扶桑型戦艦 機関

扶桑型戦艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 00:42 UTC 版)

機関

竣工直後の山城。4番主砲塔の位置が高められている。

本型の機関は竣工時には宮原式石炭・重油混焼水管缶24基とブラウン・カーチス式直結タービン[61]を採用し、機関出力40,000馬力で速力22.5ノットを発揮する見込みであった。公試験時には扶桑が22.7ノット、山城が23ノットを記録したが、山城はその際タービンの軸受けが破損する事となった。

その後扶桑型が運用される際の実速は21ノット程度だったという記録が残っており、1928年にまとめられた『山城型戦艦操縦性能』では高速時速力が伊勢型の23ノットに対し山城は20ノットという記録も残っている。加えて高速時に大きく舵を切ると速度が急激に低下するという欠点もあった[62]。この点は他の戦艦と編隊行動を取る場合に問題とされる場合があった。

本型はボイラー室は武装配置の関係で4室に分けられ、1番煙突の下部に1番・2番缶室が配置され、3番主砲塔を挟んで2番煙突の下部に3番・4番缶室を配置していた。タービン室は第4主砲塔を挟むように前部機械室と後部機械室を配置し、タービンの構成は高速・中速・低速の三種類の直結タービンを1組として片舷2軸を推進するもので、前部機械室に中速タービンで外軸を推進し、後部機械室に高速・低速タービンで内軸を推進した。4番主砲塔の位置は5番主砲塔と変わらない高所に配置されているが、これは動力を伝達する内軸を主砲塔弾薬庫の下に通したからではなく、艦載艇を運用するにあたって主砲塔が邪魔をしないようにするためであった。機関については後の改装時に大幅な改変を受けた。

観測・照準設備

本型は竣工当初から主砲用測距儀を設置していた。「扶桑」は測距儀の幅が4.5mであったが、「山城」は6mで観測能力に優れた。さらに前部マストの頂上部の観測所が大型化されて日本戦艦初の方位盤射撃装置を搭載していた。

「山城」と「扶桑」の竣工時における外見での相違点は、「山城」が艦橋基部の居住区が2番主砲塔基部にまで延長され、司令塔の形状も楕円筒状から円筒形に変更された点である。また測距儀の位置も「扶桑」では2番主砲塔上に3.5m測距儀1基が設置されたが、「山城」では司令塔上の前方に3.5m測距儀1基と、後方に2.7m測距儀1基を設置していた。艦尾のスターン・ウォークは「扶桑」では撤去されたが「山城」では補強した上で装備していた。

改装

「扶桑」は1915年に竣工した。後の1917年、前檣上部に方位盤照準装置を装備し、1918年には艦橋構造の側面部と、2番煙突の側面部に7.6cm単装高角砲を1基ずつ、計4基の増備がなされた。

竣工後の第一次近代化改装

扶桑(第一次近代化改装後)
山城(第一次近代化改装後)

1930年から1933年にかけ、第一次世界大戦時の戦訓として遠距離砲戦に対応させるべく、各種改良がおこなわれた。主砲塔は最大仰角を25度から30度へと引き上げ、同時に天蓋部の装甲が増厚され、砲塔測距儀も8mに大型化された。外観的なものとしては、前部マストも主砲測的所・主砲指揮所・高所測的所などのフロアが増設され、露天であった羅針艦橋も密閉化された。また、機関部も艦本式タービンや重油燃焼缶に改装され速力が24.7kt、前部缶室が居住区、燃料タンクにされ航続力が16ktで11600浬まで向上した。しかし、追い風時に、煙突から排出された高温の煤煙が逆流し、前檣にかかって作業が困難になる欠点があり、これの対応としてスプーン状のファンネルキャップを1番煙突の前部に取りつけたが、効果は薄かった。

