函館ハリストス正教会 イコノスタス

函館ハリストス正教会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 00:48 UTC 版)

イコノスタス

冒頭記述の通り、函館ハリストス正教会の聖堂は「主の復活聖堂」であり、イコノスタスにもそれは反映されている。正教会の聖堂は何らかの聖伝中の事件もしくは聖人を記憶して建設されるが、イコノスタスにもその記憶は反映される。イコノスタスの最も右側の部分か、イコノスタスの中央上部に、聖堂の記憶内容に相当するイコンが設置される習慣がそれである。

函館ハリストス正教会の主の復活聖堂の場合、中央上部のイコンがハリストスの復活の場面のイコンとなっている。

上磯ハリストス正教会

函館ハリストス正教会から分かれた施設として、北斗市上磯ハリストス正教会が存在する。1875年(明治8年)、上磯の民家を利用して布教を始め、1884年(明治17年)に有川正教会として会堂を設立した。1962年(昭和37年)には会堂を改築し、上磯ハリストス正教会と呼ばれるようになった。

現在利用している聖堂は1987年(昭和62年)完成のものである。聖堂はハリストスの昇天を記念する主の昇天聖堂である。

その他

函館市のカントリーサインに復活聖堂が使用されている[7]

所在地

〒040-0054 北海道函館市元町3−13

交通アクセス

周辺

脚注

参考文献

  • 厨川勇著、『函館ガンガン寺物語』、北海道新聞社、1994年
  • 南北海道史研究会編『函館・道南大事典』、国書刊行会、1985年

関連項目

外部リンク

座標: 北緯41度45分46秒 東経140度42分44秒 / 北緯41.76278度 東経140.71222度 / 41.76278; 140.71222 (函館ハリストス正教会)


  1. ^ “函館ハリストス正教会 復活聖堂 重文に”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1983年3月26日)
  2. ^ 115年ぶりロシア人新司祭 函館ハリストス正教会 ドミトリエフさん(北海道新聞)[リンク切れ]
  3. ^ a b c d ハリストス正教会改修へ、函館”. 共同通信. 2021年1月18日閲覧。
  4. ^ 牛丸康夫『日本正教史』26頁 - 32頁、正教会、1978年
  5. ^ 河村伊蔵の孫である内井昭蔵の著作『ロシアビザンチン(建築巡礼) 黄金の環を訪ねて』1991年 丸善 ISBN 9784621035481では「輔祭」となっており、本項ではそれに従って記述した。
  6. ^ 函館ハリストス正教会の鐘 Archived 2013年1月5日, at the Wayback Machine.
  7. ^ まちのシンボル、カントリーサイン


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