朝鮮民主主義人民共和国の鉄道 北朝鮮の基幹路線

朝鮮民主主義人民共和国の鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 05:01 UTC 版)

北朝鮮の基幹路線

路線図

西部路線

東西連結線

東部路線

平壌市内交通

清津市内交通

基幹路線以外の主要路線

運行形態

急行準急行鈍行の種別が存在し、客車は上級寝台(柔寝)・一般寝台(硬寝)・上級座席(軟席)・一般座席(硬席)に分けられると言う。輸送幹線は国際輸送の一環も担う平義線や平羅線だとされる。表定速度平羅線など主要路線で30 - 60km/hであり、情報閉鎖国であるだけに資料なども少ないが、1993年主体82年・平成5年)当時の優等列車としては、平羅線系統で平壌 - 清津 - 豆満江間の急行1・2列車や、平義線系統で平壌 - 新義州間の急行5・6列車などがあったとされ、前者は週に1・2本シベリア鉄道ハバロフスク経由モスクワ行きの国際車両を、後者も同様に瀋陽経由北京・モスクワ行きの国際車両(北京行きは週に4本、モスクワ行きは1・2本)程度連結していたといわれる。

なお当時平壌 - 清津間(約710km)の所要時間は、急行1・2列車が下り17時間で上り14時間半、準急15・16列車(西平壌 - 清津 - 穏城)が下り21時間・上り20時間、鈍行を乗り継いで25 - 29時間程度だったようである。しかしながら、実際にはダイヤが守られないことも多く、特に線路や車両の整備状況が悪化した現在では、その半分から4分の1の距離に同様の時間を要したとの話もある。

また1993年頃の運賃は、当時の国民の平均月収が70 - 110ウォンであるのに対し、平壌 - 清津間急行の上級寝台が87ウォン、鈍行の一般座席が20ウォン程度だったとされている。現在ではインフレーションが進んだため、その200 - 300倍になったともいわれる。

国際列車としては、平壌瀋陽北京間でK27/28次列車が運行されている他、平壌~豆満江ハサンウスリースク駅ハバロフスクモスクワ間を運行する列車が存在する。ロシア鉄道が担当する列車は、豆満江駅発着となっている[8]。前者は外国人旅行者も北朝鮮を訪れる時に北京から乗車が可能であるが、国際列車の車両と一般国民の乗車する車両の間に食堂車が連結され、双方の列車の間での行き来ができないようになっている。これは北朝鮮の外国からの情報統制だと思われる。北朝鮮では最優等列車だとされるその平義線(京義線)の国際列車でも、新義州~平壌間に5~6時間(同区間は225kmで、表定速度は45~37.5km/h)程度を要している。後者はかつては外国人の乗車は不可能であったが、2018年に解禁された。平壌~豆満江間の平羅線の運行が不安定であるものの、月2往復運行されている[9]。中国から国際貨物列車も走っている。また、平壌では地下鉄路面電車トロリーバスなども運行されている。

国民が乗車券を購入するには、住民登録証である「公民証」と、警察機構にあたる社会安全部が発行する旅行の目的を記した「旅行証明証」が必要で、旅行中も携帯していないと検札・安全部員巡回によって強制的に下車させされ、時には逮捕されて強制収容所に送られるという。昨今では、発行条件は食料事情の悪化などの要因で緩和されつつあるが、普通に申請すれば「旅行証明書」は発行まで1 - 2週間かかるという。しかし実際には、発行人にタバコユーロといった外貨などの賄賂を渡して1 - 2日で発行してもらっているのが、脱北者亡命者の話として伝わっている。

なお、北朝鮮の鉄道は周辺諸国と比較して曲線区間が多く曲線半径も短いこともあって韓国より複線化率が低く、南満洲鉄道(満鉄)や朝鮮総督府鉄道から引き継がれた蒸気機関車も、現在は使われていないものの近年まで残っていたという(国境駅付近で現役との情報もあり)。また鉄道員には朝鮮人民軍とほぼ同じ階級制度を導入しているが、これは朝鮮戦争時の教訓で、戦時において軍と素早く連携しスムーズに物資を輸送するためとされる。

