木村芥舟 逸話

木村芥舟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 05:48 UTC 版)

逸話

  • 初出仕の際、父親が年齢(官年)を17歳と偽って幕府に届け出ていた(実際は12歳)。
  • 渡米の際、木村は咸臨丸の乗組員たちが西洋の軍人に対して見劣りがしないように、士分の者には加増、それ以外の者達にも相応の俸給を幕府に要望したが受け入れられなかったため、家財を処分して3千両の資金を捻出してこれに充てた。幕府からも渡航費用として5百両を下賜されたが、これにはほとんど手を付けず、帰国後に返還している。
  • サンフランシスコ入港後、木村は乗組員らに「無断外泊の禁止」「単独行動の禁止」「私的な飲食(飲酒)の禁止」などを通達したので、咸臨丸の一行は現地の人々との間にトラブルをほとんど起こさず、その礼儀正しさを賞讃された。
  • サンフランシスコで新聞社を訪問した時に、印刷した名刺をプレゼントされた。これによって、日本人として最初に印刷した名刺を使用した人物とされる。名刺には次の文字が印刷されていた。
Admiral KIM-MOO-RAH SET-TO-NO-KAMI, Japanese Steam Corvette CANDINMARRUH.
(日本国蒸気コルベット咸臨丸 提督木村摂津守) — 木村摂津守、新人物往来社 2007、49頁
  • 木村のことを終生尊敬していた福澤諭吉は、維新後の木村家に経済的な援助を続けていた。日清戦争に出征した木村の息子・浩吉に宛てた黄海海戦の勝利を祝う手紙に「万が一、君が討死しても、ご両親の面倒は私の命が続く限り見るから安心しなさい」とつづっている[6]。戦後、浩吉が福澤を訪ねて「自分も昇進して生活も安定したので」と援助の辞退を申し出ると、「貴方に援助している訳ではない、お父上に心尽くしをしているだけだ」と怒られたという。

注釈

  1. ^ ブルックらが帰国のために咸臨丸に便乗したというのは誤りである。
  2. ^ 当初、留学先にはアメリカを予定していたが南北戦争勃発により果たせなかった。
  3. ^ この構想は明治に入ってから連合艦隊として結実する。
  4. ^ このことについては商法講習所(一橋大学の前身)講師であったウィリアム・コグスウェル・ホイットニーの娘で勝と親交のあったクララの日記からも窺える。

出典

  1. ^ 藤井哲博『咸臨丸航海長 小野友五郎の生涯 幕末明治のテクノクラート』中央公論社〈中公新書〉、1985年10月。ISBN 4-12-100782-4 
  2. ^ 山岡鉄舟口述 著、勝部真長 編『山岡鉄舟の武士道』角川書店〈角川文庫 角川ソフィア文庫〉、1999年9月、268頁。ISBN 4-04-348501-8 
  3. ^ 明治34年12月 「木村芥舟特旨ヲ以テ位記ヲ賜フノ件」
  4. ^ 官報 第5536号 明治34年12月14日 「叙任及辞令」
  5. ^ 石井耕「日本の人事政策の起源 : 江戸幕府後期御家人の人材登用と昇進」『北海学園大学学園論集』第156巻、北海学園大学学術研究会、2013年6月、1-27頁、CRID 1050845762453380352ISSN 0385-7271 
  6. ^ 明治27年(1894年)10月5日付けの木村浩吉宛書簡は以下のとおりである。該当する箇所に下線を付して示す。
     御軍役御苦勞千萬と存候。過日海洋島の激戰は別しての御事に御座候。新聞紙にて承知、御留主宅へも御書状により御隱居樣より拜承仕候。尚此上とも勇を鼓して御奮戰を祈るのみ。我邦榮辱の分るゝ所、拔群の御働呉々も奉待候。將又御留主宅の義は及ばずながら御心添仕る積り、萬々一御討死も相成候はゞ、御兩親樣の處は老生の生涯中屹度御引受申上、御不自由なき樣可致兼て覺悟に付、其邊御心安く思召被下度候。小包郵便にてつくだにと甘名納少々差上候。御笑留被下候はゞ本懷の至りに奉存候。右御尋問まで申上候。餘は凱戰萬歳の時を期し候。匆々頓首。 — 福澤諭吉、『福澤諭吉全集』第18巻617頁


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