
- 式内社、旧県社。主祭神:石衝別命。
- 磐衝別命の子孫の羽咋君が氏祖を氏神として祀ったことに始まるとされる[7]。境内には上述の磐衝別命墓に治定された古墳がある。
- 当社で行う唐戸山神事相撲(羽咋市指定無形民俗文化財)は、当地で仁政を敷いた命を偲んで命日の9月25日に相撲を行った事に由来するという。また社伝において「羽咋(はくい)」の地名は、命がこの地で領民を苦しめた悪鳥を射落とし、その鳥の羽を命が連れた三匹の犬が喰った、すなわち「羽喰」に基づくという(ただし、一説には大国主命の故事によるともいう)。そのほか、命の妻について「三足比咩命(みたらしひめのみこと)」という名を伝える。
- 当社周辺には、磐衝別命墓・磐城別王墓を含めて命に関する7つの塚(羽咋七塚)が伝わる[2][7]。
- 水尾神社(みおじんじゃ、滋賀県高島市、位置)
- 大湊神社(おおみなとじんじゃ、福井県坂井市) - 式内社。古記録では、かつて磐衝別命も祭神として祀ったという。
- 布久比神社(ふくいじんじゃ、兵庫県豊岡市) - 式内社。「岩衝別命」として祭神に祀る。
- ^ a b 『釈日本紀』巻13 述義9 第17所収『上宮記』逸文(『国史大系 第7巻』(経済雑誌社、1897年-1901年、国立国会図書館デジタルコレクション)354-355コマ参照)。
- ^ a b 『新撰姓氏録』右京皇別 羽咋公条(『群書類従 第十六輯』(経済雑誌社、1898年-1902年、国立国会図書館デジタルコレクション)77コマ参照)。
- ^ a b 『先代旧事本紀』「天皇本紀」垂仁天皇条(『国史大系 第7巻』(経済雑誌社、1897年-1901年、国立国会図書館デジタルコレクション)183コマ参照)。
- ^ a b 『先代旧事本紀』「国造本紀」羽咋国造条(『国史大系 第7巻』(経済雑誌社、1897年-1901年、国立国会図書館デジタルコレクション)221コマ参照)。
- ^ a b c 『先代旧事本紀』「国造本紀」加我国造条(『国史大系 第7巻』(経済雑誌社、1897年-1901年、国立国会図書館デジタルコレクション)221コマ参照)。
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