鉄道の歩み

西暦 月日 鉄道に関するできごと
1899年 9/18 朝鮮半島で初の鉄道開通。(京仁鉄道(後の京仁線)、仁川~鷺梁津間)
1906年 4/3 京義線京城新義州開業。
1911年 11/1 鴨緑江橋梁の完成。これにより日本〜朝鮮〜満洲の内地との連絡運輸開始。
1914年 京元線開通(龍山元山
1923年 5/20 平壌で路面電車が開通。
1925年 8月 京城駅駅舎完成。
1927年 9/30 中朝国境を渡る三峰橋が、軽便規格で開通。
1928年 咸鏡線開通。
1931年 7/1 金剛山電気鉄道が全線開通。
1934年 前述の三峰橋が標準軌に改軌。
1937年 東海線・元山~襄陽間開通。
1944年 京元線高山福渓間54km電化完成。
1945年 8/23 京元、京義、東海線が38度線で分断。
8/25 ソ連軍の命令により京義線沙里院以北の運転となる。
1946年 8/10 北朝鮮臨時人民委員会が、鉄道業務、施設を国有化。
1948年 満浦線价古古仁の27km電化完成。
1950年 12/31 京義線が南北分断。汗浦汶山へ行く電車が米軍によって破壊される。
1954年 2/5 中朝間直通列車運行協定調印。
6/3 中国国鉄車両による平壌北京間直通列車の運行開始。
6/17 大同江鉄橋開通。
9/25 江原線高山~平康間開通。
1956年 5/25 陽徳峠の電化完成。
6月 鉱山用電気機関車を製造。
1957年 6/15 元山鉄道工場客車職場操業開始。
1958年 8/12 海州下聖間を軽便軌から標準軌に改軌
1959年 8/7 朝鮮とソ連の国境に親善橋が開通。
8/29 西平壌鉄道工場(現:金鐘泰電気機関車連合企業所)操業開始。
1960年 3/31 平羅線明川芦洞間電化開通。
1961年 8月 国産初の電気機関車「赤旗1型」完成。
1962年 4/23 平壌駅前無軌道電車(トロリーバス)開通。
1963年 5/10 元山鉄道工場で、万能有蓋貨車551型が製造される。
9/7 無軌道電車が平壌~烽火毛沢東広場間で開通。
1968年 11/1 高原洪原間電化完成。
11/29 平壌地下鉄工事開始。
1970年 10/10 平羅線明川~清津間電化完了。
10/20 清津市で、無軌道電車が開通。
1972年 10/10 東西連絡路線、青年伊川線洗浦~平山間)開通。
1973年 平羅線羅津~清津間の電化完成。
9/6 平壌地下鉄千里馬線、赤星~烽火間開通。
1975年 10月 平壌地下鉄革新線、革新~楽園間が開通。
1978年 9月 平壌地下鉄革新線、革新~光復間が開通。
1982年 北部内陸線(恵山満浦青年線)の建設を開始。
1983年 平壌~北京の国際列車を北朝鮮側の車両も運行を開始する。
1985年 2/16 高原~鳳山、吉州恵山新安州熙川大同江新成川羅津豆満江

