扶桑型戦艦
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建造の経緯
建造費成立までの過程
扶桑型戦艦の建造費が成立するまでは複雑な紆余曲折を経ている。 元々扶桑型戦艦は1911年(明治44年)に成立した新充実計画によって建造が決定しており、1912年(明治45年)3月11日に「第三号戦艦」として扶桑が起工された。しかし山城については未だ建造に着工する事が決定されておらず、1912年(大正元年)12月21日に大正2年度の軍備補充既定年度割に600万円を追加して戦艦3隻(山城及び伊勢、日向に該当)の建造に着手する事が決定され、建造が一部開始された。更に1914年(大正3年)には既に前年度に建造の一部に着手した戦艦3隻の工事を続行させるために大正3年度軍艦製造費所要額として650余万円の予算が成立、これにより山城、伊勢、日向の3隻の戦艦の建造が本格的に開始される事となった。
基本設計の変遷
「扶桑」型戦艦の設計にあたりさまざまな案が検討されたが、最終的には排水量30,600トン、速力22.5ノットとしてまとめられた。35種に上ったとされる扶桑型の設計案の内計画番号A47〜A57、最終案であるA64が平賀文書に残っており、この中では扶桑型は概ね速力22〜23kt、排水量30,000t前後、防御は水線主甲帯305mm、バーベット部228mmの艦として設計されていた。
主砲についてはかなりの変遷が見られ、A47では主砲は45口径14インチ砲連装6基12門とはなっていたものの、その砲塔配置は中心線上の艦首側に2基、船尾側に2基とされ、残りの2基は艦中央部付近に梯形配置にするとされており、弩級戦艦と然程変わらない砲塔配置となっていた。この砲塔配置は砲サイズが異なるA48〜A49にも共通する砲塔配置であったが、A50より主砲塔を全て中心線上に配置する型式が採用され、以降の案では中心線上に主砲を配置する形式が採用される事となった。また、A47でも見られた主砲を12インチ砲とする案はA50以降にも見られ、A51では12インチ三連装2基・連装3基計12門を搭載するとされており、艦首・船尾最前部砲塔が三連装とされ残りの連装砲は中央部に1基三連装後方にそれぞれ1基ずつ搭載するとされていた。A54では三連装砲を中心線上の艦首・船尾側にそれぞれ背負い式で2基、艦中央部にも三連装を1基搭載し合計15門の艦とする事が計画されていた。しかし、最終案であるA64では扶桑型の主砲は各国の弩級戦艦の多くが採用していた12インチ砲では無く金剛型同様に14インチ砲が採用されており、これを連装砲として6基12門を搭載する超弩級戦艦として竣工する事となった。
また、防御に関しても152mm〜178mmとされた水線上部は203mmへと変更され、228mmとなっていたバーベット部も山城起工前の1913年(大正2年)6月の時点では241mmに変更され、最終的には305mmへと強化されており水平防御に関してもHT鋼のみを使用する予定となっていた点が改められ中甲板にはNi鋼が使用される事となった。最終案であったA64から実際に扶桑型が竣工するまでの間にも幾つかの変更が加えられた結果扶桑型は初期の設計案と比べるとその防御は強化される事となり、主砲にも12インチ砲では無く14インチ砲が採用された事で火力も従来の弩級戦艦と比べると大幅に向上する事となった。
項目 | A47 | A48 | A49 | A50 | A51 | A52 | A53 | A64(最終案) |
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垂線間長 | 187m | 182m | 173m | 176m | 172m | 182m | 192m | |
最大幅 | 28.9m | 28.6m | 28.3m | 28.6m | 28m | 28.8m | 28.6m | |
喫水 | 9.1m | 8.9m | 8.8m | 8.8m | 9.1m | 8.6m | ||
排水量 | 30,000t | 28,000t | 27,100t | 27,000t | 27,200t | 26,000t | 29,000t | 30,600t |
22kt時軸馬力 | 38,500 | 37,000 | 36,200 | 35,000 | 34,300 | 33,200 | 38,000 | 38,000 |
23kt時軸馬力 | 46,000 | 44,200 | 43,500 | 43,350 | 41,550 | 40,000 | 45,320 | 無し[1] |
主砲塔 | 14インチ連装 6基12門 |
12インチ連装 6基12門 |
14インチ連装 5基10門 |
12インチ三連装 4基12門 |
12インチ連装 3基6門 12インチ三連装 2基6門 |
12インチ三連装 5基15門 |
14インチ連装 6基12門 | |
水線部甲帯 | 229mm-300mm-229mm | 不明 | 229mm-300mm-229mm | |||||
中甲板側面甲帯 | 150mm-177mm-150mm | 100mm-200mm-100mm | ||||||
上甲板側面甲帯 | 150mm | 150mm | ||||||
主装甲甲板[2] | 28mm | 37mm~50mm | ||||||
最上甲板 | 25mm | 31mm | ||||||
バーベット | 229mm | 300mm |
※12インチ砲は50口径、14インチ砲は45口径
- ^ 長門、扶桑、伊勢、山城、霧島、比叡
