片山杜秀 片山杜秀の概要

片山杜秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 00:42 UTC 版)

片山 杜秀
(かたやま もりひで)
人物情報
生誕 片山 素秀
(1963-08-29) 1963年8月29日(60歳)
日本宮城県仙台市
出身校 慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学
学問
時代 20世紀
21世紀
活動地域 日本
研究分野 政治学政治思想
歴史学
音楽
研究機関 慶應義塾大学
博士課程指導教員 蔭山宏
指導教員 橋川文三
主な受賞歴 吉田秀和賞(2008年)
サントリー学芸賞(2008年)
司馬遼太郎賞(2012年)
テンプレートを表示

経歴

宮城県仙台市生まれ。父は広告代理店に勤務するサラリーマン。育ちは東京で、小学校から高校まで暁星小学校中学校・高等学校に通う[2]慶應義塾大学法学部政治学科卒業、慶應義塾大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。慶應義塾大学では蔭山宏に師事。ただし大学院の修士課程は慶應ではなく、橋川文三を慕って明治大学大学院政治経済学研究科[3]で学んだ。専攻は政治思想史。学部時代は許光俊宮崎哲弥と親しく、共に三田レコード鑑賞会に所属。クラシック音楽の話題に興じ、山本薩夫監督の映画『戦争と人間』ごっこなどをして遊んだという。その後、宮崎とは2000年にクラシック音楽専門誌『グラモフォン・ジャパン』(新潮社)の9月号巻頭で「僕らの時代のフルトヴェングラー」という対談をおこなっている。また、弁論部にも所属した。また後年に、原田力男主宰の「零の会」同人[4][5]。2008年慶大法学部政治学科准教授(有期)。2011年、指導教授蔭山宏の定年退職と同時に、有期から専任となり三田キャンパスから日吉キャンパスに異動[6]。2013年教授。2009年から2011年まで国際日本文化研究センター客員准教授。また2020年4月からは三原市芸術文化センター・ポポロの館長も務めている[7]茨城県龍ケ崎市在住[8]

大学院時代からライター生活に入り、『週刊SPA!』のライター[9]、『産経新聞』のクラシック音楽演奏会批評家、月刊誌『レコード芸術[10]のレギュラー執筆者などを務めた。特に『週刊SPA!』で1994年から2002年まで続いたコラム「ヤブを睨む」は、政治、歴史、思想史(右翼研究)、経済、演劇、映画、音楽、文学、スポーツなど、幅広い内容で人気を得た。この400回以上のコラムは2010年に単行本化された。同時期には、ビジネス誌『ベンチャークラブ』に日本近代珍商売紹介、アニメ誌『MEGU』に新作洋画レヴュー、映画誌『プレミア』に「幻の日本映画探検隊」、『CDジャーナル』に「世紀末現代音楽講釈」など、10本以上の連載を抱えた。現在は『朝日新聞』の文芸時評とクラシック音楽評を担当する。また、吉田秀和賞[11]大宅壮一ノンフィクション賞小林秀雄賞サントリー音楽賞の選考委員を務める。2009年から2010年には読売新聞の読書委員を務めた。

思想史研究者としては、「中今」の概念、安岡正篤三井甲之などを取り上げ、原理日本社を再検討する一部学界の動向に影響を与えた。音楽評論家としては、伊福部昭の再評価、大澤壽人の楽譜発掘、ナクソス・レーベル日本作曲家選輯の企画構成などを行い、日本近代音楽史の読み直しをはかっている。またローム・ミュージック・ファンデーションによる戦前・戦中の日本のSPレコード復刻CD化に際して膨大な量の研究解説を執筆している。

受賞歴




「片山杜秀」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「片山杜秀」の関連用語

片山杜秀のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



片山杜秀のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの片山杜秀 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS