矢澤航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/01 19:03 UTC 版)
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選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | やざわ わたる | ||||||||||||||
ラテン文字 | Wataru Yazawa | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||
競技 | 陸上競技 (ハードル) | ||||||||||||||
種目 | 110mハードル | ||||||||||||||
所属 | デサントトラッククラブ | ||||||||||||||
大学 | 法政大学 | ||||||||||||||
生年月日 | 1991年7月2日(32歳) | ||||||||||||||
出身地 | 神奈川県横浜市 | ||||||||||||||
身長 | 178cm | ||||||||||||||
体重 | 62kg | ||||||||||||||
引退 | 2021年 | ||||||||||||||
成績 | |||||||||||||||
オリンピック | 110mH 予選6組3着 (2016年) | ||||||||||||||
地域大会決勝 |
アジア選手権 110mH 3位 (2013年) | ||||||||||||||
国内大会決勝 |
日本選手権 110mH 優勝 (2011年, 2013年, 2016年) 4x100mR 2位 (2011年) | ||||||||||||||
自己ベスト | |||||||||||||||
100m | 10秒59 (2009年, 2012年) | ||||||||||||||
60mハードル | 7秒86 (2015年) | ||||||||||||||
110mハードル | 13秒47 (2016年) | ||||||||||||||
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経歴
A型。横浜市立岩崎中学校、法政大学第二高等学校、法政大学卒業。デサントトラッククラブ所属。
中学時代まで
小学生の時は4年ほど野球をやっていて、大会では俊足を生かして盗塁王になったこともあったという。しかし、打つのが苦手ということもあり、中学では先輩や親の勧めもあって陸上部に入部。当初は100mと走幅跳をやっていたが、中学1年の夏に顧問の勧めでハードルを始め、区大会で優勝してからはハードル専門になった[1][2]。3年時には全日本中学校選手権110mハードルを13秒84(+0.6)の日本中学記録で制した。
高校時代
法政第二高校進学後はシニア規格のハードルの高さに戸惑い、南関東大会110mハードルは7位に終わり佐賀インターハイ出場を逃した。夏の合宿ではハードルを跳びたくない気持ちと脚を速くしたいという気持ちから走る練習を積み、スプリント力を上げた。その後、国民体育大会と日本ユース選手権で優勝して110mハードル2冠を達成すると、関東高校新人ではスタート位置からゴールが見えないという雨の中で高校1年歴代最高記録(当時)となる14秒64(+1.3)をマークした[3]。
2年時にはユースの選手ながら世界ジュニア選手権110mハードルに出場すると、決勝にあと一歩と迫る準決勝全体9位で大会を終えた。世界で戦えたことに自信を深め、そして臨んだ埼玉インターハイだったが、110mハードル準決勝のウォーミングアップで故障(右脚ハムストリングスの肉離れ)。脚がつっただけだと思いスタートラインにつくも、ブロックを蹴った瞬間にただの痙攣ではないと気づき途中棄権した。インターハイの悔しさを糧に、私生活、食事、トレーニングなどを全てを見直して3年のシーズンに臨むと、奈良インターハイ110mハードルで初優勝を成し遂げた[3]。
大学時代
2010年4月に法政大学に進学。7月の世界ジュニア選手権110mハードルには前回大会に続いて出場し7位。10月に日本ジュニア選手権110mハードルを13秒97(+0.5)の大会記録(当時)で制し、大学1年目は大学タイトルを獲得できなかったが、全国タイトルは獲得した。
2011年6月の日本選手権110mハードルで初出場初優勝を果たした。なお、法政大学陸上競技部監督の苅部俊二は、今シーズン矢澤が結果を残せなければ400mハードルに挑戦させようと考えていたが、日本選手権の優勝などでそれはなくなったという[3]。7月にはシニアの日の丸を背負いアジア選手権110mハードルに初出場を果たした(結果は予選敗退)。
2012年5月の関東インカレ(1部)110mハードルは大室秀樹に0秒01差で敗れて初優勝を逃し、6月の日本選手権110mハードルは決勝に進出するもフライングで失格。9月の日本インカレ前に肉離れを起こしたため残りのシーズンはほぼレースに出場することができず[3]、この年は主要大会のタイトルを獲得できなかった。
2013年6月の日本選手権110mハードルを日本歴代8位(当時)の13秒59(+1.3)で制し、前回大会の決勝でフライング失格となった雪辱を果たした。7月にはアジア選手権110mハードルに2大会連続の出場を果たして銅メダルを獲得した。
