朴智星 経歴

朴智星

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 22:36 UTC 版)

経歴

プロ入りまで

全羅南道高興郡生まれ、水原市で育つ[8]。小学4年時にサッカーを始めたものの、韓国サッカーでは全くの無名選手で、朴自身も「高校時代はKリーグのドラフトにかかりませんでした」と回想している。水原工業高校では全国優勝した[9]。ドラフトにかからなかった理由として、当時の指導者は体の小ささを挙げている[10]

1999年1月、明知大学校監督の金煕泰に才能を見い出され、特待生として入学する予定だった明知大のサッカー部の合宿に早期合流し、その時行われた韓国五輪代表との練習試合で目ぼしい活躍を見せたため、以降はU-23韓国代表に選ばれるようになる。2000年4月5日にはAFCアジアカップ予選ラオス戦でA代表デビューも果たした。

大学在学中の2000年6月、朴のその才能を早期にプロで開花させるべきと考えた前出の金煕泰明知大監督は、旧知の間柄である当時の京都パープルサンガ木村文治総監督に相談した結果、朴の京都への加入が実現し、日本でプロデビューすることとなった[9]。この際、明知大にはサッカー部発展基金という名目で1億ウォンが京都から支払われた。

京都パープルサンガ時代

1シーズン目から中盤の控えとして出場機会があったが、京都が2001年にJ2に降格した2シーズン目から、朴のその活躍ぶりは顕著になる。主にボランチのポジションで38試合に出場、3得点を挙げ、メキメキと頭角を現しだし京都のJ1昇格に貢献。J1昇格後はボランチで起用されていたが、韓国代表ではヒディング監督にウィングに抜擢され日韓ワールドカップでも得点を取るなど大活躍し、またワールドカップ期間中に斉藤大介のボランチ起用の目処が立ったことから、ウィングにコンバートされ松井大輔黒部光昭と3トップを形成し、年間5位の立役者となる。怪我を押して出場した第82回天皇杯の決勝でも朴は同点ゴールを決め、京都の逆転優勝に貢献した。在籍中は大阪経済法科大学に在学し、日本語を流暢に話せるようになるまで学習するなど日本を好きになる努力も見せた。

PSVアイントホーフェン時代

2003年、朴は元韓国代表監督であったフース・ヒディンクの推薦を受け、オランダ・エールディヴィジPSVアイントホーフェンに移籍。

1年目のシーズンには一時期不調に陥った。交際していた年上の女性と別れたことが原因の心理的スランプだとオランダ[どこ?]などで報道され、韓国紙[どこ?]でも「別れた原因はオランダと韓国の遠距離恋愛」などと報じられた。朴もこうした報道に嫌気が刺し、ますますふさぎこんだという。

朴は、オランダでの3年間で2度のリーグ制覇を経験している。特に3年目のシーズンは中心選手としてチームを牽引した。UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05の準決勝でセリエAACミランと対決し、ミランのホーム、サン・シーロで行われた第1試合では、再三にわたりミランのDF陣を切り裂き、賞賛された。PSVのホームに戻った第2試合では、鮮やかな先制ゴールを奪い、ミランに対しリードを奪うが、終了間際にマッシモ・アンブロジーニにゴールを決められ、アウェーゴール数の差により決勝進出はならなかった。この活躍により、朴はUEFAが発表した2005年のポジション別MVPのFW部門でアンドリー・シェフチェンコアドリアーノ・レイテ・リベイロサミュエル・エトーロナウジーニョと共にMVP候補に選ばれた[11]。また、同年のリーグ優勝決定試合でも貴重なゴールを決めた。

朴に魅了されたPSVのサポーターは朴についての歌をつくり、この歌はPSVの公式アルバム「PSV Kampioen」に「Song for Park」という名で収録された[12]

