無効化の危機 その後

無効化の危機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/02 22:18 UTC 版)

その後

この危機の最終的解決とジャクソンの指導力は北部にも南部にも訴えるものがあった。歴史家でジャクソンの伝記作者ロバート・V・レミニは無効化が伝統的に州の権限をうたう南部州から引き出した反対を次のように表現した。

例えばアラバマ州議会は「理論的に不完全で実行は危険」という原則を宣言した。ジョージア州はそれが「有害」で「軽率で革命的」だと言った。ミシシッピ州の議員はサウスカロライナ州を「向こう見ずな慌て方」で行動していると窘めた[78]

フォレスト・マクドナルドは州の権限賛成者の中で無効化について分裂したことを表現して、「州の権限の原理は、大半のアメリカ人が思っているように、排他的にではなく、むしろ主に連邦政府の権威に対する州の反抗に関わっている」と書いた[79]

しかし、無効化の危機が終わるまでに、多くの南部人はジャクソン流民主主義者が南部の利益を代表しているのか疑問に感じ始めた。歴史家のウィリアム・J・クーパーは「多くの南部人がジャクソン流民主党のことを南部を守る楯となるよりも、南部を目指す槍になっていると考え始めた」と記した。この疎外感によって生まれた政治的空白にホイッグ党の南部派が形成された。この党はアンドリュー・ジャクソンとより具体的には「連邦と執行権限の定義」に対する反対という共通の糸で結ばれた興味の連衡であった。ホイッグ党には「都市、商業および国家主義的見解」を持つ元国民共和党員と元無効化派が含まれていた。「彼等は民主党員よりも南部人らしい」と強調し、「臆面もない活力と歓喜で奴隷制廃止問題を追及」することで南部の中で成長した。両党はどちらが南部の制度を守るのに適しているかを議論し、1840年代米墨戦争や領土拡張で問題となってきた自由の土地と奴隷制廃止運動との間の微妙な違いは、決して政治的対話の一部にならなかった。この失敗で奴隷制問題の不安定さを増していくことになった[80]

リチャード・エリスは、危機の終わりは新しい時代の始まりを意味したと主張した。州の権限運動の中で、単純に「弱い、不活発なつましい政府」という伝統的な願望は挑戦を受けた。エリスは「南北戦争に向かう時代の中で、無効化派とその奴隷制擁護同盟は連邦政府の権限拡張に努めるようなやり方で州の権限と州の主権を用いたので、特有な制度をより効果的に守ることができた」と述べている。州の権限は1850年代までに憲法の下での州の平等という要求になっていった[81]


マディソンはその論文の中に「私の国への助言」という2つの段落を残すことで、この初期の傾向に反応し、合衆国は「大事にされ不滅にされるべきである。それに対して公然と敵対するものは箱を開けられたパンドラと見なそう。またそれを装うものは天国に入ろうと執念深い策略を持って忍び寄る蛇だと見なそう」と宣言した。リチャード・ラッシュが1850年にこれを正式に出版し、その時までに南部の精神は非常に高まっていて、それが偽造だと非難した[82]

奴隷問題に関する南部の最初の試練は1835年の最後の連邦議会議事で始まった。ギャグルール討論と呼ばれるものの中で、奴隷制廃止論者達がワシントンD.C.における奴隷制奴隷貿易の停止に焦点を当てる反奴隷制請願で連邦議会を満たした。この討論は、サウスカロライナ州のヘンリー・ピンクニーやジョン・ハモンドに率いられる南部人が公式には請願を議会が受け取れないようにしたので、議事毎に再開された。ジョン・クィンシー・アダムズの指導で奴隷制の討論は1844年遅くまで国家的論題であり続け、議会は請願を処理する時の制限を全て解除した[83]