社会人時代
2014年4月にデサントに入社。6月の日本選手権110mハードルは決勝で自己ベストタイの13秒59(+0.4)をマークするも、優勝した増野元太に0秒01差で敗れてアジア大会日本代表の座を逃した。8月にはフランスで開催された国別対抗戦のデカネーション110mハードルに出場。男女各10種目に20人の日本人が出場した今大会で、全種目を通じて日本勢最高順位となる3位に入った[4]。
2016年6月5日の布勢スプリント110mハードル・第1レースで日本歴代3位タイの13秒54(+1.6)、第2レースで単独歴代3位(ともに当時)の13秒47(+1.4)をマークし、リオデジャネイロオリンピックの参加標準記録(13秒47)を突破[5]。同月26日の日本選手権110mハードル決勝を13秒48(+2.4)で制し、リオデジャネイロオリンピック日本代表に内定した[6]。8月15日のリオデジャネイロオリンピック110mハードル予選でシニア世界大会デビューを果たすとともに、この種目の日本勢としては2008年北京大会の内藤真人以来8年ぶりの出場を果たした[注 1]。しかし、強い雨の降る中で行われた予選1組目で13秒89(+0.1)の組6着に終わり、着順で突破できる組4着以内には入れず、予選全ての組が終わった時点でタイムで拾われる4枠にも入れず、初のオリンピックはこれで終了したかに思われた。ところが、この予選は2組目までが強い雨の降る中で行われ、3組目からは一時中断を挟んで行われた。そのため、中断する前の組を走った国からコンディションの不利を訴える抗議の声が上がり、大会側は抗議を受け入れて異例の再レースを行うことを決めた。再レースは予選1組目と2組目の着順で突破できなかった選手たちだけで行われ、タイムで拾われる4枠以内に入れば準決勝に進出できるというものだった[注 2]。しかし、スタッフから再レースがあると言われた時は「放心状態だった」という矢澤は再び集中して再レースに臨んだものの、13秒88(-0.1)の組3着に終わり予選敗退が決まった[7]。
2017年6月の日本選手権110mハードルでは2位になるもロンドン世界選手権の参加標準記録(13秒48)を破ることができず、ロンドン世界選手権日本代表の座を逃した[8]。9月4日に自身のツイッターにて、8月中旬の練習中に左膝蓋骨亜脱臼し、松葉杖生活を送っていることを明らかにした。骨折はしておらず手術もしないが、これにより今シーズンを終えることになった。
2021年9月の全日本実業団対抗陸上競技選手権大会(長居陸上競技場)を最後に現役を引退。引退後はデサントの社員として陸上競技に関わっている[9]。
人物・エピソード
- ほぼ全ての人から第一印象は「チャラそう、軽そう、生意気そう」と言われるという。本人曰く「生意気そう」というのはあながち間違っていないという。性格は短気で負けず嫌い[2]。
- 好きなアーティストはSCANDAL[10]。都合が合えばライブにも頻繁に足を運ぶ[2]。
- 法政大学第二高等学校、法政大学と7年間法政で過ごしたこともあり、好きな色や勝負色は法政カラーであるオレンジと紺[2]。
注釈
- ^ 世界選手権を含めても2009年ベルリン大会の田野中輔以来7年ぶり。
- ^ 1レース目が終わった時点でタイムで拾われる4枠目の選手のタイムは13秒65だった。
出典
- ^ “中学、高校、大学と常にトップを走り続ける日本を代表するハードラー。今年の日本選手権も制しその強さは証明された。そんな若きハードラーの『根本にあるもの』をお聞きしました。/法政大学陸上部 矢澤航さん”. ガクセイ基地 (2013年10月30日). 2015年4月24日閲覧。
- ^ a b c d 「マイプライバシー(矢澤航)」『月刊陸上競技』第48巻第1号、講談社、2014年1月号、152頁。
- ^ a b c d 「トップ選手に学ぶ一流の「トレーニングメソッド」 男子110mH 矢澤 航(デサントTC)」『月刊陸上競技』第51巻第4号、講談社、2017年3月号、123-126頁。
- ^ 「大会フラッシュ 「デカネーション」に日本が初参加」『月刊陸上競技』第48巻第11号、講談社、2014年10月号、154-155頁。
- ^ “110Mハードルの矢沢、リオ参加標準突破”. デイリースポーツ (2016年6月5日). 2016年6月5日閲覧。
- ^ “男子110mハードル 矢澤航が五輪代表に”. NHKニュース (2016年6月26日). 2016年6月26日閲覧。
- ^ 「チームジャパン Close-up」『月刊陸上競技』第50巻第11月号、講談社、2016年10月号、131頁。
- ^ 「日本選手権」『月刊陸上競技』第51巻第9号、講談社、2017年8月号、16-17頁。
- ^ "110m障害矢沢航が現役引退表明「案外すっきりしている」リオ五輪代表". 日刊スポーツNEWS. 日刊スポーツ新聞社. 26 September 2021. 2023年8月22日閲覧。
- ^ “【陸上】関東インカレ直前特集2011第1弾~短距離ブロック~”. スポーツ法政 (2011年). 2015年4月24日閲覧。
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