朴智星
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経歴
プロ入りまで
全羅南道高興郡生まれ、水原市で育つ[8]。小学4年時にサッカーを始めたものの、韓国サッカーでは全くの無名選手で、朴自身も「高校時代はKリーグのドラフトにかかりませんでした」と回想している。水原工業高校では全国優勝した[9]。ドラフトにかからなかった理由として、当時の指導者は体の小ささを挙げている[10]。
1999年1月、明知大学校監督の金煕泰に才能を見い出され、特待生として入学する予定だった明知大のサッカー部の合宿に早期合流し、その時行われた韓国五輪代表との練習試合で目ぼしい活躍を見せたため、以降はU-23韓国代表に選ばれるようになる。2000年4月5日にはAFCアジアカップ予選のラオス戦でA代表デビューも果たした。
大学在学中の2000年6月、朴のその才能を早期にプロで開花させるべきと考えた前出の金煕泰明知大監督は、旧知の間柄である当時の京都パープルサンガ・木村文治総監督に相談した結果、朴の京都への加入が実現し、日本でプロデビューすることとなった[9]。この際、明知大にはサッカー部発展基金という名目で1億ウォンが京都から支払われた。
京都パープルサンガ時代
1シーズン目から中盤の控えとして出場機会があったが、京都が2001年にJ2に降格した2シーズン目から、朴のその活躍ぶりは顕著になる。主にボランチのポジションで38試合に出場、3得点を挙げ、メキメキと頭角を現しだし京都のJ1昇格に貢献。J1昇格後はボランチで起用されていたが、韓国代表ではヒディング監督にウィングに抜擢され日韓ワールドカップでも得点を取るなど大活躍し、またワールドカップ期間中に斉藤大介のボランチ起用の目処が立ったことから、ウィングにコンバートされ松井大輔、黒部光昭と3トップを形成し、年間5位の立役者となる。怪我を押して出場した第82回天皇杯の決勝でも朴は同点ゴールを決め、京都の逆転優勝に貢献した。在籍中は大阪経済法科大学に在学し、日本語を流暢に話せるようになるまで学習するなど日本を好きになる努力も見せた。
PSVアイントホーフェン時代
2003年、朴は元韓国代表監督であったフース・ヒディンクの推薦を受け、オランダ・エールディヴィジのPSVアイントホーフェンに移籍。
1年目のシーズンには一時期不調に陥った。交際していた年上の女性と別れたことが原因の心理的スランプだとオランダ紙[どこ?]などで報道され、韓国紙[どこ?]でも「別れた原因はオランダと韓国の遠距離恋愛」などと報じられた。朴もこうした報道に嫌気が刺し、ますますふさぎこんだという。
朴は、オランダでの3年間で2度のリーグ制覇を経験している。特に3年目のシーズンは中心選手としてチームを牽引した。UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05の準決勝でセリエA・ACミランと対決し、ミランのホーム、サン・シーロで行われた第1試合では、再三にわたりミランのDF陣を切り裂き、賞賛された。PSVのホームに戻った第2試合では、鮮やかな先制ゴールを奪い、ミランに対しリードを奪うが、終了間際にマッシモ・アンブロジーニにゴールを決められ、アウェーゴール数の差により決勝進出はならなかった。この活躍により、朴はUEFAが発表した2005年のポジション別MVPのFW部門でアンドリー・シェフチェンコ、アドリアーノ・レイテ・リベイロ、サミュエル・エトーとロナウジーニョと共にMVP候補に選ばれた[11]。また、同年のリーグ優勝決定試合でも貴重なゴールを決めた。
朴に魅了されたPSVのサポーターは朴についての歌をつくり、この歌はPSVの公式アルバム「PSV Kampioen」に「Song for Park」という名で収録された[12]。
マンチェスター・ユナイテッド時代
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2002年W杯のベスト4と、2005年UEFAチャンピオンズリーグのベスト4(PSV時代)という実績は、イングランド・プレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドの監督アレックス・ファーガソンの目に留まり、2005年7月に400万ポンドの金額でマンチェスター・ユナイテッドに移籍。しかし、加入当初の英国メディアの論調は厳しく、それまでプレミアリーグで成功を収めたアジア人選手がいなかったこと、多くのアジア人選手が、アジアのサッカーマーケット開拓の道具として獲得されていることなどから、朴も広告塔としての加入ではないかと懐疑の目が向けられた。朴の実力を評価した専門家も、マンチェスター・ユナイテッドというビッグクラブで出番機会が与えられるのか不安視していた。
すると、周囲の喧騒をよそに2005-06シーズンの開幕戦で初出場・先発を果たし、攻守に献身的なプレースタイルと質の高いフリーランニングで活躍した。最終的にレギュラーとしてプレミアリーグで38試合中33試合に出場し、2得点7アシストを記録。中でもユナイテッドのライバルであるアーセナルFC戦ではゴールを奪う活躍を見せた。
中盤から前のポジションであれば、センターフォワード以外はどこでもこなせる高い順応性、試合が終盤にさしかかっても落ちない運動量が大きく評価されている。しかし、2006-07シーズンは膝の怪我が相次ぎ、リーグ戦では5得点を挙げるも、わずかな出場に終わった。だが、膝の怪我は古傷を再び痛めたもので手術が必要となり、リハビリを含めれば1年、もしくはそれ以上の長期間にわたって出場ができないのではないかと危ぶまれていたが、2007年12月26日に行われたサンダーランド戦で復帰した。2007-08シーズンには難攻不落のスタンフォード・ブリッジでのチェルシーとの対戦でゴールを奪いマン・オブ・ザ・マッチに選出された[13]。
UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08では準々決勝のASローマ戦、準決勝のFCバルセロナ戦で4試合連続フル出場を果たし[14]、ASローマとの1stレグではウェイン・ルーニーのゴールをアシストし、バルセロナ戦では走行距離12キロを記録するなど印象的な活躍を見せた[15][16]。決勝戦には出場できなかったが、大会を通して印象的な活躍をし、チームのUEFAチャンピオンズリーグ優勝に大きく貢献した。またアジア人として初めてUEFAチャンピオンズリーグのタイトルを手にした[17][18]。
2008-09シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ 2008-09の準決勝アーセナル戦で先制ゴールを奪いチームを決勝へと導き、CL決勝の舞台にアジア人プレイヤーとして初めてピッチに立った。2009-10シーズンはまたもやアーセナル相手にゴールを奪い、エミレーツ・スタジアムでのリーグ戦でユナイテッドに初の勝利をもたらすと[13]、この年のCL決勝トーナメント1回戦ではACミランからゴールを奪いチームをベスト8に導いた。またミランの司令塔アンドレア・ピルロを完璧に封じた[19][20]。リオ・ファーディナンドはEURO2012のイングランド対イタリア戦におけるピルロの活躍に触れた際、この試合に言及して「朴智星は当時、最高のマンツーマン守備を見せた」とし「ピルロは眠りながらも朴智星を見たはずだ」と述べている[19][20]。更にこの年にはリヴァプールとの一戦で決勝点となるダイビングヘッドを決めリオ・ファーディナンドから「怪物のようだ」とも評された[21]。
2010-11シーズンはアーセナルとの首位決戦で決勝点を奪い、この試合を機にチームはアーセナルを抜き首位に浮上。UEFAチャンピオンズリーグの準々決勝チェルシーとの2ndレグでも決勝点を奪い、チームを決勝に導いた。同年、本拠地オールド・トラッフォードに前年の王者で2位のチェルシーを迎えた天王山では、チチャリートへの先制アシストなどの攻守にわたる貢献で最大のライバルを下し、2010-11シーズンのプレミアリーグを制覇。これによりリヴァプールの18度の優勝回数を抜いて、マンチェスター・ユナイテッドにイングランドフットボール史上最も成功したクラブという称号をもたらしたメンバーの1人となった。UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11でも、アジア人として初となる決勝スタメンフル出場を果たした。
マンチェスター・ユナイテッドのチームメイトやファーガソン監督からは「Ji(ジー)」というニックネームで呼ばれていた[2]。チームメイトの中では特にパトリス・エヴラと仲が良かった。
2011-12シーズン、2012年2月6日のチェルシー戦で公式戦200試合出場の記録を達成した。同月24日に行われたUEFAチャンピオンズリーグのアヤックス戦では、キャプテンとして出場した。そして同シーズンを限りに、7シーズンに及んだマンチェスター・ユナイテッドとの契約が終了した。
QPR時代
2012年7月9日、朴はイングランド・プレミアリーグに所属するクイーンズ・パーク・レンジャーズFCへ移籍した[22]。QPRは同シーズンで有力選手の補強を積極的に進め[23]、朴は監督のマーク・ヒューズによってチームの主将に指名されたが、朴自身の負傷や不調もあってチームは低迷してヒューズは解任された。後任監督のハリー・レドナップによって主将から外された朴は不振を払拭できず、QPRは翌シーズンから2部相当のフットボールリーグ・チャンピオンシップ降格が決まった[24]。
PSVアイントホーフェン復帰
2013年8月8日、古巣のPSVアイントホーフェンにレンタル移籍[25]。リーグ戦34試合中23試合に出場(うち21試合で先発)し、2得点の成績を残し、PSVのUEFAヨーロッパリーグ(2014-15シーズン)進出とリーグ戦最終順位4位(2013-14シーズン)に貢献した。2014年5月14日に朴智星サッカーセンターで会見を開き、膝の怪我を理由に現役生活からの引退を発表した[26][27]。また、交際中のキム・ミンジと結婚することを同時発表した[28]。引退に際し、後悔する事は無いこと、自分が想像していた以上の事を成し遂げられたこと、サポートしてくれた人々に恩返しをしたいと語った[29]。
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- ^ 安英学公式ツイッター(認証済み)、2013年6月24日付投稿、「パク・チソン選手が代表をつとめる財団が主催したチャリティーマッチに行ってきました。in 上海」
- ^ Includes other competitive competitions, including the Johan Cruijff-schaal, FA Community Shield, UEFA Super Cup, Intercontinental Cup and FIFA Club World Cup
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