刀伊の入寇 朝廷の対応

刀伊の入寇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/20 22:14 UTC 版)

朝廷の対応

権帥藤原隆家は4月7日と4月8日に報告書を送り、京都に届いたのは10日後、4月17日のことであり[18]、4月18日には恩賞を約した勅符が発給されているが[19]、主要な戦闘はすでに終結していた。京都では刀伊の対馬襲撃から6日前、3月21日に藤原道長が出家し、息子の藤原頼通への権力継承が進んでいた時期で、遠い九州での戦闘、しかも長徳の変で道長と対立して失脚した経験のある藤原隆家が防衛戦の総指揮を執った今回の入寇に対する反応は鈍かった[20]

6月29日に行われた陣定では、恩賞が約された勅符が出されたのは戦闘の後だったため、藤原行成藤原公任が恩賞不要の意見を述べた。これに対し、藤原隆家から直接書状を受け取っていた藤原実資は寛平6年(894年)の新羅の入寇の際の例を上げ、今後のことを考え、約束がなくても恩賞を与えるべきと述べた。これを受け、本来与える必要はないが恩賞を与えることが決議されている[19]。恩賞を受けた例としては、戦闘で活躍した大蔵種材が壱岐守に叙任されている[21]。またこの際には、「刀伊に捕らえられた」という高麗人捕虜の証言についても検討されている[22]

賊の主体が高麗人でないと判明したのは、7月7日(8月10日)、高麗に密航していた対馬判官代長嶺諸近が帰国して事情を報じ、9月に高麗虜人送使の鄭子良が保護した日本人270人を送り届けてきてからである。高麗使は翌年2月、大宰府から高麗政府の下部機関である安東護府に宛てた返書を持ち、帰国した。藤原隆家はこの使者の労をねぎらい、黄金300両を贈ったという[注釈 2][23]


注釈

  1. ^ 女真のうち、黒水靺鞨に服属し中国化が進んでた渤海人のグループ。対して、ツングース系本来の生活スタイルを守っていたグループは生女真と呼ばれる。
  2. ^ このことは『大鏡』にも記述がみられるが、高麗ではなく、旧称の新羅と記述している。
  3. ^ 原因は『御堂関白記』によれば「突目」、すなわち先の尖った物による外傷のため。

出典

  1. ^ 『刀伊の入寇』/関幸彦インタビュー”. 中公新書 (2022年3月17日). 2024年5月20日閲覧。
  2. ^ 瀬野ほか 1975, p. 44.
  3. ^ 石井 2010, p. 93.
  4. ^ a b c 瀬野ほか 1975, p. 45.
  5. ^ 蓑島 2006, pp. 76–99.
  6. ^ 中村 2006, pp. 100–121.
  7. ^ 蓑島 2006, p. 91.
  8. ^ a b c 中村和之 「『混一疆理歴代国都之図』にみえる女真の活動」 (混一疆理歴代国都之図研究プロジェクト 国際シンポジウム「混一疆理歴代国都之図とその周辺」2012年12月8日 の講演より)
  9. ^ 蓑島 2006, pp. 88–90.
  10. ^ 土田 1965, p. 369.
  11. ^ 小右記』5巻140頁。寛仁3年4月25日
  12. ^ 佐藤 1994, p. 40.
  13. ^ a b 小右記』5巻180頁。寛仁3年8月3日
  14. ^ 瀬野ほか 1975, p. 46.
  15. ^ 小右記』5巻177頁。寛仁3年8月3日
  16. ^ a b c d e 瀬野ほか 1975, pp. 45–46.
  17. ^ 寛仁三年四月十七日~同年七月十三日条。大日本資料2-14、213~312頁。[要出典]福田 1995, 戦争とその集団
  18. ^ 小右記』 寛仁3年4月17日条
  19. ^ a b 尾崎 1998, p. 36.
  20. ^ 丸山淳一 (2023年7月19日). “平安時代最大の対外危機「刀伊の入寇」…平和ボケの朝廷に代わり、力を発揮した「さがな者」藤原隆家”. 読売新聞オンライン. 読売新聞社. 2024年5月19日閲覧。
  21. ^ 大蔵種材(おおくらのたねき)とは - コトバンク、朝日日本歴史人物事典の解説、朧谷寿執筆項
  22. ^ 尾崎 1998, p. 35.
  23. ^ 西川吉光「海民の日本史4」『国際地域学研究』第22号、東洋大学国際学部、2019年3月、93-122頁、ISSN 1343-9057NAID 120006629488 






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