無効化の危機の残したものについてショーン・ウィレンツは次のように表現した。

北部および南部のジャクソン流民主主義の国家主義者たちと無効化派の地域主義者の間の党争は、その後の数十年間で奴隷制と反奴隷制の政治を通じて高鳴りを続けた。皮肉なことにジャクソンの勝利は首尾一貫して分かりやすい政治力として南部奴隷制擁護論の出現加速に貢献し、ジャクソンの党の内外で北部の反奴隷制論を固めていくことにも預かった。これらの展開は2つの基本的に相容れない民主主義、すなわち奴隷の南部と自由の北部を際立たせることを強めていった[4]

サウスカロライナ州にとって、無効化の危機の名残は危機の間に州内でできた分裂と、危機が解決された後の州の明らかな孤立という2つの問題にあった。サウスカロライナ州が最初に合衆国から脱退した州になった1860年までに、他の南部州よりも州内は一つに固まっていた。歴史家のチャールズ・エドワード・コーゼンは次のように書いている。

恐らくは他の南部州のどれよりも広範な程度まで、サウスカロライナ州は1860年の問題にいたる30年間にその指導者達が準備を行ってきた。州主権の原則に関わる教化、南部の制度を維持する必要性の教育、その利益に敵対する党派による連邦政府支配の危険性に対する警告、換言すると、或る状況下での脱退の原則と必要性の大衆教育が、奴隷制廃止論者達自身の熟達した宣伝に劣ることなく技術を持って遂行され成功していた。脱退をほとんど自然発生的に推進したのはサウスカロライナ州指導者によるこの教育、この宣伝であった[84]