マンチェスター・ユナイテッド時代

マンチェスター・ダービーでの朴(2008年2月10日)
2008年4月、FCバルセロナ戦後の朴

2002年W杯のベスト4と、2005年UEFAチャンピオンズリーグのベスト4(PSV時代)という実績は、イングランド・プレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドの監督アレックス・ファーガソンの目に留まり、2005年7月に400万ポンドの金額でマンチェスター・ユナイテッドに移籍。しかし、加入当初の英国メディアの論調は厳しく、それまでプレミアリーグで成功を収めたアジア人選手がいなかったこと、多くのアジア人選手が、アジアのサッカーマーケット開拓の道具として獲得されていることなどから、朴も広告塔としての加入ではないかと懐疑の目が向けられた。朴の実力を評価した専門家も、マンチェスター・ユナイテッドというビッグクラブで出番機会が与えられるのか不安視していた。

すると、周囲の喧騒をよそに2005-06シーズンの開幕戦で初出場・先発を果たし、攻守に献身的なプレースタイルと質の高いフリーランニングで活躍した。最終的にレギュラーとしてプレミアリーグで38試合中33試合に出場し、2得点7アシストを記録。中でもユナイテッドのライバルであるアーセナルFC戦ではゴールを奪う活躍を見せた。

中盤から前のポジションであれば、センターフォワード以外はどこでもこなせる高い順応性、試合が終盤にさしかかっても落ちない運動量が大きく評価されている。しかし、2006-07シーズンは膝の怪我が相次ぎ、リーグ戦では5得点を挙げるも、わずかな出場に終わった。だが、膝の怪我は古傷を再び痛めたもので手術が必要となり、リハビリを含めれば1年、もしくはそれ以上の長期間にわたって出場ができないのではないかと危ぶまれていたが、2007年12月26日に行われたサンダーランド戦で復帰した。2007-08シーズンには難攻不落のスタンフォード・ブリッジでのチェルシーとの対戦でゴールを奪いマン・オブ・ザ・マッチに選出された[13]

UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08では準々決勝のASローマ戦、準決勝のFCバルセロナ戦で4試合連続フル出場を果たし[14]、ASローマとの1stレグではウェイン・ルーニーのゴールをアシストし、バルセロナ戦では走行距離12キロを記録するなど印象的な活躍を見せた[15][16]。決勝戦には出場できなかったが、大会を通して印象的な活躍をし、チームのUEFAチャンピオンズリーグ優勝に大きく貢献した。またアジア人として初めてUEFAチャンピオンズリーグのタイトルを手にした[17][18]

2008-09シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ 2008-09の準決勝アーセナル戦で先制ゴールを奪いチームを決勝へと導き、CL決勝の舞台にアジア人プレイヤーとして初めてピッチに立った。2009-10シーズンはまたもやアーセナル相手にゴールを奪い、エミレーツ・スタジアムでのリーグ戦でユナイテッドに初の勝利をもたらすと[13]、この年のCL決勝トーナメント1回戦ではACミランからゴールを奪いチームをベスト8に導いた。またミランの司令塔アンドレア・ピルロを完璧に封じた[19][20]リオ・ファーディナンドEURO2012のイングランド対イタリア戦におけるピルロの活躍に触れた際、この試合に言及して「朴智星は当時、最高のマンツーマン守備を見せた」とし「ピルロは眠りながらも朴智星を見たはずだ」と述べている[19][20]。更にこの年にはリヴァプールとの一戦で決勝点となるダイビングヘッドを決めリオ・ファーディナンドから「怪物のようだ」とも評された[21]

2010-11シーズンはアーセナルとの首位決戦で決勝点を奪い、この試合を機にチームはアーセナルを抜き首位に浮上。UEFAチャンピオンズリーグの準々決勝チェルシーとの2ndレグでも決勝点を奪い、チームを決勝に導いた。同年、本拠地オールド・トラッフォードに前年の王者で2位のチェルシーを迎えた天王山では、チチャリートへの先制アシストなどの攻守にわたる貢献で最大のライバルを下し、2010-11シーズンのプレミアリーグを制覇。これによりリヴァプールの18度の優勝回数を抜いて、マンチェスター・ユナイテッドにイングランドフットボール史上最も成功したクラブという称号をもたらしたメンバーの1人となった。UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11でも、アジア人として初となる決勝スタメンフル出場を果たした。

