埼玉県立熊谷商業高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 02:02 UTC 版)
設置学科
沿革
- 1920年(大正9年) - 熊谷町立熊谷商業学校を熊谷男子尋常小学校内に設立
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 埼玉県立熊谷商工高等学校より工業各学科を分離し現校名に改称
- 2020年(令和2年) - 商業科と情報処理科を統合し総合ビジネス科とする
クラブ
- 卓球部
- 1967年の第22回国民体育大会での優勝を契機に強化が進められ、1970年代から1980年代にかけて9回のインターハイ優勝歴がある[1][2][3]。
- 軟式野球部
- 1993年(平成5年)度、1994年(平成6年)度に全国高等学校軟式野球選手権埼玉県大会を連覇。同年秋季大会、1996年(平成8年)度春季大会と4学年連続で関東大会出場を果たし、通算1勝を挙げている。(現在は廃部)
- 硬式野球部
- 硬式野球部は前身の熊谷商工時代を含め1960年代から1980年代にかけて甲子園へ6回(夏5回、春1回)出場の実績があり、1964年夏の第46回全国高等学校野球選手権大会と1970年夏の第52回全国高等学校野球選手権大会ではベスト8に進出した[4]。1985年春の第57回選抜高等学校野球大会に出場(原口哲也とゴルゴ松本が在籍)したのを最後に甲子園からは遠ざかっている。
著名な卒業生
- 森村誠一(小説家)
- 鶴間政行(放送作家)
- 君波隆祥(元プロ野球選手)
- 原口哲也(元プロ野球選手。ゴルゴ松本とは同期)
- 渋谷浩(元卓球選手)
- 渡辺武弘(元卓球選手)
- 斎藤清(元卓球選手)
- 岩崎清信(元卓球選手)
- 曽根康治(柔道家)
- ゴルゴ松本(お笑いコンビTIM)
交通
- ^ “協会&連盟 [埼玉県卓球協会]”. 卓球王国WEB. 2016年9月12日閲覧。
- ^ “熱きあのとき 埼玉総体まで20日 (3) 土台築いた総体3冠”. 埼玉新聞 (2008年7月4日). 2016年9月12日閲覧。
- ^ “プロフィール”. SVENSON専務日記. 2016年9月12日閲覧。
- ^ 森岡浩 『高校野球甲子園全出場校大事典』東京堂出版、2000年、86-87頁。ISBN 978-4490105414。
固有名詞の分類
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