常楽寺 (半田市)とは? わかりやすく解説

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常楽寺 (半田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/24 13:20 UTC 版)

常楽寺

本堂
所在地 愛知県半田市東郷町2-41
位置 北緯34度53分0.2秒 東経136度55分3.3秒 / 北緯34.883389度 東経136.917583度 / 34.883389; 136.917583座標: 北緯34度53分0.2秒 東経136度55分3.3秒 / 北緯34.883389度 東経136.917583度 / 34.883389; 136.917583
山号 天龍山
宗旨 西山浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 文明16年(1484年
開基 空観栄覚
正式名 天龍山 常楽寺
札所等 知多四国霊場21番
知多百観音札所24番
文化財 木造阿弥陀如来立像(重要文化財
公式サイト 西山浄土宗 常楽寺
法人番号 1180005011924
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かつての常楽寺の様子(『尾張名所図会 前編 巻6 知多郡』より「常楽寺」)

常楽寺(じょうらくじ)は、愛知県半田市にある西山浄土宗寺院山号は天龍山。本尊阿弥陀如来

歴史

1484年文明16年)に天台宗仏性寺を改修し[1]、空観栄覚によって開基された浄土宗西山派(西山浄土宗)の寺院で、尾張藩初代藩主の徳川義直から「浄土宗西山派知多一郡の総本寺」とお墨付を得たとされる寺院である。

第八世住職の典空顕朗は於大の方の妹の子で、徳川家康従兄弟にあたる。このことから、家康が1560年永禄3年)の桶狭間の戦い1582年天正10年)の本能寺の変1589年(天正17年)の上洛の際にも立ち寄っており、徳川家康ゆかりの寺として知られている。寺宝として家康が桶狭間の戦いの後、訪れた際に寄進したがある[2]

なお、1924年大正13年)には、火事に遭い多くの建物を焼失したが、1940年昭和15年)に再建された。1987年(昭和62年)には、老朽化のため取り壊された山門も再建されている。

塔頭寺院

  • 超世院
  • 遣浄院
  • 真如院
  • 来迎院

文化財

重要文化財(国指定)

  • 木造阿弥陀如来立像 - 弘長3年(1263年)、円覚作。1931年(昭和6年)12月14日指定[3]

ギャラリー

所在地

交通アクセス

その他

山岡荘八の小説『徳川家康』にも常楽寺の名が見られる。

板山町の安養寺は常楽寺の第17世光空周明上人が開山である。光空周明上人は寺号と寺を譲り受た上で成岩に移転させた。

脚注

外部リンク




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