- ^ 特に日本の徹甲弾に於いては甲鈑面で炸裂する場合が多かったため、1924年(大正13年)に金剛、日向両艦が距離18,000mから行った弩級戦艦薩摩を利用した射撃訓練の際にも、15発程度の命中弾があったにも拘らず薩摩のKC230mmの水線甲鈑を貫徹出来ず浸水や傾斜を発生させる事が出来なったとされる。
- ^ 一等巡洋艦金剛を発注した際に製造技術がヴィッカース社より導入され、以降呉工廠でも製造されるようになった。
- ^ 米国に関しても同等の新式徹甲弾を開発していると想定していた
- ^ 金剛型に関してはどの距離でも貫徹されるとされている。
- ^ 舷側甲鈑を貫徹可能な18,000m〜23,000m
- ^ 大正10年の海軍予算は5億212万5千円
- ^ 山城の場合
- ^ 艦首側に連装2基、艦中央部に3連装1基、船尾側に3連装1基
- ^ 扶桑型の砲塔前楯の薄さが指摘されていた事から、砲塔前楯を指すと思われる。
- ^ 甲鈑は従来のVCを使用
- ^ 第一罐室を専焼罐とする事で、罐数を減らす事も書かれているが線引きで消されているため、これについては行わないとしていたようである。
- ^ 大正4年8月29日実施の扶桑公試運転時に排水量30,883~30,386の状態での運転成績が平均23kt
- ^ 中甲板
- ^ 五号徹甲弾
- ^ 九一式徹甲弾
- ^ 弱装薬での発射の為
- ^ 対KC甲鈑、対VC甲鈑
- ^ 24,900m
- ^ 20°
- ^ 33°
- ^ 396
- ^ 便宜上30,000mと表記するが仰角30°での射距離は30,500m
- ^ 垂直は対VC甲鈑、水平は対NVC甲鈑
- ^ 恐らく20,000m
- ^ 対VH甲鈑
- ^ 「丸 2013年8月号」p76参照
- ^ 平賀譲デジタルアーカイブ 「軍艦扶桑砲熕公試発射記事 別冊甲乙添」
- ^ 『戦闘射撃 1(6)』p.28
- ^ 『戦闘射撃 1(6)』p.57
- ^ 『戦闘射撃 1(6)』p.27
- ^ 平賀譲デジタルアーカイブ「大正十五年度戦闘射撃成績摘要」
- ^ 192m
- ^ 各種砲の弾火薬庫、機械室及び缶室、発電機室、水圧機室、発令所、注排水指揮室等
- ^ 不要とされた上甲板、最上甲板側面も除く
- ^ 新造時の扶桑型は水中防御は有せず
- ^ 舷側、司令塔、バーベット
- ^ 最上甲板及び中甲板
- ^ 新造時には石炭庫が断片防御を兼ねるのみで水中防御は有せず。
- ^ 艦底から最上甲板までの高さ約15.5m
- ^ 甲帯幅約1.5mの内水上部分は約1.2m
- ^ 第一、第二砲塔水線部
- ^ 第三、第四砲塔、機関部にかけての艦中央水線部
- ^ 第五、第六砲塔水線部
- ^ 甲帯幅約2.2m
- ^ 甲帯幅約2.3m
- ^ 艦中央部の第三、第四砲塔及び機関部には傾斜部無し
- ^ 第一、第六砲塔バーベット前部の水線部
- ^ 第一、第六砲塔バーベット前部の中甲板・上甲板
- ^ 前楯
- ^ 天蓋
- ^ 無帽徹甲弾、半徹甲弾対応防御
- ^ 缶室上部の一部にはNVNC甲鈑ではなくHT鋼19mmが重ね貼りされた。
- ^ 弾火薬庫上部のみ
- ^ 一部はHT鋼38m重ね貼り
- ^ a b 外側
- ^ a b 内側
- ^ 主要防御区画の水平、垂直防御が穿突されない距離。
- ^ 扶桑型の場合外板から防御壁までの距離は約4.25mとなっており、外板から3m以上防御壁が離れている場合は約66mmで炸薬量200kg対応防御となり、約77mmで炸薬量250kg対応防御となるため
- ^ 機関部とは違い防御壁が弾火薬庫側壁となっていた第二砲塔付近に被雷した場合変圧、発電機室等を含む弾火薬庫前部の区画への浸水は免れない。
- ^ 火薬庫側面のNVNC甲鈑
- ^ 戦艦には巡洋戦艦に近い速力と航続距離を与え、水平・垂直防御を強化し、巡洋戦艦には戦艦と大差ない砲力と防御力を与える事が重要とされた
- ^ 14in砲の場合射距離10,000m~19,000mに相当する
- ^ 14in砲の場合概ね射距離15,000m~24,300mに相当する
- ^ 『昼間戦闘射撃報告 (3)』p.8
- ^ 四十一式36cm砲の最大仰角は20°
- ^ 扶桑、山城の規定距離は22,000m。『戦闘射撃 1(6)』p.28、36
- ^ 何れも即動の弾底信管
- ^ 八八式徹甲弾
- ^ 十三式五号信管
- ^ 風帽尖端を20°30'弾尾を6°30'とした。
- ^ 弾頭部を鋭角にし、弾丸尾部に船尾型を採用する事には問題もあり、散布界が大きくなる他弾長が長くなり格納、給弾に影響が出るだけでなく砲塔の諸装置、弾庫の改造が必要になるという問題もあった。
- ^ 「丸 2013年 08月号」p83、「日本の軍艦-わが造艦技術の発達と艦艇の変遷- 附表1」、「戦史叢書 海軍軍整備(1)」p612では直結タービンとされ、「戦史叢書 海軍軍整備(1)付表第一その一」では併結タービンとされている。
- ^ #歴群決版日戦4章 p.68
- ^ a b c d 戦艦「扶桑」図面集 (Anatomy of the ship) 大型本 – 1999/12 ヤヌス シコルスキー (著), Janusz Skulski (原著), 阿部 安雄 (翻訳) 出版社: 光人社 ISBN 4769809476
- ^ 「艦長たちの太平洋戦争」p14 鶴岡信道少将の証言
- ^ 「日本戦艦物語<1>」p254
- ^ 『図解 日本帝国海軍全艦船 1868-1945』(並木書房)
- ^ 平賀譲デジタルアーカイブ 表題〔扶桑級改造案〕
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