名古屋高速5号万場線
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路線状況
交通量
区間 | 平成17(2005)年度 | 平成22(2010)年度 | 平成27(2015)年度 |
---|---|---|---|
新洲崎JCT - 黄金出入口 | 46,465 | 39,837 | 42,199 |
黄金出入口 - 烏森出入口 | 46,465 | 39,837 | 42,199 |
烏森出入口 - 千音寺出入口 | 46,465 | 39,837 | 42,199 |
千音寺出入口 - 名古屋西JCT | 46,465 | 39,837 | 42,199 |
(出典:「平成22年度道路交通センサス」・「平成27年度全国道路・街路交通情勢調査」(国土交通省ホームページ)より一部データを抜粋して作成)
道路施設
跨線橋
黄金跨線橋
万場線は全路線中1箇所で進路を大きく変更するが、それが当該跨線橋区間である。愛知県道115号と笹島地域を橋渡しして、若宮大通へ連結させるうえでのアプローチ路線となる。当該区間には近鉄、関西本線、あおなみ線、JR東海名古屋工場に至る線路が集積し、そこを名古屋市道環状線の黄金陸橋が横断、さらにその上を万場線が通過するという複雑な構成となっている[27]。
こうした状況下で全長293 mの弧を描く跨線橋を架設するには、一括送り出し工法と橋の中央部をクレーンで架設する工法を併用することとして、まず1984年(昭和59年)9月より両側から橋桁を送り出す工事を開始した[28]。ただ、黄金陸橋の日交通量は約6万7,000台に上ることから慎重を期しての施工となり、両桁間を38 mまで接近させて1985年(昭和60年)7月に送り出し工法による建設は終了した[27]。残り38mは黄金陸橋にクレーンを設置、桁を吊り上げて落とし込んだうえでボルトで接合する工法を採用し、最初の工事が1985年10月に施工された[22]。なお、万場線における工事の難所は黄金跨線橋と後述の中川運河倉庫群における2箇所であるが、当該工事の進展が万場線開通時期の見通しを与え、当初1986年度とされた開通時期を1986年(昭和61年)秋に具体化させる一要因となった[27]。
六反跨線橋
黄金付近の大規模鉄道集積地帯を跨いでのち、若宮大通に直通するためにはもう一つ鉄道集積地帯を越える必要がある。これが六反跨線橋である。ここは東海道新幹線とJR中央線、東海道線、名鉄線が集積し、さらに広幅員道路の名古屋市道広井町線(名駅通)が並行する。また、当該区域と新洲崎JCTが近接することで、JCTの渡り線も跨線橋にかかる[29]。こうした状況から工事は送り出し工法により架設した[29]。道路交差部は手延機を使用することなく25mを押し出したが、鉄道交差部は手延機と自走台車による送り出しのうえ、前後に設置した門型降下機によって本線橋桁に連結した。さらに丸田町JCTに架かる渡り線2橋は本線桁上で組み立てたうえで送り出しにより設置している[29]。
中川運河倉庫群における建設
この付近は万場線計画時点では中川運河の堀止付近を利用して荷さばきするための4 - 5階建の巨大倉庫が複数存在したことで[30]、その大きさと業務内容ゆえ用地買収における代替地が見つからない場合は高架下における営業を許可した[31]。そのことから、橋脚は倉庫間を跨いで建設されることになり、勢い大径間の高架橋となった。橋脚は倉庫間の狭い隙間に建設され、大スパンで橋桁を架設するにも倉庫があるために橋脚中間に仮設橋脚を組めないことが問題となった。このため、運河上に作業構台としての仮桟橋を建設し、そこで長大橋桁を組み立て、橋脚にスライドして架設する横びき工法を採用した[30]。
橋脚間は概ね100 - 130mで通常の倍の長さ[30]。
環境対策
高速1号は東西方向の路線であることから、路線を挟んで北側に位置する区域では南側からの太陽光が遮断されるエリアが発生する。名古屋市の調査では冬至前後で最大20日間に渡って太陽光が当たらないエリアが発生するとされた[32]。これについては必要な補償を行ったが、北側の遮音壁に透光性タイプを採用して採光面に配慮した[33][34]。
病院や学校が近接する区間では静穏性に配慮して高層遮音壁を採用[34]
万場大橋
名古屋市と郊外を出入する国道、高速道路は概ね庄内川ないし天白川を跨ぎ、名古屋市内の交通流動を考えるうえで大きな障害となる河川である[35]。名古屋高速で見ると、この2大河川を跨ぐ場合は並行する広幅員道路を避けて迂回するケースが多い。1号楠線は国道41号の上流側[36]、6号清須線は国道22号の下流側[37]、3号大高線は国道23号の両側[38]、4号東海線は愛知県道55号名古屋半田線の下流側[39]に偏って建設されている。その中にあって5号万場線はそれらとは異なる形態を採用している。
万場大橋は名古屋市中村区と中川区の区界となる庄内川に架かる橋長196 mの大橋である[40]。元々は愛知県道115号のみが占有する単独の橋だが、いかんせん片側1車線と道路幅が狭く[41]、堤防道路と平面交差していることもあって朝夕には身動きが取れないほどの渋滞が発生していた[41]。このことから地元より早期の道路拡幅の要望が出されていたが[42][41]、これに対しては高速道路の関連街路事業の一環として架け替える計画とされた。このため、拡幅と万場線の事業を一体的に行うにあたって、近接する万場小橋(新川を渡河)も含めて橋脚から全て架け替えることになった[41]。これに伴って橋脚を二段として万場線を上乗せする形となり[40]、県道の中央を高速道路が通過する構造とされ、結果的に他の名古屋高速路線とは異なる道路形態となった。改築後は旧橋と比べて幅員が13 mから32 mと3倍に拡幅された[41]。なお、万場大橋と似た構造としては、短い距離ながら3号大高線の呼続大橋(山崎川を渡河)がある[43]。
地理
通過する自治体
接続高速道路
- 名古屋高速2号東山線(新洲崎JCTで直結)
- 名古屋高速都心環状線(新洲崎JCTで接続)
- C2 名古屋第二環状自動車道(名古屋西JCTで接続)
- E23 東名阪自動車道(名古屋西JCTで直結)
- ^ 路線名・整備計画図(名古屋高速道路公社)
- ^ a b c d 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 83.
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- ^ a b c d e “懸案の交通ネック解消へ 万場大・小橋改築 市が9月 議会へ提案”. 中日新聞朝刊: p. 10. (1974年9月18日)
- ^ 名古屋高速道路公社30年史編集委員会 2002, p. 38.
- ^ 名古屋高速道路公社20年史編集委員会 1991, pp. 69–72.
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