第二次近代化改装と、その結果

扶桑型戦艦。手前から山城扶桑、後は榛名

主砲の最大仰角は従来の30度から43度へと引き上げられ、主砲塔の構造面においては砲塔外筒と主砲塔天蓋の装甲を増厚して防御を強化した。同時に副砲も仰角を15度から30度へと引き上げて射程距離の延伸を計ったことにより、防楯は新設計となって甲板の一部を切り欠いた形状の物に更新された。また、舷側装甲の範囲を充実させた事により、装甲重量は8,558トンから12,199トンへと増加して防御重量は排水量の約31%にまで増加した。この主砲塔の改造時に、「扶桑」は3番主砲塔上に水上機用のカタパルトを設置すると共に、砲の向きを後向きから前向きに変更したことで「山城」との外見上の明確な相違点となった。 また、高角砲は新型の「八九式 12.7cm(40口径)高角砲」へと更新された。これに、爆風避けのカバーを装備したうえで、前部マストの側面に片舷1基ずつと、後部艦橋の上方の側面部に片舷1基ずつの計4基を搭載した。高所への搭載となったのは主砲発射時の爆風を避けるためである。 機関についても大幅な改良が実施された。ボイラーがロ号艦本式重油専焼水管缶4基とハ号艦本式重油専焼水管缶2基の計6基に更新、3番・4番缶室に集中配置された。艦橋下部の1番・2番缶室は閉鎖され1番煙突も撤去された。1番煙突が無くなったことにより追い風時に煤煙が艦橋に逆流する問題も解消された。閉鎖された1番・2番缶室は下側2/3が重油タンクとなり上部の1/3が士官室に充てられた[63]。タービンも新型の艦本式タービン4基となり、最大出力は75,000馬力を達成、速力が目標の25ノットには及ばないものの公試時に24.7ノットを発揮した。その後は速力が低下したという説もあるが、艦長経験者による「伊勢型と問題なく編隊を組むことができた」「戦闘運転で26ノットは出た」との証言も残っている[64]。燃料は重油のみとなり、燃料搭載量は5,100トンとなって航続性能は16ノットで11,800海里という長大な性能を誇った。発電機室は、4番主砲の後方-主機械室の前方の喫水下の左右に設置され、レシプロ蒸気機関によって発電が行われていた[63]

防御面においては、水平防御は弾薬庫と機関室上面のみ装甲を51mm-102mmに増厚した。対魚雷水中防御として舷側部にバルジを追加し、艦幅は水線部30.64m、最大幅33.08mに増加した。バルジの装備範囲は当初は第二甲板部までしかなかったが、のちに上甲板まで引き上げられた[63]。バルジの喫水線付近には、密閉された鋼管が充填された(一部のみ)[63]。さらに水密隔壁に64-76mmの装甲板を貼って強化した。この防御強化により吃水は約1mほど沈下して9.72mとなった。さらに船体の艦尾部を延長して速力向上と直進性を向上させた。

この近代化改装により本型は相当に戦力向上を果たしたが、重量の増加によって乾舷の低下、予備浮力の減少、舷側甲鈑上端の水面上の高さが減少した事で水線最厚部の甲鈑の占める割合が小さくなるといった問題も発生しており、垂直防御そのものは新造時と変わらなかった為問題が残ることとなった。水平防御は強化されたが、弾火薬庫の最厚部でも250kg爆弾に対する防御や中口径砲弾、大口径砲弾に対する防御としては不十分であった[65]レイテ沖海戦前には、対空砲や機銃の増設が図られたが兵装配置の問題から対空兵装の装備配置、数共に問題があるとされた。捷一号作戦前には十三号電探二十一号電探二十二号電探(扶桑のみ)が新たに装備されていたが、十分な訓練を行う事は出来なかった。

また、伊勢型戦艦の「伊勢」、「日向」と並び、「扶桑」と「山城」にも、航空戦艦への改装が計画されたが具体的な改装案は纏まらず、マリアナ沖海戦の頃には計画自体が取り消され実現しなかった。

