八重山民政府 民政府発足前の「八重山支庁」

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八重山民政府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 10:01 UTC 版)

民政府発足前の「八重山支庁」

1945年沖縄戦によって沖縄県庁の機能が麻痺し、しかも戦争マラリアの爆発的流行によって社会不安が発生し、八重山支庁そのものも機能を失っていた。そのため、島民は八重山自治会を結成することになり、会長として宮良長詳を選出した。米軍政府は「八重山支庁」を同年12月28日に復活させ[4]、自治会長の宮良長詳を支庁長に任命した[5][6]。八重山支庁は1947年1月24日八重山仮支庁に改称された[4]

「八重山支庁」の行政機構

  • 支庁長
    • 総務部
    • 経済部
    • 事業部
    • 衛生部
    • 文化部
    • 警務部
    • 逓信部
    • 秘書課

八重山議会

八重山支庁の諮問機関として1946年に設置された八重山支庁議会が前身である。八重山民政府の発足に伴い、八重山郡会次いで八重山議会と改められた[1]。1950年になり、八重山民政議会に改組された。

関連項目

外部リンク


  1. ^ a b 八重山 近・現代史 略年表 1945年(昭和20)8月15日〜1972年(昭和47)5月14日”. 石垣市 (2020年3月2日). 2020年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
  2. ^ a b c 宮古民政府・八重山民政府が設立される”. 琉球政府の時代. 沖縄県公文書館. 2022年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
  3. ^ 布告・布令・指令等(2) 住民の行政機構の設置”. 琉球政府の時代. 沖縄県公文書館. 2021年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
  4. ^ a b 『角川日本地名大事典 47 沖縄県』(1986年7月8日、角川書店発行)1065頁。
  5. ^ 大田靜男『八重山戦後史』ひるぎ社、1985年1月15日、67頁。 
  6. ^ 宮良長詳 (みやら・ちょうしょう)”. 最新版 沖縄コンパクト事典. 琉球新報社. 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。


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