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刀伊の入寇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 09:51 UTC 版)

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注釈

  1. ^ 女真のうち、黒水靺鞨に服属し中国化が進んでた渤海人のグループ。対して、ツングース系本来の生活スタイルを守っていたグループは生女真と呼ばれる。
  2. ^ このことは『大鏡』にも記述がみられるが、高麗ではなく、旧称の新羅と記述している。
  3. ^ 原因は『御堂関白記』によれば「突目」、すなわち先の尖った物による外傷のため。

出典

  1. ^ 『刀伊の入寇』/関幸彦インタビュー”. 中公新書 (2022年3月17日). 2024年5月20日閲覧。
  2. ^ 瀬野ほか 1975, p. 44.
  3. ^ 石井 2010, p. 93.
  4. ^ a b c 瀬野ほか 1975, p. 45.
  5. ^ 蓑島 2006, pp. 76–99.
  6. ^ 中村 2006, pp. 100–121.
  7. ^ 蓑島 2006, p. 91.
  8. ^ a b c 中村和之 「『混一疆理歴代国都之図』にみえる女真の活動」 (混一疆理歴代国都之図研究プロジェクト 国際シンポジウム「混一疆理歴代国都之図とその周辺」2012年12月8日 の講演より)
  9. ^ 蓑島 2006, pp. 88–90.
  10. ^ 土田 1965, p. 369.
  11. ^ 小右記』5巻140頁。寛仁3年4月25日
  12. ^ 佐藤 1994, p. 40.
  13. ^ a b 小右記』5巻180頁。寛仁3年8月3日
  14. ^ 瀬野ほか 1975, p. 46.
  15. ^ 小右記』5巻177頁。寛仁3年8月3日
  16. ^ a b c d e 瀬野ほか 1975, pp. 45–46.
  17. ^ 寛仁三年四月十七日~同年七月十三日条。大日本資料2-14、213~312頁。[要出典]福田 1995, 戦争とその集団
  18. ^ 小右記』 寛仁3年4月17日条
  19. ^ a b 尾崎 1998, p. 36.
  20. ^ 大蔵種材(おおくらのたねき)とは - コトバンク、朝日日本歴史人物事典の解説、朧谷寿執筆項
  21. ^ 尾崎 1998, p. 35.
  22. ^ 西川吉光「海民の日本史4」『国際地域学研究』第22号、東洋大学国際学部、2019年3月、93-122頁、ISSN 1343-9057NAID 120006629488 


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