  1. ^ Remini, Andrew Jackson, v2 pp. 136-137. Niven pg. 135-137. Freehling, Prelude to Civil War pg 143
  2. ^ Freehling, The Road to Disunion, pg. 255. Craven pg. 60. Ellis pg. 7
  3. ^ Craven pg.65. Niven pg. 135-137. Freehling, Prelude to Civil War pg 143
  4. ^ a b Wilentz pg. 388
  5. ^ Ellis pg. 4
  6. ^ McDonald pg. vii. マクドナルドは、「アメリカ独立宣言からレコンストラクションの終わりまでの1世紀にアメリカ合衆国を悩ませた全ての問題の中で最も広い問題は、連邦の性質と、全体政府の権限と幾つかの州の権限の間に引かれた線に関する不一致に関するものだった。時にはこの問題が密かに泡立ち、大衆の意識表面の中には見えなかった。時にはそれが爆発した。何度も全体政府と地方政府の権限の間にあるバランスはあっちに行ったりこっちに行ったりしているように思われ、混乱を新たにされ反対の場所に向かっているだけだったが、闘争は決して収まらなかった」と書いた。
  7. ^ Ellis pg. 1-2.
  8. ^ Full text of the Kentucky and Virginia Resolutions are available at http://www.constitution.org/cons/kent1798.htm and http://www.constitution.org/cons/virg1798.htm.
  9. ^ James Madison, James Madison, Virginia Resolutions, 21 Dec. 1798
  10. ^ Banning pg. 388
  11. ^ Brant, p. 297, 629
  12. ^ Brant, pp. 298.
  13. ^ Brant, p.629
  14. ^ Ketchum pg. 396
  15. ^ Wilentz pg. 80.
  16. ^ Ellis p.5. マディソンはアメリカ・システムの大半が違憲だと考えたために、憲法の修正を要求した。歴史家のリチャード・ビューエル・ジュニアは、ハートフォード会議からの最悪の事態に備えるために、マディソン政権はニューイングランドが脱退した場合に軍隊を介入させる準備をしたと言っている。カナダ国境にいた軍隊がオールバニまで近付き、必要なときはマサチューセッツ州あるいはコネチカット州に進めるようにしていた。ニューイングランドの軍隊はまた王党派に焦点を当てたものとして仕えるようにその徴兵地域に戻った。Buel pg.220-221
  17. ^ McDonald pg. 69-70
  18. ^ Wilentz pg.166
  19. ^ Wilentz pg. 181
  20. ^ Ellis pg. 6. Wilentz pg. 182.
  21. ^ Freehling, Prelude to Civil War pg. 92-93
  22. ^ Wilentz pg. 243.「経済史家のフランク・タウシッグは「この国で明らかに保護的政策の始まりになったと一般に言われている1816年関税法は、1789年関税法に始まる初期の一連の法にむしろ属しており、1824年、1828年および1832年の法律群とは違う物である。その最も高い恒久的関税率は20%であり、主に戦争の間に引き起こされた負債にかかる重い利率によって、以前の関税率に比べて増加したものだった。しかし、1819年の不況後、保護を求める動きが始まり、以前の時代には無かったような大衆の強い感情に後押しされた。」 http://teachingamericanhistory.org/library/index.asp?document=1136
  23. ^ Remini, Henry Clay pg. 232. Freehling, The Road to Disunion, pg. 257.
  24. ^ McDonald pg. 95
  25. ^ Brant, p. 622
  26. ^ Remini, Andrew Jackson, v2 pp. 136-137. マクドナルドは少し異なる理論的解釈を表明している。この法は「ニューイングランドの毛織物製造者、造船業者および船主に悪い影響を及ぼす」ものであり、ヴァン・ビューレンは、ニューイングランドと南部が結束して法案を廃案にすると読み、ジャクソン派には、北部には頑張ったけども必要な関税法を通せなかったと言い、南部には輸入税を増やす行動を阻止したと主張できる抜け道を用意できた。McDonald pg. 94-95
  27. ^ Cooper pg. 11-12.
  28. ^ Freehling, The Road to Disunion, pg. 255. 歴史家のアベリー・クレイブンは、「歴史家達は一般に、サウスカロライナ州の政治家達がいわゆる無効化の議論の中で実際の状況に対して苦闘していたという事実を無視した。歴史家達は国家主義と州の権限の間の大きな闘争を思い出し、これらの者達を単に論理のために憲法を洗練させることで騒いでいる理論家と表現した。ここにきて経済と農業の不況というはっきりした例が発生した。」Craven pg. 60
  29. ^ Ellis pg. 7. フリーリングは、州内で無効化に関わる分裂が一般にその地域が経済的に苦しんだ程度に比例していたと述べている。例外は「海岸地域の米と綿花の農園主」であり、経済不況にも耐えられる能力にも拘わらず無効化を支持した。この地域には奴隷の比率も最高に高い所だった。Freehling, Prelude to Civil War, pg. 25.
  30. ^ Cauthen pg. 1
  31. ^ Ellis pg. 7. Freehling, Road to Disunion, pg. 256
  32. ^ Freehling, Road to Disunion, pg. 254
  33. ^ Craven pg.65.
  34. ^ Niven pg. 135-137. Freehling, Prelude to Civil War pg 143.
  35. ^ South Carolina Exposition and Protest
  36. ^ Niven pg. 158-162
  37. ^ Niven pg. 161
  38. ^ Niven pg. 163-164
  39. ^ Walther pg. 123. Craven pg. 63-64.
  40. ^ Freehling, Prelude to Civil War pg. 149
  41. ^ Freehling, Prelude to Civil War pg. 152-155, 173-175. 州の協議会を招集するには州議会両院の3分の2以上の賛成が必要だった。
  42. ^ Freehling, Prelude to Civil War pg. 177-186
  43. ^ Freehling, Prelude to Civil War, pg. 205-213
  44. ^ Freehling, Prelude to Civil War, pg. 213-218
  45. ^ Peterson pg. 189-192. Niven pg. 174-181. カルフーンはマクダフィーの演説について、「私はそれを全く軽率と考え、ハミルトンにはそう書き送った。 … 私は明らかにそれが危機をもたらすものだと思い、即座に男らしく合わさねばならないと思った」と記した。フリーリングはしばしばその作品の中で、急進派のことを1831年以前でも「カルフーン派」と呼んでいる。これはカルフーンの『解説』の回りに集まった急進派がまだ実際ではないまでもカルフーンを思想的に好んだからだった。
  46. ^ Niven pg. 181-184
  47. ^ Ellis pg. 193. Freehling, Prelude to Civil War, pg. 257.
  48. ^ Freehling pg. 224-239
  49. ^ Freehling, Prelude to Civil War pg. 252-260
  50. ^ Freehling, Prelude to Civil War pg. 1-3.
  51. ^ Ellis pg. 97-98
  52. ^ Remini, Andrew Jackson, v. 3 pg. 14
  53. ^ Ellis pg. 41-43
  54. ^ Ellis p. 9
  55. ^ Ellis pg. 9
  56. ^ Brant, p.627.
  57. ^ Ellis pg. 10. Ellis wrote, 「しかし、無効化派がケンタッキー州とバージニア州決議に盛り込まれた原則の論理的拡張であると主張することで議論の多い原理を正当化する試みは、彼(マディソン)を動揺させた。出版も意図して念入りに書いた私的文書で、無効化派の主張の多くを否定し、特にサウスカロライナ州が、もしある州が連邦政府の法を無効化する場合、それは憲法の修正によってのみ覆されると主張したことを激しく非難した。」 Full text of the letter is available at http://www.constitution.org/jm/18300828_everett.htm.
  58. ^ Brant, pp. 626-7. ウェブスターは統合する立場を再度主張することは無かった。
  59. ^ McDonald pg.105-106
  60. ^ Remini, Andrew Jackson, v.2 pg. 233-235.
  61. ^ Remini, Andrew Jackson, v.2 pg. 233-237.
  62. ^ Remini, Andrew Jackson, v.2 pg. 255-256 Peterson pg. 196-197.
  63. ^ Remini, Andrew Jackson, v.2 pg. 343-348
  64. ^ Remini, Andrew Jackson, v.2 pg. 347-355
  65. ^ Remini, Andrew Jackson, v.2 pg. 358-373. Peterson pg. 203-212
  66. ^ Remini, Andrew Jackson, v.2 pg. 382-389
  67. ^ Ellis pg. 82
  68. ^ Remini, Andrew Jackson, v. 3 pg. 9-11. Full text of his message available at http://www.thisnation.com/library/sotu/1832aj.html
  69. ^ Ellis pg 83-84. Full document available at: http://www.yale.edu/lawweb/avalon/presiden/proclamations/jack01.htm
  70. ^ Ellis pg. 160-165. Peterson pg. 222-224. Peterson differs with Ellis in arguing that passage of the Force Bill “was never in doubt.”
  71. ^ Ellis pg. 99-100. Peterson pg. 217.
  72. ^ Wilentz pg. 384-385.
  73. ^ Peterson pg. 217-226
  74. ^ Peterson pg. 226-228
  75. ^ Peterson pg. 229-232
  76. ^ Freehling, Prelude to Civil War, pg. 295-297
  77. ^ Freehling, Prelude to Civil War, pg. 297. Willentz pg. 388
  78. ^ Remini, Andrew Jackson, v3. pg. 42.
  79. ^ McDonald pg. 110
  80. ^ Cooper pg. 53-65
  81. ^ Ellis pg. 198
  82. ^ Brant p. 646; ラッシュはマディソン夫人(ドリー・マディソン)の手にあった写しを出版した。原稿も存在した。当時のエドワード・コールズに宛てた手紙(Brant, p. 639)では問題の敵とは無効化派だと明らかにしている。
  83. ^ Freehling, Prelude to Civil War pg.346-356. McDonald (pg 121-122)は、1833年から1847年の期間の州の権限は「事実上党派に拠らない」連邦政府を作ることにほぼ成功したと見た。しかしこのことは、「国政の場が新しく上がってきた奴隷制問題の熱い議論の中心となり、テキサス共和国併合に付いての議論で沸騰点に達する」ようになって、政治的調和を保証できなくなった、としている。 pg. 121-122
  84. ^ Cauthen pg. 32





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