内藤正重 生涯

内藤正重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 10:14 UTC 版)

生涯

内藤氏陣屋跡

天正18年(1590年)、徳川家康に仕え、小田原征伐に従軍。文禄元年に300石を賜る。以後、関ヶ原の戦い大坂の陣などに歴戦する。

慶長5年(1600年)に使番、慶長6年(1601年)に徒頭となり1000石を領する。慶長19年(1614年持弓組頭(俗に内藤組の初代)となり2900石に加増され、徳川秀忠の側近を勤める。

寛永3年に従五位下外記に叙任された。寛永8年(1631年)に武蔵国栢間の領主、内藤忠俊(忠利、内藤正重の従兄弟)が不祥事により改易となるが、祖父である正成の三河以来の武功が評価され、正重に忠俊の旧知5000石(武蔵国栢間村、戸ヶ崎村、新堀村、三箇村、小林村など)が与えられた。

寛永19年(1642年)3月12日病の為、職を辞する。承応3年(1654年)に子の正吉に家督を譲る。寛文3年(1663年)、86歳で死去。墓所は埼玉県久喜市菖蒲町栢間の善宗寺。

子孫は天和2年(1682年)5代正吉のときに上野台之郷・下野作原で700石加増され、5700石の旗本寄合として幕末の14代正從(まさとも)まで続く。陣屋は、栢間陣屋(現在の久喜市菖蒲町下栢間の栢間小学校付近。1万坪を超える敷地だった)。

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