和泉元彌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 05:18 UTC 版)
人物
経歴
父は和泉流十九世宗家和泉元秀で、本人は父の死後に和泉流二十世宗家を名乗ったが、和泉流職分会・能楽協会・能楽宗家会は彼を宗家と認めていない(詳細は後述の#和泉流宗家継承騒動を参照)。
東京都板橋区出身。血液型A型。身長は171cm。明照幼稚園年少部、青山学院幼稚園、青山学院初等部、青山学院中等部・高等部を経て、1993年、青山学院大学文学部日本文学科に入学。2001年3月に卒業。和泉宗家取締役、和泉流宗家宗家会在籍。妻はタレントの羽野晶紀。2児の父。
狂言師
1歳半より父・和泉元秀の元で狂言を学び、1977年、3歳の時に「靫猿」で初舞台を踏む。9歳で「三番叟」を、10歳で「奈須与市語」、16歳で「木六駄」「釣狐」を披く。1994年、秘曲「花子」を披く。1998年に一子相伝の秘曲「狸腹鼓」を披く。
1995年、父の死後に「和泉流二十世宗家 和泉元彌」を名乗った。ただし能楽協会・能楽宗家会・和泉流職分会は彼を宗家と認めていない(後述の#和泉流宗家継承騒動を参照)。
2002年、能楽協会から退会処分を受けて以降は能楽協会関連の舞台に立てず、能の間に演じる「間狂言(あいきょうげん)」を演じることは不可能となった。現在の活動舞台は株式会社和泉宗家の主催する自主公演のみであり、近年の主な活動は歌やトークを交えたショー形式の狂言ライブと狂言教室である。2005年の愛知万博(愛・地球博)や中華人民共和国での公演などにも狂言師として出演したが、現在の公演数は一時期に較べると減少し、国立能楽堂での公演も稀となり、自宅の稽古場(敷舞台)を会場にして公演を行ったこともある。
NHKの大河ドラマ「北条時宗」の主演やプロレスなど、狂言以外の芸能活動も行っているが、各種の騒動(後述)により活動は低調となった。2008年春以降、羽野のTV露出の影響から元彌もTV番組出演が増え、歌の発売も行うなど、タレント活動を再開した。
2018年以降、和泉のものまねをしているチョコレートプラネットがブレイク[2]したこともあり、TV番組での共演が増えている[3][4]。
プロレス参戦
2005年10月、記者会見を開き、「今後は狂言の世界で培った『狂言力』を生かし、本場アメリカのエンターテイメントプロレスに挑戦したい」と、電撃的にプロレス参戦を発表し2005年11月3日、横浜アリーナで開催のハッスルマニアでプロレスデビューした[5]。応援団として、母の節子率いる「セッチー鬼瓦軍団」も登場(「鬼瓦」とはある大名が鬼瓦を見て故郷の妻を思い出すという有名な狂言の演目である)。「セッチー鬼瓦せんべい」(6枚1000円)は当日10分で完売した。
元彌は、「ダブルブッキングでも遅刻でもござらん。開場前からずっと上で待っておったのじゃ」と叫びつつヘリコプターの爆音とともに金色の派手な衣装で登場。試合では、対戦相手の元WWE所属レスラー鈴木健想との攻防を展開、プロレスの師であるAKIRAの援護、健想の妻浩子のパウダー攻撃の誤爆を挿んで、最後に「空中元彌チョップ」を連発してピンフォールを奪った。
- ^ 「朝だ!生です旅サラダ」2009年6月6日放送分で「生まれは岐阜」と発言。
- ^ “IKKOと和泉元彌のモノマネでブレイク、チョコレートプラネットの「下積み時代」”. 日刊SPA! (2019年1月22日). 2019年2月22日閲覧。
- ^ “チョコプラ長田、和泉元彌と初対面 「そろりそろり」と狂言の熱血指導”. ORICON NEWS. 2019年2月22日閲覧。
- ^ Inc, Natasha. “チョコプラ、IKKO、和泉元彌が「行列のできる法律相談所」出演”. お笑いナタリー. 2019年2月22日閲覧。
- ^ “仰天!和泉元彌がハッスル参戦”. デイリースポーツ. 2007年9月5日閲覧。
- ^ a b 三宅藤九郎家は野村万蔵家の師家にあたるが、5世野村万造の次男が断絶していた師家を継いだという経緯がある。
- ^ 元秀とは祖父が同じく五世野村万造なので、元秀従兄にあたる。
- ^ 2011年現在は無効。登録商標日本第4159445号、商標権者:山脇元彌、指定役務:演劇の上演、出願日1995年9月20日、登録日1998年6月26日、存続期間満了による権利消滅日2008年6月26日。
- ^ この頃、いわゆるダブルブッキング騒動があった。
- ^ “和泉元彌の母・セッチーが明かすダブルブッキング騒動の真相、チョコプラのモノマネは「ちゃんと教えた」”. 週刊女性PRIME. 主婦と生活社 (2022年6月24日). 2023年5月27日閲覧。
- ^ “「和泉宗家」1億5000万円所得隠し・東京国税局が指摘”. 日本経済新聞 (2006年6月27日). 2007年9月5日閲覧。
- ^ “和泉元彌 人身事故起こしていた”. 産経新聞 (2006年7月19日). 2007年9月12日閲覧。
- ^ “元彌、今度は人身事故…バイクと接触、高校生ケガ”. zakzak (2006年7月19日). 2007年9月12日閲覧。
- ^ “元彌が離婚危機を必死に否定”. 日刊スポーツ (2007年9月12日). 2007年9月12日閲覧。
- ^ a b “(5ページ目)和泉元彌一家のゴッドマザー「心の血はたくさん流しました」|芸能|婦人公論.jp”. 婦人公論.jp. 2021年1月21日閲覧。
- ^ 番組エピソード 大河ドラマ『北条時宗』 - NHKアーカイブス
- ^ “浦島太郎がミュージカルに!木村了主演「TARO URASHIMA」脚本は池田鉄洋”. ステージナタリー. (2016年5月1日) 2016年5月2日閲覧。
- ^ “語り部役・和泉元彌がホログラムで登場!舞台版「あやかしむすび」追加キャスト”. ステージナタリー. (2021年9月1日) 2021年11月19日閲覧。
固有名詞の分類
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