扶桑型戦艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 00:42 UTC 版)
防御
本型は全長:630フィート[21] 基準排水量:30,600トンを誇る世界最大の戦艦として竣工し、水線部防御は最大で305mm、主砲バーベットは280mm、司令塔は305mmと河内型戦艦と比べて重装甲に設計され、排水量の約26%が防御重量に充てられていた。しかしその防御様式は近戦志向であり河内型に比べて大きく進化はしたものではなく、また国内の製鋼技術ではヴィッカース社製の甲鈑よりも性能の劣るものしか製造できなかった為に金剛型にさえ防御能力で劣ったという意見もある。 当時の日本の技術では12インチ(305mm)以上の甲鈑を作る事が出来なかった事に加え、砲塔数が多かった事により防御を要する区画が広くなりすぎ防御設計は困難なものとなった。設計経験の浅さもあり、結果として本型の防御は列強の同世代と比較しても平凡なものであり、問題視されることも多かった。当時の日本艦の通例としてダメージコントロールについてもあまり考慮されておらず、主砲塔には撒水装置すらなかった。
防御設計
戦艦の防御方式としては主要防御区画[22]以外の部分も甲鈑で防御した全体防御方式と主要防御区画[23]のみを防御した集中防御方式の二つが存在し、扶桑型では計画時に一般的であった全体防御方式が採用された。
また、直接防御は更に垂直(舷側)、水平(甲板)、水中(水線下)防御[24]の三つに分かれており、扶桑型では各部に対しては以下の甲鈑、鋼板が使用された。
扶桑型が起工された当時では砲戦距離は概ね8,000m程度とされており砲弾は舷側に対して撃角0°に近い撃角で着弾すると想定され、砲弾も被帽徹甲弾が登場してから然程年月がたっておらず依然として貫徹力は低く、[注釈 2]甲鈑を穿徹した場合でも弾体の殆どはその際に破砕されるためバイタルパート部まで砲弾が侵入して炸裂する可能性は低かったが、弾片若しくは弾体の一部によって艦内及びその周辺に被害を受ける可能性は高かったため、これに対応する為に垂直防御は舷側の第一甲鈑が穿徹された場合の事を考慮して、艦内部へ侵入した弾片に対しては中甲板の両端を傾斜させる事でバイタルパート部を防御するという防御方式が一般的となっており、山城では弾火薬庫部分の中甲板を傾斜させる事で弾片等に対する防御装甲としていた。また、水雷・航空機も未だ発展途上にあったため、扶桑型の防御は主として垂直防御に重きが置かれ舷側には浸炭処理を施し表面の硬度を高め、裏面は高い強靭を備えた表面硬化甲鈑であるVC (Vickers cemented armour plate) [注釈 3]が採用された一方で、水平防御については前述のように砲戦距離が短く徹甲弾も未だ貫徹力の低いものしか存在しなかったため甲鈑は採用されず、主に弾片防御や船体構造材に用いられていたHT鋼、Ni鋼によって水平防御が構成されていた。
装甲配置
項目 | 垂直防御[28] | 水平防御 |
---|---|---|
水線部[29] | VC甲鈑228mm[30]-300mm[31]-228mm[32] | |
中甲板[33] | VC甲鈑200mm | NS鋼31mm |
上甲板[34] | VC甲鈑152mm | 無し |
最上甲板 | HT鋼35mm | |
傾斜部[35] | HT鋼25mm | |
非バイタルパート[36] | VC甲鈑101mm | |
非バイタルパート[37] | VC甲鈑200mm | |
司令塔 | VC甲鈑300mm | |
バーベット | VC甲鈑300mm | |
砲塔 | 280mm[38] | 127mm[39] |
新造時の扶桑型の防御方針は14in対応防御[40]となっていたが水中防御は有していなかった。
項目 | 垂直防御 | 水平防御 | 水中防御 |
---|---|---|---|
水線部 | VC甲鈑228mm-300mm-228mm | ||
中甲板 | VC甲鈑200mm | NS鋼31mm +NVNC甲鈑66mm[41] |
|
上甲板 | VC甲鈑152mm | HT鋼12mm[42] | |
最上甲板 | HT鋼35mm | ||
傾斜部 | HT鋼25mm+NVNC甲鈑66mm | ||
非バイタルパート | VC甲鈑101mm | ||
非バイタルパート | VC甲鈑200mm | ||
司令塔 | VC甲鈑300mm | ||
バーベット | VC甲鈑300mm | ||
砲塔 | 280mm | 150mm | |
缶室側面縦横壁 | HT鋼25mm +HT鋼38mm[43] | ||
弾庫側面縦横壁 | HT鋼25mm~38mm[44] NS鋼12m~15m[45] | ||
火薬庫側面縦横壁 | NVNC甲鈑50mm[44] NS鋼28m~35mm[45] |
改装後の扶桑型の防御方針は三年式徹甲弾に対する安全戦闘距離が20,000m~25,000m[46]となり、新たに水中防御として約69mm~76mmの厚さの鋼鈑が追加される事となった。これは概ね炸薬量200kg~250kgの魚雷への対応防御[47]に当たり、新造時には水中防御を有していなかった扶桑型にも改装によって水中防御が備わる事となった。[48]また、水中弾防御として弾火薬庫側に約50mmの甲鈑[49]が貼り増しされた。
第一次世界大戦とその影響
日本海軍が第一次大戦を通して得た教訓は以下の通りであった。
- 防御力強化の重要性[50]
- 主力艦中心主義と巡洋戦艦戦隊を中心とした前進部隊の価値の再認識。
また、英巡洋戦艦の喪失理由としては砲塔と弾火薬庫の局部的防御法の不備によって口径の小さい独巡洋戦艦の主砲弾によって撃沈される事となったと判断しており、これには英巡洋戦艦の軽装甲と独巡洋戦艦の砲弾貫徹力とも関係し、英艦の砲弾が独艦を沈め得なかったのは英艦の砲弾にも欠陥がある事を物語っているとしていた。このため、新戦艦については設計を大幅に変更し排水量を増大して防御力等の改正を行った。しかし、既存艦については防御の改善は行われず、山城の場合は1930年(昭和5年)に入り漸く防御の改善が行われる事となった。 その一方で砲術面での研究は熱心に行われており1915年(大正4年)の昼間戦闘射撃は主砲弾の落角8度及至18度[51]で実施される事となり日本海軍に於いても射撃は第一世界大戦での射距離とほぼ同じ距離で行われる事となった。更に翌年の1916年(大正5年)の昼間戦闘射撃は主砲弾の落角10度及至20度[52]に相当する距離で行われる事となり、新たに艦隊に加わった扶桑でも規定距離15,500mから射撃が実施される事となった[53]。これは第一次世界大戦前年度の1914年(大正3年)に行われた昼間戦闘射撃における金剛の射距離8,500mと比べた場合一挙に2倍以上射距離が延伸しており、扶桑に続いて艦隊に編入された山城も参加した1918年(大正7年)の昼間単艦戦闘射撃では遂に最大仰角[54]に相当する距離から射撃が行われる事となった[55]。また、砲弾の信管についても従来型の伊集院信管・三年式信管[56]に代わり1924年(大正13年)に完成した十三式信管が採用されたが、同年に戦艦日向、巡洋戦艦金剛によって戦艦薩摩を利用して行われた榴弾射撃では、自爆防止装置が不十分で甲鈑表面で炸薬が自爆するか、信管の遅動が不十分で甲鈑を穿突する前に砲弾が炸裂し水面下に破口を生じさせたり甲鈑内外の船体に損傷を与えることが出来ない不完全な物であった。そのため、日本海軍が使用していた従来の徹甲弾よりは性能が向上していたといっても未だにその性能はドイツが使用した徹甲弾に劣るものであった。しかし、その後1928年(昭和3年)には五号徹甲弾を改良し徹甲性、自爆防止、水中性を加えて表面硬化甲鈑だけでなく均質甲鈑への穿突力を考慮した六号徹甲弾[57]が採用される事となり、他国の徹甲弾と比べた場合依然として性能は劣るものの自爆防止装置と0.4秒の遅動信管[58]を備えた事でユトランド沖海戦でドイツ海軍が使用した徹甲弾と同一原理の徹甲弾を日本海軍でも使用することが可能となった。また、1931年(昭和6年)には遠達効果と弾量増加を目的に弾頭部を鋭角にし弾丸尾部を船尾型[59]とした九一式徹甲弾が制式採用される事となった。[60]
米戦艦との比較
当時の米戦艦の砲塔では防炎対策が徹底されていたのに比して、日本戦艦では僅かに長門型の火薬庫の供給通路に撒水装置が設置されていたのみであり、後述のように舷側甲鈑も厚い米戦艦と比べた場合扶桑型の防御は見劣りする物となっていた。また、扶桑型建造後の1920年(大正9年)の各国海軍大口径砲弾道性能比較では米国のニューメキシコ級より採用された14in50口径砲の貫徹力は下記の通りとなっており、口径長が増したため日本の14in45口径より貫徹力が勝るものであった。
- 距離25,000m 165mm
- 距離20,000m 210.8mm
- 距離15,000m 335mm
扶桑と同時代に建造されたニューヨーク級、ペンシルベニア級、ネバダ級に搭載された14in45口径砲については大撃角、斜撃に対して強いという点以外は日本側と貫徹力に大差はないと考えられるが、ニューヨーク級の舷側水線甲鈑最厚部が扶桑型と同じく305mmとなっていたのに対してペンシルベニア級、ネバダ級では甲鈑が356mmとなり扶桑型を上回る防御を備えていた。また、当時の米戦艦の砲戦能力は1917年(大正6年)春の戦闘射撃成績では以下の物となっており、日本側と比べて劣るものでは無かった。
- ニューヨーク - 距離19,505m-17,900m発射間隔50秒、散布界828m
- ペンシルベニア - 距離16,5400m-13,000m発射間隔1分02秒、散布界1,188m
- ネバダ - 距離16,900m-14,000mで発射間隔1分9秒、散布界752m
米戦艦と砲撃戦となった場合米戦艦よりも甲鈑の薄い扶桑型は距離20,000mから水線上部の舷側を貫徹され始め、距離15,000mからは舷側最厚部が貫徹されるのに対して、扶桑型では同距離でも米戦艦の舷側水線部を貫徹する事が出来ないため劣勢は免れず、ニューヨーク級以外との砲戦に於いては不利であった。また、扶桑型に対しては後述の改装によって水平防御、水中防御を中心に強化が施される事となったが、九一式徹甲弾採用後[注釈 4]の1936年(昭和11年)11月に行われた「対米作戦用兵に関する研究」の中では、改装後のコロラド級、ペンシルベニア級、カリフォルニアを引き合いに出し、米戦艦は散布界が依然として減少しておらず射撃指揮所の高さから米戦艦が25,000mから観測可能となるのに対して日本側は30,000mから観測可能の為、射程に於いて4,000m〜5,000m優越しているとされる一方で、最大射程距離に於いては日米双方共に水平甲鈑を貫徹される事となり、16インチ砲の場合は距離25,000m以下より米戦艦の舷側甲鈑を貫徹可能であり、14インチ砲では19,000以下の場合に舷側甲鈑を貫徹可能であるとされ、水平甲鈑に関しては同距離では貫徹不可能とされていたのに対して、日本側は長門型が距離19,000mから舷側甲鈑を貫徹される事になり、扶桑型の場合では25,000mから舷側を貫徹される[注釈 5]としていた。この防御力の薄弱さを補うために駆逐艦によって煙幕を展張し、敵弾を極力斜めに受ける事で跳弾させ貫徹を防ぎながら、決戦距離[注釈 6]以下に急速接近するといった作戦が研究されている事から、改装後も扶桑型の防御は決して十分なものでは無かったと言える。
- ^ 長門、扶桑、伊勢、山城、霧島、比叡
- ^ 特に日本の徹甲弾に於いては甲鈑面で炸裂する場合が多かったため、1924年(大正13年)に金剛、日向両艦が距離18,000mから行った弩級戦艦薩摩を利用した射撃訓練の際にも、15発程度の命中弾があったにも拘らず薩摩のKC230mmの水線甲鈑を貫徹出来ず浸水や傾斜を発生させる事が出来なったとされる。
- ^ 一等巡洋艦金剛を発注した際に製造技術がヴィッカース社より導入され、以降呉工廠でも製造されるようになった。
- ^ 米国に関しても同等の新式徹甲弾を開発していると想定していた
- ^ 金剛型に関してはどの距離でも貫徹されるとされている。
- ^ 舷側甲鈑を貫徹可能な18,000m〜23,000m
- ^ 大正10年の海軍予算は5億212万5千円
- ^ 山城の場合
- ^ 艦首側に連装2基、艦中央部に3連装1基、船尾側に3連装1基
- ^ 扶桑型の砲塔前楯の薄さが指摘されていた事から、砲塔前楯を指すと思われる。
- ^ 甲鈑は従来のVCを使用
- ^ 第一罐室を専焼罐とする事で、罐数を減らす事も書かれているが線引きで消されているため、これについては行わないとしていたようである。
- ^ 大正4年8月29日実施の扶桑公試運転時に排水量30,883~30,386の状態での運転成績が平均23kt
- ^ 中甲板
- ^ 五号徹甲弾
- ^ 九一式徹甲弾
- ^ 弱装薬での発射の為
- ^ 対KC甲鈑、対VC甲鈑
- ^ 24,900m
- ^ 20°
- ^ 33°
- ^ 396
- ^ 便宜上30,000mと表記するが仰角30°での射距離は30,500m
- ^ 垂直は対VC甲鈑、水平は対NVC甲鈑
- ^ 恐らく20,000m
- ^ 対VH甲鈑
- ^ 「丸 2013年8月号」p76参照
- ^ 平賀譲デジタルアーカイブ 「軍艦扶桑砲熕公試発射記事 別冊甲乙添」
- ^ 『戦闘射撃 1(6)』p.28
- ^ 『戦闘射撃 1(6)』p.57
- ^ 『戦闘射撃 1(6)』p.27
- ^ 平賀譲デジタルアーカイブ「大正十五年度戦闘射撃成績摘要」
- ^ 192m
- ^ 各種砲の弾火薬庫、機械室及び缶室、発電機室、水圧機室、発令所、注排水指揮室等
- ^ 不要とされた上甲板、最上甲板側面も除く
- ^ 新造時の扶桑型は水中防御は有せず
- ^ 舷側、司令塔、バーベット
- ^ 最上甲板及び中甲板
- ^ 新造時には石炭庫が断片防御を兼ねるのみで水中防御は有せず。
- ^ 艦底から最上甲板までの高さ約15.5m
- ^ 甲帯幅約1.5mの内水上部分は約1.2m
- ^ 第一、第二砲塔水線部
- ^ 第三、第四砲塔、機関部にかけての艦中央水線部
- ^ 第五、第六砲塔水線部
- ^ 甲帯幅約2.2m
- ^ 甲帯幅約2.3m
- ^ 艦中央部の第三、第四砲塔及び機関部には傾斜部無し
- ^ 第一、第六砲塔バーベット前部の水線部
- ^ 第一、第六砲塔バーベット前部の中甲板・上甲板
- ^ 前楯
- ^ 天蓋
- ^ 無帽徹甲弾、半徹甲弾対応防御
- ^ 缶室上部の一部にはNVNC甲鈑ではなくHT鋼19mmが重ね貼りされた。
- ^ 弾火薬庫上部のみ
- ^ 一部はHT鋼38m重ね貼り
- ^ a b 外側
- ^ a b 内側
- ^ 主要防御区画の水平、垂直防御が穿突されない距離。
- ^ 扶桑型の場合外板から防御壁までの距離は約4.25mとなっており、外板から3m以上防御壁が離れている場合は約66mmで炸薬量200kg対応防御となり、約77mmで炸薬量250kg対応防御となるため
- ^ 機関部とは違い防御壁が弾火薬庫側壁となっていた第二砲塔付近に被雷した場合変圧、発電機室等を含む弾火薬庫前部の区画への浸水は免れない。
- ^ 火薬庫側面のNVNC甲鈑
- ^ 戦艦には巡洋戦艦に近い速力と航続距離を与え、水平・垂直防御を強化し、巡洋戦艦には戦艦と大差ない砲力と防御力を与える事が重要とされた
- ^ 14in砲の場合射距離10,000m~19,000mに相当する
- ^ 14in砲の場合概ね射距離15,000m~24,300mに相当する
- ^ 『昼間戦闘射撃報告 (3)』p.8
- ^ 四十一式36cm砲の最大仰角は20°
- ^ 扶桑、山城の規定距離は22,000m。『戦闘射撃 1(6)』p.28、36
- ^ 何れも即動の弾底信管
- ^ 八八式徹甲弾
- ^ 十三式五号信管
- ^ 風帽尖端を20°30'弾尾を6°30'とした。
- ^ 弾頭部を鋭角にし、弾丸尾部に船尾型を採用する事には問題もあり、散布界が大きくなる他弾長が長くなり格納、給弾に影響が出るだけでなく砲塔の諸装置、弾庫の改造が必要になるという問題もあった。
- ^ 「丸 2013年 08月号」p83、「日本の軍艦-わが造艦技術の発達と艦艇の変遷- 附表1」、「戦史叢書 海軍軍整備(1)」p612では直結タービンとされ、「戦史叢書 海軍軍整備(1)付表第一その一」では併結タービンとされている。
- ^ #歴群決版日戦4章 p.68
- ^ a b c d 戦艦「扶桑」図面集 (Anatomy of the ship) 大型本 – 1999/12 ヤヌス シコルスキー (著), Janusz Skulski (原著), 阿部 安雄 (翻訳) 出版社: 光人社 ISBN 4769809476
- ^ 「艦長たちの太平洋戦争」p14 鶴岡信道少将の証言
- ^ 「日本戦艦物語<1>」p254
- ^ 『図解 日本帝国海軍全艦船 1868-1945』(並木書房)
- ^ 平賀譲デジタルアーカイブ 表題〔扶桑級改造案〕
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