本型は太平洋戦争中には主に内地にあり、一時は練習戦艦として使用された時期もあったが、戦争末期の捷一号作戦に西村艦隊の主力として揃って出撃し戦没した。

装甲配置[66]
主甲帯 102-229-305--229-102 VC
中甲板甲帯 203 VC
上甲板甲帯 152 VC
横防御隔壁 前部中甲板 152 VC 下甲板 152 VC 後部中甲板 102 VC 下甲板 51 VC
水平防御 中甲板 32 NS+67-19 NVNC
最上甲板 35 HT
魚雷防御隔壁 64-25 HT
弾薬庫 甲板平坦部 35 NS+67-19 NVNC 甲板傾斜部 25 HT+67-32 NVNC 垂直部 35 NS+38 HT+51 NVNC 底部 41-32 NS
司令塔 側面 305 VC 上面 ? 床面 ? 交通筒 178-51 VC
主砲塔 前盾 280 KC 側面 229 KC 後面 229 KC 上面 152 VC バーベット 305-51 VC+114-51 NVNC
ケースメイト 砲盾 38 HT 隔壁 なし
舵取機室 なし(大戦中に周辺にコンクリート充填)
煙路 178 VC

幻の改造案

実現する事無く終わった扶桑型の改造案は大きく分けて二つ存在していた事が確認されており、一つはワシントン条約中の大正11年に平賀譲より提案された扶桑級改造案。残る一つは1942年(昭和17年)5月に行われた珊瑚海海戦にて空母祥鳳を失い、更に6月のミッドウェー海戦にて空母4隻を失った連合艦隊が既存巡洋艦、戦艦の航空母艦への改装を研究・計画した際に考え出された航空母艦or航空戦艦への改造案であった。

今日平賀文書に残る扶桑級改造案はA案、B案、最終案と見られる案の三つに分かれている事が確認できる[67]

A案

  1. 水平防御の強化として新たに開発されたNVNC甲鈑を従来の中甲板に25mm〜101mm追加。
  2. 水雷防御として隔壁を新設しバルジを設け、艦幅をそれに伴い0,9m増加させる。
  3. 罐の一部を油専焼罐として罐室一つを廃止する。
  4. 電線通路を中甲板下に移す。
  5. 砲塔天蓋を152mmに改造する。

A案は上記のように水平・水中防御の強化に主眼が置かれており、この改装によって重量は3,500t増し、速力は0.5kt低下し22ktとなる代わりに、バルジを追加する事で浮力を確保し喫水の沈下は防げるとされていた。また、この改装に掛かる費用は砲塔天蓋の改造費が64万円、船体・甲鉄費用は460万円と試算されており[注釈 7]砲塔天蓋の防御を完全なものとする為には下部甲鈑の増加も必要である為、更に重量が330t増加し[注釈 8]費用も43万円程増えるとされていた。

B案

  1. 14インチ砲を取り外し16インチ砲連装2基、3連装2基の計10門へと換装する。[注釈 9]
  2. 専燃(油)罐室を第4砲塔の位置に新設し、10,000馬力の罐を2個設置し混燃罐室2つを廃止する。
  3. 前部煙突を撤去し後部煙突を移設する。

B案はA案とは違い主砲の換装と機関の改修が中心とされており、この改装で増加する重量は700tとなり費用は260万とされていた。尚、前述のA案の内砲塔天蓋の改造を除いた上で、A案・B案の両方の改造を実施した場合は増加重量4,500tとなり費用は700万円となると試算されており、この場合でも新たに浮防材を設ける事で喫水の増減は無いままに改造が出来るとしていた。また、米14インチ砲艦が16インチ砲艦へと改造する事が困難であるのに対して扶桑型は僅かな重量増加で16インチ砲10門の艦へと変更する事が出来、砲塔外面を多少改造する必要はあるものの然程大きな問題は無いともしており、扶桑型を16インチ8門の艦にするのならば更に容易に改造が可能だと主張されている。しかし、その一方で既成艦に対しては一切何らの制限を為さざるを利とするとも述べられており、次期条約で既成艦についての制限が無い事を前提とした改造案であった事が窺える。

