汪兆銘政権 軍事

汪兆銘政権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 03:17 UTC 版)

軍事

和平旗を掲げる「和平建国軍」と戦車
汪兆銘政権軍の兵士

1940年3月に創設された汪兆銘政府の軍隊・和平建国軍は、日本軍占領地における軍隊であったことから、日本政府の公認のもとに創設された軍隊であったことは言うまでもない[19]。この軍隊は、南京維新政府など既存政権の軍隊の吸収先であったのと同時に、汪政権を国民党における「和平政権」として正当化することを大きな目的のひとつとしていた[19]。したがって、日本軍(支那派遣軍)からは指導と物質的支援を受けていたにも関わらず、その目的が「治安粛正」への協力と「国民政府政策遂行」の2つに限定されており、日本軍と協力して蔣介石軍と交戦することはなかった[19]。すなわち、最初から「抗戦」を「和平」に転換させることが軍設立の目的だったのであり、重慶軍と戦わないことを大方針としており、いわば「戦わざる軍隊」という性格が本来的に付与されていた[19]。その意味からは、日本軍にとっての軍事的価値は決して高いものではなかった[19]。蔣介石の軍と比較しても、軍官学校出身者の割合も低く、指導者に対する忠誠心も概して薄かった[19]。ただし、汪政権は「反共」をもスローガンの一つに掲げているところから、共産党軍はいわば公然の敵として位置づけられていた[19]。これに対し、蔣政権は基本的に容共政策を採用しており、その政策が揺るがない限りは共産党と戦闘を交えることはなかったはずであるが、実際には和平軍と蔣介石軍の一派が協力して共匪(共産ゲリラ)と戦闘に及ぶこともあった[19]

汪政権の軍事体制は軍政権と軍令権が分けられていた。軍政権(軍の編成・維持・管理)は行政院に帰属し、行政院の下に軍政部・海軍部・航空署が設けられ、それぞれ陸軍海軍空軍を管掌した[19]。軍令権(軍の指揮運用)は軍事委員会に帰属し、参謀本部の管掌するところであった[19]

和平建国軍は、日本との軍事協定と借款協定によって整備・拡充され、旧維新政府軍や雑軍(東北軍、元西北軍)に加えて蔣介石軍の捕虜や投降者などが加わって急増した[19]。1945年8月の解散時には華北政務委員会の兵士を加えると総数約100万人、正規軍60万人以上に達していた[19]。重慶軍の離反者の急増は、かれらが自身の勢力を維持するという要求と和平建国軍の「戦わざる軍隊」という特質とが合致していたため促進された[19]。なお、「戦わざる軍隊」の特質が保持されたもう一つの理由は、汪兆銘死去前後からの陳公博と周仏海の路線対立も影響していた[19]。上述のように陳公博が「反共による再統合」を目指したのに対し、周仏海は「再統合による反共」を目指したため、結果的に重慶・南京が共同して「反共作戦」を展開することができず、和平建国軍は最後まで「戦わざる軍隊」のままであり、日本敗退後の南京の治安も日本軍によって保たれた[19]。陳公博が早々と死刑に処せられたのに対し、軍権を掌握しつつも蔣政権に投降するかたちとなった周仏海は、懲役刑には処せられたものの死刑は免れた[19]。いずれにしても、これにより重慶側・共産党はともに和平建国軍をほとんど無傷で編入できる機会を手に入れたのである[19]

和平建国軍は南京国民政府の解消とともに解散したのみならず、日中戦争終結後、その軍事指導者たちで「漢奸裁判」を免れた人はきわめて多い[19]。第一方面軍総司令の任援道などは海軍部長や軍事参議院長まで務めていながら漢奸裁判にかけられなかった[19]。汪政権下の文官漢奸としてきわめて厳罰に処されたのに比較すると、武官への処罰はたいへん少なく、あっても概して寛大なものであった[19]。100万を越える「戦わざる軍隊」が日中戦争終結後は比較的スムーズに蔣介石政権下の指揮下に入り、あるいは、苛酷との風評の多かった蔣政権による漢奸裁判から逃れるため、共産軍に走った人が少なくなかったのもそのためである[19][53]







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