岸良兼養 岸良兼養の概要

岸良兼養

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/12 15:46 UTC 版)

岸良兼養

経歴

薩摩藩士・岸良兼善の長男として生まれる[3]島津久光小姓として、久光、島津忠義父子と精忠組との連絡役を務めた[2]

明治政府に出仕し、慶応4年4月23日1868年6月13日)議政官史官試補に就任[4]。以後、監察司知事、弾正大巡察、刑部少丞などを歴任[4]。明治4年7月9日1871年8月24日刑部省弾正台と合併して司法省となり、同年8月8日9月22日)司法少判事に任官[4]。明治5年(1872年)司法制度調査のため渡欧し、1873年(明治6年)9月7日に帰国した[2][4]。同年12月28日、司法大検事に就任[4]

佐賀の乱西南戦争後の裁判において検察の指揮を行う[1][2]1877年(明治10年)6月28日、初代検事長(現在の検事総長に相当)に就任。1879年(明治12年)10月25日、大審院長に転じた[2][4]

1881年(明治14年)7月27日、司法少輔に就任。1883年(明治16年)6月5日、元老院議官を兼任。同年7月4日、司法少輔を辞任し元老院議官の専任となる[5]。病のため在任中に死去した[3]。墓所は青山霊園(1イ1-8)。

親族

脚注

出典

参考文献

  • 修史局編『百官履歴 上巻』日本史籍協会、1928年。
  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
  • 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 太政官「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書 岸良兼養」明治元年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-031-09・職00148100


公職
先代
伊丹重賢(→欠員)
司法少輔
1881年 - 1883年
次代
(欠員→)三好退蔵

  1. ^ a b 『日本人名大辞典』602頁。
  2. ^ a b c d e 『明治維新人名辞典』327頁。
  3. ^ a b c 『明治過去帳』新訂初版、180頁。
  4. ^ a b c d e f 『百官履歴 上巻』395-399頁。
  5. ^ 「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書 岸良兼養」


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