以上がA案B案であるが、平賀文書には極秘と平賀の印が押されたもう一つの改造案が残っており、その案では

  1. 下甲板(中央部機械室、罐室、弾火薬庫上)に101mmの甲鈑(NVNC甲鈑45kg、HT鋼27kg)を追加。
  2. 後部甲板上のフラットに110mm、スロープに152mmの甲鈑を追加。
  3. 水雷防御隔壁を設ける。(機械室・罐室上部側に121mm・下部75mm、弾火薬庫側に103mm)
  4. 砲塔甲鉄を305mmに改装する。[注釈 10]
  5. 約1.2mの浮防材を設ける。
  6. 中央部・後部の水中発射管を水上に移設。
  7. 中央部舷側甲鈑を傾斜式とする[注釈 11]

最後の案ではA案同様に水平・水中防御に加えて垂直防御の強化についても考慮されており、この改造によって増加する重量は4,000tと成り改造費用は640万円と試算されていたが、この案でも喫水の増加は無い物とされていた。また、扶桑型改造案の中には改造後の扶桑型の断面図も書かれており、そこでは従来の石炭庫を改造し空所と防御隔壁を新たに設けるという加賀型に準ずる水雷防御構造へと変更する予定であった事が示されている。[注釈 12]

扶桑型の航空母艦への改造が検討されたのは前述の通り損失した空母の穴を埋めるために全ての巡洋艦・戦艦についての研究が行われた際の計画であり、各艦の改造に関しては下記のような研究結果が出されていた。

  • 巡洋艦
    • 青葉型川内型 - 最大幅過少の為空母への改装は不適当。
    • 最上型利根型 - 飛行甲板195m幅23.5m、搭載機数30機、改装予測期間9カ月以内。
    • 妙高型鳥海型 - 飛行甲板200m幅23.5m、搭載機数30機、改装予測期間9カ月以内。
  • 巡洋戦艦
    • 金剛型 - 飛行甲板220m幅34m、搭載機数54機、改装予測期間1.5年以内。
  • 戦艦
    • 日向型・山城型 - 飛行甲板210m幅34m、搭載機数54機 改装予想期間1.5年以内。
    • 長門型 - 金剛型に同じ。

この調査研究の結果、金剛型を航空母艦へと改装する事は工事量が莫大なものとなり工期も長期に及ぶ事になるため、改装の意義が無いと判断されたが、伊勢型については砲塔を一部撤去して航空戦艦としての工事が可能と確認されたため航空戦艦への改装の実施が決定される事となった。

伊勢型の改装実施が決定された背景には

  1. 新造艦の工事中止によって手空きとなった大口径関係造修部門の応援が見込まれた。
  2. 日向が射撃訓練中に第五砲塔の爆発事故によって既に第五砲塔を撤去した状態となっていた。
  3. 新型の艦載機十三試艦爆(彗星)を試作中であった事。

上記3点がその背景としてあったためとされる。

また、軍令部の要望としては主砲は6門残せばよく、副砲を撤去し高角砲と機銃による対空兵装を強化し、なるべく多数の航空機を搭載する事であったとされる。伊勢型の具体的な航空戦艦への改装は第五、六砲塔を撤去しその跡に航空艤装を設ける事とし、後檣付近から後部の上甲板にかけて高さ6m、幅前部29m・後部13m、長さ70mの飛行機射出甲板を設け甲板上の両舷に射出機各一基を装備し、後檣から後方の上甲板と射出甲板の間に全閉鎖型の格納庫を設けると計画された。この他に、航空機用の軽質油タンクは第六砲塔跡に設けその容量は111m3、76tとされ、第五砲塔火薬庫跡に全機3回出撃分の爆弾庫を設け爆弾は50番44個、25番22個を搭載する事となった。当初搭載機は十三試艦爆を射出可能なように補強を施した上で搭載するとされていたが、後に常用機は一四試水爆撃機に改められこれを射出甲板上に11機、射出機上に各1機、格納庫に9機の合計22機を搭載し、射出間隔は各射出機につき30秒に1機とし、交互に15秒ごとに1機を射出する事で5分程度で全機の射出を可能とする計算となっていた。また、副砲を撤去し12.7cm連装高角砲4基を増設しただけでなく従来の4基にもそれぞれ高射装置を装備した上で一群4門、4群の高角砲対空兵装とした。これに加えて、機銃の増設も行っており従来の25mm連装10基を三連装に改め更に9基の増設が行われる事となった。

