尾藤福繁 尾藤福繁の概要

尾藤福繁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/23 07:19 UTC 版)

尾藤 福繁
基本情報
国籍 日本
出身地 愛媛県
生年月日 1955年
身長
体重
175 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

土居高校ではエースとして活躍。1972年秋季四国大会準々決勝に進むが、松山聖陵高に敗退。翌1973年夏の甲子園県予選は、エース藤田学らがいた南宇和高に敗れた。同年のドラフト会議阪神タイガースから4位指名されたが入団を拒否[1]

駒澤大学に進学。東都大学野球リーグでは在学中6回の優勝を経験。森繁和らが卒業した1977年もエースとして春秋季連続優勝に貢献する。秋季リーグでは最高殊勲選手に選出された。同年の第26回全日本大学野球選手権大会でも優勝を果たし、第6回日米大学野球選手権大会日本代表となる。大学同期に三塁手渡部一治二塁手山本文博、1年下に遊撃手石毛宏典がいた。

大学卒業後は大倉工業に入社。1978年社会人野球日本選手権に出場。2回戦(初戦)で先発し、北海道拓殖銀行原田末記らと投げ合うが、延長14回サヨナラ負け[2]1980年社会人野球日本選手権は、河合楽器との1回戦でリリーフとして好投するが、9回裏、小川淳司に大会史上初の逆転サヨナラ2点本塁打を喫する[2]

脚注

[脚注の使い方]

関連項目


  1. ^ 過去のドラフト 第9回(1973年) - ドラフト会議 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. 2020年6月25日閲覧。
  2. ^ a b 「社会人野球日本選手権大会20年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1994年


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