山田高塚古墳 被葬者

山田高塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 22:23 UTC 版)

被葬者

山田高塚古墳の実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁では第33代推古天皇および子の竹田皇子(たけだのみこ)の合葬陵墓に治定している[7][8][4][9]。推古天皇について、『日本書紀』では推古天皇36年(628年)3月[原 2]に崩御したとし、同年9月[原 3]に遺詔により「竹田皇子之陵」に葬ったとするが、所在地・陵名に関する記載は無い[4][1][3]。一方で『古事記』では、「御陵在大野岡上、後遷科長大陵也」として「大野岡上」から「科長大陵」への改葬の旨が見えるが、こちらには竹田皇子との合葬に関する記載は無い[4]。『延喜式諸陵寮[原 4]では、推古天皇陵は遠陵の「磯長山田陵」として記載され、河内国石川郡の所在で、兆域は東西2町・南北2町で陵戸1烟・守戸4烟を毎年あてるとする[4][1]。また『扶桑略記[原 1]によれば、康平3年(1060年)に「推古天皇山陵」で盗掘があったという[4]

その後、元禄の探陵の際には堺奉行が現陵の存在を報告している[4]。また古書では、横穴式石室(いずれの石室か不明)の内部には石棺2基があって、右が推古天皇棺で左が竹田皇子棺であると見える[2][5]。ただし前述のように本古墳には2基の石室の存在が推定されるため、性格を規定するには石棺2基の石室とは別の石室の内容も考慮するべき点が注意される[2]

山田高塚古墳から望む
二子塚古墳

なお、推古天皇・竹田皇子の真の合葬陵墓としては東方約200メートルの二子塚古墳に比定する説もあるほか[5]、改葬前の陵墓(大野岡上)については植山古墳奈良県橿原市)に比定する説がある(詳細は「植山古墳」参照)。

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  1. ^ a b 『扶桑略記』康平3年(1060)6月2日条。
  2. ^ 『日本書紀』推古天皇36年(628年)3月癸丑(7日)条。
  3. ^ 『日本書紀』推古天皇36年(628年)9月壬辰(24日)条。
  4. ^ 『延喜式』巻21(治部省)諸陵寮条。
  1. ^ a b c d e 高松古墳(平凡社) 1986.
  2. ^ a b c d e f g 書陵部紀要 第42号 1991.
  3. ^ a b c d e f g h i j 王陵の谷・磯長谷古墳群 1994, pp. 16–17.
  4. ^ a b c d e f g h i j 磯長山田陵(国史).
  5. ^ a b c 王陵の谷・磯長谷古墳群 1994, pp. 33–41.
  6. ^ "推古天皇陵を立ち入り調査/研究者ら石室材を確認"(四国新聞社、2012年2月23日記事)。
  7. ^ 天皇陵(宮内庁)。
  8. ^ 宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』(1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)11-12コマ。
  9. ^ 『陵墓地形図集成 縮小版』 宮内庁書陵部陵墓課編、学生社、2014年、p. 407。






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