林田五郎・柳家雪江 林田五郎・柳家雪江の概要

林田五郎・柳家雪江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 08:06 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

概要

五郎は漫才師では珍しくキリスト教牧師出身。のち林田多平という旅回りの役者に林田十郎とともに養子になる。1925年から軽口吉本寄席に林田十郎らと組む。コンビ名は兵庫の神戸にあった五郎池・十郎池または曾我五郎・十郎に由来。柳家雪江は初代桂春團治門人で最初は桂春江といった。大正末頃から女道楽でひとりで舞台を勤め、後に柳家小雪と組んでいたこともある。

1929年頃コンビ結成。戦中の漫才は和装三味線が当たり前の時代、五郎は洋服姿でモダンな社交ダンス日本舞踊を踊ったり、芝居仕立ての舞踊を踊ったりだとか華やかな芸であった。雪江は女道楽出身だけあってあらゆる邦楽が得意だった。

1939年4月に吉本の中でミスワカナ・玉松一郎新興演芸部に引き抜かれて以降、数少ない男女コンビで売り出される。

戦後もしばらく舞台に出たが1949年12月、名古屋富士劇場が最後の舞台となり1950年に五郎が覚せい剤(ヒロポン)、睡眠薬の乱用で自宅の京都祇園で死去した、雪江は女道楽で舞台に出ていたが、セミリタイア状態で昭和30年代に初代ミスワカナの娘の3代目ミスワカナ(後の吉本新喜劇座員の三崎希於子)とコンビを組んで舞台を復帰したが10ヶ月ほどで解消する。1963年に雪江が死去。

メンバー

徳島県出身。
岡山県出身。夫は曲芸の東洋一郎[要出典]

出典

関連項目

外部リンク




「林田五郎・柳家雪江」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「林田五郎・柳家雪江」の関連用語

林田五郎・柳家雪江のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



林田五郎・柳家雪江のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの林田五郎・柳家雪江 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS