川添哲夫 川添哲夫の概要

川添哲夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 15:55 UTC 版)

かわぞえ てつお
川添 哲夫
生誕1950年1月15日
日本 高知県香美郡土佐山田町(現・香美市
死没1988年3月24日
中国 上海市
死因列車事故
国籍 日本
出身校国士舘大学体育学部
職業高知学芸高等学校体育教諭
著名な実績全日本剣道選手権大会優勝2回
全国教職員剣道大会個人優勝5回
世界剣道選手権大会団体優勝1回
肩書き剣道教士七段
配偶者川添永子(旧姓桑原)
受賞高知県スポーツの殿堂

上段の遣い手で、全日本剣道選手権大会優勝2回・準優勝1回・第三位3回、全国教職員剣道大会個人優勝5回、世界剣道選手権大会団体優勝1回などの戦績を残した。

経歴

生い立ち

高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)生まれ。父は剣道範士八段・高知県剣道連盟副会長の川添恵美(かわぞえ めぐみ)。

中学・高校時代

高知中学校・高等学校で剣道に励み、高校2年・3年にはインターハイに出場。3年から上段の構えを執る。

大学時代

国士舘大学体育学部4年時の1971年、第19回全日本剣道選手権大会で初出場初優勝した。大学生で全日本選手権を制覇したのは川添が史上初であり、これは2014年の第62回全日本選手権で竹ノ内佑也(筑波大学)が川添と同じく初出場初優勝を果たすまで43年間現れなかった[1]。また川添の初優勝時は21歳であったが、これは史上最年少タイの記録である(2014年現在)。

教師時代

大学卒業にあたり、東京に留まるよう周囲から随分と引き留められたが、故郷へ戻って高知学芸高等学校体育教諭となる。剣道教育者になった理由として、父の川添恵美が東京高等師範学校体育科(現・筑波大学体育系)出身の高等教育の剣道教師であり、高知県の剣道教育に多大な貢献をしていた影響があると思われる[2]。同年、2連覇をかけて出場した第20回全日本剣道選手権大会では、決勝戦で同じく上段の遣い手の千葉仁東京)に22分18秒におよぶ接戦の末敗れ、準優勝に終わった。

1975年、第23回全日本剣道選手権大会で2回目の優勝。同年、国士舘大学の同窓で全日本女子剣道選手権大会3連覇の記録を持つ桑原永子と結婚。

1976年、第3回世界剣道選手権大会団体戦で優勝。

事故死

1988年3月24日修学旅行の引率で訪れていた中華人民共和国上海で列車事故(上海列車事故)に巻き込まれて死亡した。享年38。

死後

2009年10月16日、故人として高知県スポーツの殿堂に入る[3]。剣道家としては川崎善三郎に次いで2人目。父の川添恵美が代理で授与された。

妻の川添永子(旧姓:桑原)も剣道家であり、2008年まで高知学芸中学校・高等学校にて体育の教師をつとめた[4]

参考文献




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