扶桑、山城についても伊勢型の改装完了後に扶桑は呉、山城は横須賀で改造する事を訓令済みとなっていたが、1943年(昭和18年)6月に改造工事着手は取り止められる事となり、扶桑型の航空戦艦への改装は実現せずに終わった。扶桑型の航空戦艦への改造は伊勢型よりも改造工事が複雑であり手間がかかる物であったとされており、当初は6カ月で完成させる予定であったものが1944年(昭和19年)春頃には4ヶ月で完成させるという線表が組まれていたとされる。


  1. ^ 長門、扶桑、伊勢、山城、霧島、比叡
  2. ^ 特に日本の徹甲弾に於いては甲鈑面で炸裂する場合が多かったため、1924年(大正13年)に金剛、日向両艦が距離18,000mから行った弩級戦艦薩摩を利用した射撃訓練の際にも、15発程度の命中弾があったにも拘らず薩摩のKC230mmの水線甲鈑を貫徹出来ず浸水や傾斜を発生させる事が出来なったとされる。
  3. ^ 一等巡洋艦金剛を発注した際に製造技術がヴィッカース社より導入され、以降呉工廠でも製造されるようになった。
  4. ^ 米国に関しても同等の新式徹甲弾を開発していると想定していた
  5. ^ 金剛型に関してはどの距離でも貫徹されるとされている。
  6. ^ 舷側甲鈑を貫徹可能な18,000m〜23,000m
  7. ^ 大正10年の海軍予算は5億212万5千円
  8. ^ 山城の場合
  9. ^ 艦首側に連装2基、艦中央部に3連装1基、船尾側に3連装1基
  10. ^ 扶桑型の砲塔前楯の薄さが指摘されていた事から、砲塔前楯を指すと思われる。
  11. ^ 甲鈑は従来のVCを使用
  12. ^ 第一罐室を専焼罐とする事で、罐数を減らす事も書かれているが線引きで消されているため、これについては行わないとしていたようである。
  1. ^ 大正4年8月29日実施の扶桑公試運転時に排水量30,883~30,386の状態での運転成績が平均23kt
  2. ^ 中甲板
  3. ^ 五号徹甲弾
  4. ^ 九一式徹甲弾
  5. ^ 弱装薬での発射の為
  6. ^ 対KC甲鈑、対VC甲鈑
  7. ^ 24,900m
  8. ^ 20°
  9. ^ 33°
  10. ^ 396
  11. ^ 便宜上30,000mと表記するが仰角30°での射距離は30,500m
  12. ^ 垂直は対VC甲鈑、水平は対NVC甲鈑
  13. ^ 恐らく20,000m
  14. ^ 対VH甲鈑
  15. ^ 「丸 2013年8月号」p76参照
  16. ^ 平賀譲デジタルアーカイブ 「軍艦扶桑砲熕公試発射記事 別冊甲乙添」
  17. ^ 『戦闘射撃 1(6)』p.28
  18. ^ 『戦闘射撃 1(6)』p.57
  19. ^ 『戦闘射撃 1(6)』p.27
  20. ^ 平賀譲デジタルアーカイブ「大正十五年度戦闘射撃成績摘要」
  21. ^ 192m
  22. ^ 各種砲の弾火薬庫、機械室及び缶室、発電機室、水圧機室、発令所、注排水指揮室等
  23. ^ 不要とされた上甲板、最上甲板側面も除く
  24. ^ 新造時の扶桑型は水中防御は有せず
  25. ^ 舷側、司令塔、バーベット
  26. ^ 最上甲板及び中甲板
  27. ^ 新造時には石炭庫が断片防御を兼ねるのみで水中防御は有せず。
  28. ^ 艦底から最上甲板までの高さ約15.5m
  29. ^ 甲帯幅約1.5mの内水上部分は約1.2m