平壌~南浦、古仁~満浦間をはじめ1500kmの電化を宣言。

1986年 6/24 西海閘門の完成により、鉄鉱新寧里間開通。
1987年 平壌〜モスクワの国際列車の運行開始。
4/10 平壌地下鉄万景台線、烽火~復興間通。
1988年 7月 路面電車の研究開発を開始。
北部内陸線工事が完成。
1989年 9/1 白頭山地上軌道索道が竣工(ケーブルカー)。
1990年 5月 軌道電車「青年前衛号」完成。
1991年 4/15 平壌市電1号線(万景台~平壌駅~松新間)開通。
1992年 赴戦湖付近の電化工事完成。
4月 平壌市電2号線(紋繍〜楽浪~土城間)開通。
鉄道近代化計画の始動(茂山~恵山間鉄道の整備)。
1994年 平壌市電3号線(西平壌~楽浪間)開通。
1995年 会寧・南陽等中朝国境地帯を通る路線の電化工事完成。
7/8 錦繍山記念宮殿への参拝軌道電動車(龍北洞駐車場~錦繍山記念宮殿間)開通。
1997年 4/15 金剛山青年線の電化工事完成。
1998年 「強行軍」型電気機関車が11両製造される。
6/23 「主体号」電車が平壌~裴山店間で運転開始。
1999年 7/2 清津市電(南清津~鳳泉洞間)開通。
2000年 9/18 南北鉄道連絡事業にのっとり開城~汶山間の韓国側起工式。
2001年 9/30 韓国側京義線汶山~臨津江間運行再開。
2002年 平壌発恵山行電車に新型車両を導入。
2/12 韓国側京義線、臨津江~都羅山間運行再開。
10/14 平壌中心街の再開発に着手。それに伴い平壌駅~船橋間の電車軌道の撤去を決定。
東部地区鉄道路線の近代化の完了宣言。
2003年 6/14 京義線と平釜線、金剛山青年線と東海線で線路が連結。
9/9 平壌直轄市軌道電車の軌道の撤去が完了。栄光通りの整備が完成。
2004年 4/22 平義線龍川駅付近にて大規模爆発事故が発生(死傷者約3100人)。
4/28 龍川駅を簡易復旧。中朝国際列車の運行再開。
2005年 平壌駅改修工事実施。
2006年 3 京義線と平釜線の連結工事終了。
5/25 南北間鉄道試験運行が前日に北朝鮮側の通達により取りやめになる。

  1. ^ a b c d 東アジア貿易研究会 & 日本貿易振興機構 2015, p. 101
  2. ^ a b c d 東アジア貿易研究会 & 日本貿易振興機構 2015, p. 103
  3. ^ <北朝鮮内部>電力事情急悪化で鉄道麻痺アジアプレス・ネットワーク(2016年11月18日)2016年11月18日閲覧
  4. ^ a b 東アジア貿易研究会 & 日本貿易振興機構 2015, p. 104
  5. ^ “北朝鮮の鉄道、100年前の設備そのまま 韓国政府公表”. 朝日新聞. (2019年4月2日). https://www.asahi.com/articles/ASM3Y66BQM3YUHBI026.html 2019年4月3日閲覧。 
  6. ^ a b c 東アジア貿易研究会 & 日本貿易振興機構 2015, p. 106
  7. ^ 石丸次郎 (2016年11月18日). “<北朝鮮内部>電力事情急悪化で鉄道麻痺 動かぬ列車内で死者発生とも(写真3枚) ”. アジアプレス・ネットワーク. 2018年2月8日閲覧。
  8. ^ ロシア鉄道
  9. ^ 北朝鮮がロシアへの国際列車ツアーを解禁した──平壌からモスクワへ
  10. ^ “金正日氏が飛行機に乗れない「本当の理由」とは?”. デイリーNK. (2009年5月21日). https://dailynk.jp/archives/5249 2018年4月20日閲覧。 
  11. ^ “「動く執務室」…金正恩氏、訪中に超ハイテク列車 祖父、父から格式継承アピール”. フジサンケイ ビジネスアイ. (2018年3月28日). https://www.sankeibiz.jp/macro/news/180328/mcb1803280726030-n1.htm 2018年3月28日閲覧。 
  12. ^ “金正恩氏、習主席と再会談=異例の電撃訪中-「段階的な非核化」を主張”. 時事通信. (2018年5月8日). オリジナルの2020年9月7日時点におけるアーカイブ。. https://archive.ph/Sy8JX 2018年5月8日閲覧。 





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