小田原城 概要

小田原城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 20:33 UTC 版)

概要

北条氏は、居館を今の天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山(現在の小田原高等学校がある場所)を詰の城としていた。 居館部については北条氏以前の大森氏以来のものとするのが通説であるが、大森氏時代にはより東海道に近く15世紀の遺構が実際に発掘されている現在の三の丸北堀付近にあったとする異説もある。3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信武田信玄の攻撃に耐えた。江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となったが、八幡山は放置された。そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭である。

最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭である。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートル土塁空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいた。慶長19年(1614年)、徳川家康は自ら数万の軍勢を率いてこの総構えを撤去させている。地元地方の城郭にこのような大規模な総構えがあることを警戒していたという説もある。ただし、完全には撤去されておらず、現在も北西部を中心に遺構が残る。古地図にも存在が示されており、小田原城下と城外の境界であり続けた。明治初期における小田原町の境界も総構えである。

北条氏没落後に城主となったのは大久保氏であるが、2代藩主大久保忠隣の時代に政争に敗れ、一度改易の憂き目にあっている。一時は2代将軍秀忠が大御所として隠居する城とする考えもあったといわれるが、実現しなかった。その後、城代が置かれた時期もあったが、阿部氏春日局の血を引く稲葉氏、そして再興された大久保氏が再び入封された。小田原藩入り鉄砲出女といわれた箱根関所を幕府から預かる立場であった。

なお、小田原藩大久保氏の大名となった支藩(分家)には荻野山中藩(現在の神奈川県厚木市)がある。

小田原城は、江戸時代を通して寛永10年(1633年)と元禄16年(1703年)の2度も大地震に遭い、なかでも、元禄の地震では天守や櫓などが倒壊するなどの甚大な被害を受けている。天守が再建されたのは宝永3年(1706年)で、この再建天守は明治に解体されるまで存続した。[1]又、老朽化した天守の木造復元計画もある。


  1. ^ 小田原城の歴史【小田原城街歩きガイド】”. www.scn-net.ne.jp. 2019年12月31日閲覧。
  2. ^ a b 小田原城隣接の旧商工会館 市に寄贈の意向”. 神奈川新聞 (2022年9月14日). 2022年9月14日閲覧。
  3. ^ 明応5年(1496年)7月24日に出されたと推定されている長尾能景宛山内上杉顕定書状によれば、相模に攻め込んだ顕定の軍が大森式部少輔・式部大輔(扇谷上杉朝昌)・三浦道寸・伊勢新九郎(盛時)入道弟弥次郎らが籠る要害を落としたことが記されている。要害の具体的な名称は書かれていないものの文面全体の内容から小田原城である可能性が高く、しかも明応5年(1496年)の時点で大森氏と伊勢氏(北条氏)が共闘関係であったことが知られ、同年以前に両氏が城(小田原城)を奪い合う敵対関係になかったのは確実とみられている(佐藤博信「大森氏とその時代」『中世東国足利・北条氏の研究』岩田書院、2006年、P154-P157(原論文は『小田原市史』通史編原史・古代・中世(1998年)に所収))。
  4. ^ 佐藤博信は盛時が伊豆山権現から小田原城下の所領を没収した文亀元年(1501年)には既に盛時が小田原城を支配していたとして、城主の交替を1496年-1501年の間と推定する(前掲佐藤論文、2006年、P157-159)。
  5. ^ 前掲佐藤論文P169。
  6. ^ 『東国の戦国合戦』市村高男(吉川弘文館)P156、『関東戦国史(全)』千野原靖方(崙書房出版)P137、『北条氏康と東国の戦国世界』山口博(夢工房)P91、『武田信玄』平山優(吉川弘文館)P47
  7. ^ 「火牛の計」は津波? 小田原城奪取に新説/神奈川 カナロコ 2013年7月25日
  8. ^ 池上裕子「戦国期における相駿関係の推移と西側国境問題」(初出:『小田原市郷土文化館研究報告』27号(1991年)/所収:黒田基樹 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第二三巻 北条氏康』(戒光祥出版、2018年)ISBN 978-4-86403-285-8
  9. ^ 佐々木健策「相模府中小田原の構造」(所収:浅野晴樹・齋藤慎一 編『中世東国の世界 3後北条氏』(2008年、高志書店)ISBN 978-4-86215-042-4
  10. ^ a b 小田原写真館 小田原城天守閣再建”. 小田原市. 2018年1月22日閲覧。
  11. ^ 昭和の子供遊園地
  12. ^ 「小田原城址の 150 年 モダン・オダワラ・キャッスル 1868-2017」
  13. ^ 復興天守閣の施工は松井建設
  14. ^ 小田原で「みんなでお城をつくる会」設立-市民の手でつくる木造天守閣
  15. ^ 【平成25年終了】御用米曲輪発掘調査の新発見!(2月16日(土)見学会開催)
  16. ^ 小田原城天守閣が2015年7月から耐震工事で休館へ
  17. ^ 小田原城天守閣耐震改修等検討委員会
  18. ^ 小田原城:天守閣耐震改修、本格スタート 外壁に足場 /神奈川
  19. ^ 小田原城がリニューアル 初日入館料は熊本城修復に
  20. ^ テレ東「池の水」ついに38年ぶり小田原城の水抜き”. 株式会社スポーツニッポン新聞社. スポーツニッポン (2018年3月10日). 2018年3月10日閲覧。
  21. ^ 緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦 〜日本三大“池”だ!小田原城&善光寺&日比谷公園〜|池の水ぜんぶ抜く”. テレビ東京. 2018年4月24日閲覧。
  22. ^ 三の丸地区で「謎の堀」が二つ発見 江戸古地図に未記載 毎日新聞 2012年1月25日
  23. ^ 小田原城で謎の堀見つかる、場内の「縄張り」解明する手掛かりか/小田原 カナロコ 2012年1月26日
  24. ^ 史跡小田原城跡八幡山古廓・総構保存管理計画策定報告書(小田原市教育委員会、2010)、p.20






小田原城と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小田原城」の関連用語

小田原城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小田原城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小田原城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS