尾藤頼景とは? わかりやすく解説

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尾藤頼景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/28 15:58 UTC 版)

尾藤 頼景(びとう よりかげ)は、鎌倉時代中期の武士北条氏得宗家被官である御内人


  1. ^ a b 『吾妻鏡』建長2年元日の「尾藤兵衛尉」を史料上における初出とする場合、時頼が得宗家当主および執権となった寛元4年(1246年)から、前年の建長元年(1249年)の間に元服しているはずであり、元服はおおよそ10代前半もしくはこの前後で行われることが多かったことから、生誕年は1230年代1240年代初頭の間であったと推定できる。
  2. ^ a b 続群書類従』「系図部」所収『秀郷流系図』「尾藤」(細川、2000年、P.429にも掲載)。
  3. ^ a b 尊卑分脈』「尾藤」。細川、2000年、P.428にも掲載。
  4. ^ 『尊卑分脈』の尾藤系図では時景(のち改め時綱)とするが、『続群書類従』の系図では頼景の子が時綱、孫が時景としており、後者が正しいとされている(細川、2000年、P.214 注(29))。
  5. ^ a b 細川、2000年、P.214 注(24)。
  6. ^ 井上、1990年、P.30~32。
  7. ^ 前者2つについては『吾妻鏡人名索引』でも頼景とする。


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