大槻玄沢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/19 08:23 UTC 版)
大槻三賢人
玄沢以後、大槻氏からは優秀な学者が多く輩出し、「西の頼家、東の大槻家」(頼家は頼山陽で有名)ともいわれた。玄沢の息子に漢学者の大槻磐渓、孫に国語学者の大槻文彦がおり、郷里の一関では、この3人を「大槻三賢人」と称する。養賢堂学頭の大槻平泉も同族の出身である。
家系図[12]
江戸大槻家 | 仙台大槻家 | 大槻宗家 |
大槻茂性(6代)[13] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大槻玄梁 | 大槻清慶(7代) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大槻玄沢 | 大槻清雄(9代) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大槻磐渓 | 大槻磐里 | 大槻平泉 | 大槻清臣(10代) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中村英麻呂 | 大槻文彦 | 大槻如電 | 大槻習斎 | 大槻清廉(11代) | 佐々木中沢(娘婿) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中村勝麻呂 | 幸 | 大槻清良 | 大槻清裕(12代) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中村英勝 | 中村妙子 | 静 | 中野好夫 | 大槻清俊(13代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
- ^ 大槻玄沢肖像 - Waseda University Library - 早稲田大学
- ^ [『GENTAKU~近代科学の扉を開いた人~』一関市博物館 2007年(平成19年)9月22日]
- ^ a b 関(2008)p.27-28
- ^ a b c d e 「大槻玄沢」朝日日本歴史人物事典
- ^ 岡田俊裕 2011年 208ページ
- ^ 大槻玄沢・志村弘強『環海異聞』雄松堂出版 ISBN 4841900985
- ^ 生計纂要 - 宮城県
- ^ 関(2008)p.175
- ^ ローレンツ・ハイスター(Lorenz Heister)の外科書の翻訳。文政8年(1825年)完成。
- ^ 早稲田大学図書館の貴重図書(1)
- ^ 国指定文化財等データベース
- ^ 『ダ・ダ・スコ』p25-29
- ^ 宗家の代数:『GENTAKU』一関市博物館(2007年)
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