マンチェスター・ユナイテッドのチームメイトやファーガソン監督からは「Ji(ジー)」というニックネームで呼ばれていた[2]。チームメイトの中では特にパトリス・エヴラと仲が良かった。

2011-12シーズン、2012年2月6日のチェルシー戦で公式戦200試合出場の記録を達成した。同月24日に行われたUEFAチャンピオンズリーグのアヤックス戦では、キャプテンとして出場した。そして同シーズンを限りに、7シーズンに及んだマンチェスター・ユナイテッドとの契約が終了した。

QPR時代

2012年7月9日、朴はイングランド・プレミアリーグに所属するクイーンズ・パーク・レンジャーズFCへ移籍した[22]。QPRは同シーズンで有力選手の補強を積極的に進め[23]、朴は監督のマーク・ヒューズによってチームの主将に指名されたが、朴自身の負傷や不調もあってチームは低迷してヒューズは解任された。後任監督のハリー・レドナップによって主将から外された朴は不振を払拭できず、QPRは翌シーズンから2部相当のフットボールリーグ・チャンピオンシップ降格が決まった[24]

PSVアイントホーフェン復帰

2013年8月8日、古巣のPSVアイントホーフェンレンタル移籍[25]。リーグ戦34試合中23試合に出場(うち21試合で先発)し、2得点の成績を残し、PSVのUEFAヨーロッパリーグ(2014-15シーズン)進出とリーグ戦最終順位4位(2013-14シーズン)に貢献した。2014年5月14日に朴智星サッカーセンターで会見を開き、膝の怪我を理由に現役生活からの引退を発表した[26][27]。また、交際中のキム・ミンジと結婚することを同時発表した[28]。引退に際し、後悔する事は無いこと、自分が想像していた以上の事を成し遂げられたこと、サポートしてくれた人々に恩返しをしたいと語った[29]