  30. ^ 第一、第二砲塔水線部
  31. ^ 第三、第四砲塔、機関部にかけての艦中央水線部
  32. ^ 第五、第六砲塔水線部
  33. ^ 甲帯幅約2.2m
  34. ^ 甲帯幅約2.3m
  35. ^ 艦中央部の第三、第四砲塔及び機関部には傾斜部無し
  36. ^ 第一、第六砲塔バーベット前部の水線部
  37. ^ 第一、第六砲塔バーベット前部の中甲板・上甲板
  38. ^ 前楯
  39. ^ 天蓋
  40. ^ 無帽徹甲弾、半徹甲弾対応防御
  41. ^ 缶室上部の一部にはNVNC甲鈑ではなくHT鋼19mmが重ね貼りされた。
  42. ^ 弾火薬庫上部のみ
  43. ^ 一部はHT鋼38m重ね貼り
  44. ^ a b 外側
  45. ^ a b 内側
  46. ^ 主要防御区画の水平、垂直防御が穿突されない距離。
  47. ^ 扶桑型の場合外板から防御壁までの距離は約4.25mとなっており、外板から3m以上防御壁が離れている場合は約66mmで炸薬量200kg対応防御となり、約77mmで炸薬量250kg対応防御となるため
  48. ^ 機関部とは違い防御壁が弾火薬庫側壁となっていた第二砲塔付近に被雷した場合変圧、発電機室等を含む弾火薬庫前部の区画への浸水は免れない。
  49. ^ 火薬庫側面のNVNC甲鈑
  50. ^ 戦艦には巡洋戦艦に近い速力と航続距離を与え、水平・垂直防御を強化し、巡洋戦艦には戦艦と大差ない砲力と防御力を与える事が重要とされた
  51. ^ 14in砲の場合射距離10,000m~19,000mに相当する
  52. ^ 14in砲の場合概ね射距離15,000m~24,300mに相当する
  53. ^ 『昼間戦闘射撃報告 (3)』p.8
  54. ^ 四十一式36cm砲の最大仰角は20°
  55. ^ 扶桑、山城の規定距離は22,000m。『戦闘射撃 1(6)』p.28、36
  56. ^ 何れも即動の弾底信管
  57. ^ 八八式徹甲弾
  58. ^ 十三式五号信管
  59. ^ 風帽尖端を20°30'弾尾を6°30'とした。
  60. ^ 弾頭部を鋭角にし、弾丸尾部に船尾型を採用する事には問題もあり、散布界が大きくなる他弾長が長くなり格納、給弾に影響が出るだけでなく砲塔の諸装置、弾庫の改造が必要になるという問題もあった。
  61. ^ 「丸 2013年 08月号」p83、「日本の軍艦-わが造艦技術の発達と艦艇の変遷- 附表1」、「戦史叢書 海軍軍整備(1)」p612では直結タービンとされ、「戦史叢書 海軍軍整備(1)付表第一その一」では併結タービンとされている。
  62. ^ #歴群決版日戦4章 p.68
  63. ^ a b c d 戦艦「扶桑」図面集 (Anatomy of the ship) 大型本 – 1999/12 ヤヌス シコルスキー (著), Janusz Skulski (原著), 阿部 安雄 (翻訳) 出版社: 光人社 ISBN 4769809476
  64. ^ 「艦長たちの太平洋戦争」p14 鶴岡信道少将の証言
  65. ^ 「日本戦艦物語<1>」p254
  66. ^ 『図解 日本帝国海軍全艦船 1868-1945』(並木書房)
  67. ^ 平賀譲デジタルアーカイブ 表題〔扶桑級改造案〕






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