  1. ^ a b Goal.com. “Ji-Sung Park Profile”. 2011年8月10日閲覧。
  2. ^ a b c パクの献身を称えるリオ&エブラ”. Goal.com (2011年5月18日). 2022年8月13日閲覧。
  3. ^ 고흥 공설운동장 명칭 ‘박지성 운동장’으로” (朝鮮語). m.kwangju.co.kr (2011年4月5日). 2023年8月2日閲覧。
  4. ^ “United's Park first Asian to play Champions League final”. Reuters. (2009年5月27日). http://in.reuters.com/article/sportsNews/idINIndia-39922820090527 2009年12月26日閲覧。 
  5. ^ Jリーグ発のスター、パク・チソンは過小評価された大物? ルーニー「C・ロナウドと同じくらい重要だった」”. 2023年9月24日閲覧。
  6. ^ パク・チソン、アジア人史上初の3大会連続ゴール ゲキサカ 2010年6月13日閲覧
  7. ^ http://www.manutd.jp/ja-JP/NewsAndFeatures/Features/2013/Oct/17-Park-spark.aspx
  8. ^ Ducker, James (2009年5月26日). “Park Ji Sung is a Seoul star out of the ordinary”. The Times (News Corporation). オリジナルの2011年5月26日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/5yyfIfbgf?url=http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/football/premier_league/manchester_united/article6360834.ece 2011年8月10日閲覧。 
  9. ^ a b 京都新聞 (2002年5月). “W杯 韓国代表 朴智星の軌跡(2)19歳の決意”. http://www.kyoto-np.co.jp/sanga/rensai2002/paku/paku02.html 2011年8月10日閲覧。 
  10. ^ “朴智星の恩師「体が小さくてどこも智星をスカウトしなかった」”. 朝鮮日報. (2005年11月29日). http://www.chosunonline.com/news/20051129000042 2011年8月10日閲覧。 
  11. ^ UEFA (2005年8月22日). “Liverpool stars head nominees”. uefa.com. 2011年8月10日閲覧。
  12. ^ “Park Ji-Sung pulls the strings for South Korea”. CBA. (2009年11月25日). http://www.cbc.ca/sports/soccer/fifaworldcup/features/story/2009/11/13/spf-park-jisung-skorea.html 2010年7月31日閲覧。 
  13. ^ a b サッカーキング (2011年4月15日). “パク・チソンはマンUの躍進に不可欠な“ビッグマッチ男””. 2011年8月10日閲覧。
  14. ^ <サッカー>マンUファン「朴智星はメダルを受ける資格が十分」 - 中央日報2008年5月27日
  15. ^ コラム:アジアのパイオニア、パク・チソンの7年間 QPR移籍が決定したパクのユナイテッドでの軌跡を振り返る - goal.com 2012/7/10
  16. ^ wikipedia英語版 Park Ji-Sung
  17. ^ livedoorスポーツ、2008年5月25日記事、「パク・チソンのCL決勝不出場で韓国紙が騒然
  18. ^ スポーツ朝鮮、2009年2月17日記事、「ファーガソン監督、「決定力不足」パク・チソン、決勝で除外した。(朝鮮語)
  19. ^ a b <サッカー>ファーディナンド「朴智星がいればピルロを封じた」 - 中央日報2012年6月25日
  20. ^ a b Vanessa Keller.Ferdinand: United Star Would Be A Nightmare For Italian Hero.SPORTS&STARS.2012/6/25
  21. ^ Coppack, Nick (2001年3月21日). “リオがパク・チソンの活躍を称賛”. ManUtd.jp. 2011年8月10日閲覧。
  22. ^ QPR complete signing of Man Utd midfielder Park Ji-sung” (英語). 英国放送協会 (2012年7月9日). 2012年7月12日閲覧。
  23. ^ サッカーキングウェブサイト、2013年5月1日付記事 「大型補強実らず2部降格のQPR、選手が大量流出へ
  24. ^ サッカーキングウェブサイト、2013年5月1日付記事 「パク・チソンが2部降格のQPR退団を検討か…MLS移籍が浮上
  25. ^ Ji-Sung Park keert terug bij PSV”. PSV公式サイト (2013年8月8日). 2014年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月8日閲覧。
  26. ^ 朴智星が現役引退を発表、2014年5月14日、朝鮮日報
  27. ^ 朴智星が現役引退宣言「体調良くなくて」、2014年5月14日、中央日報
  28. ^ サッカー元韓国代表の朴智星が引退 7月に女子アナと挙式、2014年5月14日、朝鮮日報
  29. ^ “Park Ji-Sung: Former Man Utd & South Korea player retires”. BBC Sport. (2014年5月14日). http://www.bbc.co.uk/sport/0/football/27404603 2014年5月15日閲覧。 
  30. ^ 慎 武宏 (2009年6月25日). “【慎武宏コラム】W杯最終予選B組総括「“チェンジ”したふたつのコリア」新たなリーダーの下生まれ変わった韓国”. FOOTBALL WEEKLY. 2011年8月10日閲覧。
  31. ^ 朴智星、北京五輪出場に前向き”. 朝鮮日報 (2007年9月22日). 2010年3月19日閲覧。
  32. ^ レジェンド躍動 設立20周年記念試合”. 京都新聞 (2014年6月29日). 2014年7月12日閲覧。
  33. ^ 京都、朴智星氏に白星贈ることできず”. 日刊スポーツ (2014年6月28日). 2014年7月12日閲覧。
  34. ^ http://sports.news.naver.com/sports/index.nhn?category=k_league&ctg=news&mod=read&office_id=144&article_id=0000261973 スポーツ傾向2014年7月25日
  35. ^ パク・チソン、マンチェスターのアンバサダーに! アジア初、7人目の栄誉 WoW!Korea 2014年10月1日
  36. ^ パク・チソン選手、非ヨーロッパ初のマンユー広報大使に選定 Innolife 2014/10/01
  37. ^ [1] Innolife 2021/12/21
  38. ^ 慎 武宏 (2008年6月). ““アジアの誇り”パク・チソン、胸に秘めたさらなる飛躍”. EAFF.com. http://www.eaff.com/j/fanzone/eaplayers/004.html 2011年8月10日閲覧。 
  39. ^ Wilson, Jonathan (2009年6月4日). “The Question: Are defensive forwards the future?”. London: The Guardian. http://www.guardian.co.uk/sport/blog/2009/jun/04/defensive-forwards-barcelona-liverpool-manchester-united 
  40. ^ Cox, Michael.Tactics: Manchester United use wingers to great effect Archived 2011年4月18日, at the Wayback Machine.. ITV.
  41. ^ a b Ji-Sung Park – Quote, Unquote” (英語). ManUtd.com. Manchester United. 2011年8月10日閲覧。
  42. ^ Ji-Sung Park – Quote, Unquote”. ManUtd.com. Manchester United. 2011年4月22日閲覧。
  43. ^ <サッカー>朴智星、マンUで200試合出場の大記録 - 中央日報2012/2/7
  44. ^ Bartram, Steve (2011年4月12日). “監督「チームは最高の調子にある」”. ManUtd.jp. 2011年8月10日閲覧。
  45. ^ パク・チソンを信頼するファーガソン”. Goal.com (2011年4月25日). 2011年8月10日閲覧。
  46. ^ パク・チソンの退団にファーガソン「QPRでは必ず成功出来る」 - ゲキサカ2012/7/10
  47. ^ Marshall, Adam (2011年4月13日). “Ji-sung is our unsung hero” (英語). MANUTD.com. 2011年8月10日閲覧。
  48. ^ サイモン・ハート (2011年4月13日). “タイミングのいい得点を喜ぶギグス”. Uefa.com. 2011年8月10日閲覧。
  49. ^ ファーディナンド、パク・チソン移籍に「悲しい」元チームメートを絶賛 goal.com2012/07/10
  50. ^ Muro, Giuseppe (2010年12月13日). “Wenger - Park is a Ljungberg-type player” (英語). Arsenal.com. 2001年8月10日閲覧。
  51. ^ FOOTBALLIST 2016年1月30日記事、「(鹿児島ライブ)愉快な松井"パクチソンにご飯おごれと伝えて"(朝鮮語)
  52. ^ 一例として、スポーツニッポン2010年10月10日付記事、「松井、全体練習合流へ!「朴が待っているので」
  53. ^ ランダムハウス講談社. “信じるチカラ パク・チソン自伝”. オリジナルの2008年12月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20081223141941/http://www.randomhouse-kodansha.co.jp/books/details.php?id=342 2011年8月10日閲覧。 
  54. ^ 集英社「ウェブスポルティーバ」、2011年3月18日付記事、吉崎エイジーニョパク・チソンら元Jリーガー韓国人選手たちから被災地へのメッセージ
  55. ^ レコードチャイナ2011年2月8日付、「韓国とアジアのサッカーに貢献したい」…朴智星が財団を設立
  56. ^ a b ライブドアスポーツ、サッカーキング配信、2011年6月16日付記事、「ヒデ&カズが夢の“共演”、パク・チソン主催の慈善試合で1ゴール1アシストの活躍
  57. ^ [2](朝鮮語)
  58. ^ ネイバーニュース、2013年6月23日付記事、「安英学、『智星、先制ゴールおめでとう』(朝鮮語)
  59. ^ 横浜FC公式サイト 2012年5月20日付リリース 「三浦知良選手「Asian Dream Cup 2012」参加のお知らせ
  60. ^ 安英学公式ツイッター(認証済み)、2013年6月24日付投稿、「パク・チソン選手が代表をつとめる財団が主催したチャリティーマッチに行ってきました。in 上海
  61. ^ Includes other competitive competitions, including the Johan Cruijff-schaal, FA Community Shield, UEFA Super Cup, Intercontinental Cup and FIFA Club World Cup
  62. ^ Endlar, Andrew. “Park Ji-Sung”. StretfordEnd.co.uk. 2010年9月26日閲覧。
  63. ^ 京都新聞 2002年12月6日
  64. ^ 2005年6月1日『中央日報』
  65. ^ 2005年10月3日『中央日報』
  66. ^ 2009年1月8日『中央日報』
  67. ^ 2009年8月11日『中央日報』






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「朴智星」の関連用語

朴智星のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



朴智星のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの朴智星 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS