仙台裸参り 仙台裸参りの概要

仙台裸参り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/09 06:08 UTC 版)

大崎八幡宮松焚祭 仙台裸参り参道をゆく
雪の日の仙台裸参り-2013  大崎八幡宮松焚祭

仙台裸参りは南部杜氏をはじめとする酒造業にその起源があると考察されている(詳細後述)が、20世紀後半以降は酒造りの職人から一般市民へと参加者は変化し、企業・大学・病院職員・教員・介護職員・団体などへと広がりを見せている。裸参りの参加者は、1992年(平成4年)の200団体/7,500人をピークに、その後は100団体前後/3,000人前後の規模の参加となっている[要出典]。2021年は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、もっとも規模の大きな大崎八幡宮松焚祭でも参加申し込み者が前年の約3,000人から50団体・368人に激減し、県内の他地域では中止するところもあった[1]

裸参りの歴史

嘉永年間(1848-1854)『仙台年中行事絵巻』「正月風俗」から

『仙臺始源』(安永 - 文化年間成立)に「木下薬師の通夜 木下祭祀の事は三月にあり堂塔の眞圖は爰に出す正月七日の夜諸人群をなして木下薬師に賽す是を七日堂と云通夜する者多し夜籠りといふ寒候薄衣を着て詣る者ある裸参りといふ」とある記述が仙台周辺の「裸参り」の初出とされる[2]

1849年(嘉永2年)刊行の二世十遍舎一九(著)『奥羽一覧同中膝栗毛』第四篇に掲載された仙台の年中行事(別名『仙臺年中行事大意』)の中には「十五日。大崎入幡宮。十四日夜 より参詣群集す。 この日、門松を入幡の社内にて焚失るなり。」 という記載がある[3]。さらに、1850年(嘉永3年)頃成立と推定される『仙臺年中行事絵巻』の『正月風俗の図』には、注連縄と鉢巻きだけの男性3人(それぞれ、鐘・三方・「菅原」と書かれた桶を持参)の絵と「裸まうて(で)」という注書きが記されており、これらの資料から1840年代後半には「裸参り」が実施されていたと考えられている[3]。『仙臺年中行事絵巻』の絵にある桶に書かれた「菅原」が国分町にあった造り酒屋「菅原家」と推定されることなどから、2006年の仙台市教育委員会作成の資料では、「裸参り」をしていたのが酒屋または杜氏であることは「ほぼ確実であろうと見られている」と記している[3]

前記仙台市教育委員会資料は、「仙臺では十四日から暁かけて大崎八幡宮に松焚祭を執行され、みちも社もうずまるばかりの盛況である、中にも数百人の裸体詣りが神鈴を鳴らして雪を踏んで寒中の中を進むのが威勢よく見られる、これらを暁詣でといふてゐる。[4]」という郷土資料の記述から、「酒屋の安全祈願」であった「裸参り」が「暁詣で」(アカツキモウデ)という民衆習俗と習合した「『参拝行事』の一形態 と化していった」としている[3]

大崎八幡宮松焚祭(どんと祭)

大崎八幡宮の松焚祭(どんと祭)は、厳かに進められる神道的儀礼を中心にして社家が深くかかわる祭礼行事であることが明らかである。しかし、それとともに暁参りや裸参り、古くは鳥追いなどのかたちで周辺住民が多数かかわる民俗的要素から成り立っていることもまた事実である[5]

参詣者が持参した注連縄・松飾りを境内に積み上げて焼く松焚祭(大正期以降に「どんと」の呼称が定着したとされる)は、西日本における「左義長」「お柴燈焼き」等と同じ性質の行事と考えられているが、宮城県に関しては近世以前に同様の祭礼がほとんど確認されないため、ほとんどが大崎八幡宮のどんと祭を起点として普及したとみられている[6][7][8][9]

裸参りには、裸形の人々が神聖性をともなうほど 来訪神化・まれびと化している側面が感じとれる。そういう意味においても、今や裸参りは大崎八幡宮の松焚祭(どんと祭)には欠かすことのできない貴重な民俗習俗となっていると考えられる[5]


注釈

  1. ^ 後述する保存会の設立趣意書に記載された正統な天賞酒造の裸参りは「1.水をかぶって体を清める」「2.ゆっくりと歩み、行きも帰りも私語を慎むために『含み紙』をくわえ、列から離れない」「3.鈴をそろって鳴らす」「4.列の順番にしきたりがあり、動かさない」というものである[15]
  2. ^ さらにその後、2011年の東日本大震災が原因で自社醸造を断念し、銘柄を同県内の中勇酒造に譲渡している[17]

出典

  1. ^ “コロナ終息願い「どんと祭」 「裸参り」参加者は激減 仙台・大崎八幡宮”. 毎日新聞. (2021年1月15日). https://mainichi.jp/articles/20210114/k00/00m/040/288000c 2021年1月23日閲覧。 
  2. ^ 仙台市教育委員会 2006b, p. 22.
  3. ^ a b c d 仙台市教育委員会 2006b, pp. 11–12.
  4. ^ 特集号「郷土の伝承」第1輯『封内年中行事』. 宮城教育. (1931年10月) 
  5. ^ a b c d e 『どんと祭の歴史と民俗』大崎八幡宮、2016年。 
  6. ^ a b 仙台市教育委員会 2006b, p. 9.
  7. ^ 仙台市教育委員会 2006b, pp. 11–13.
  8. ^ 仙台市教育委員会 2006b, pp. 13–15.
  9. ^ 仙台市教育委員会 2006a, p. 167.
  10. ^ 菊地勝之助 『「仙台事物起原考」』郵辨社、1964年。 
  11. ^ a b 仙台市教育委員会 2006a, pp. 173–174.
  12. ^ 仙台市教育委員会 2006b, p. 12.
  13. ^ 仙台市教育委員会 2006a, p. 101.
  14. ^ 仙台市教育委員会 2006b, p. 103.
  15. ^ a b c d e 仙台市教育委員会 2006b, p. 47.
  16. ^ a b c 仙台市教育委員会 2006b, pp. 99–100.
  17. ^ “まるや天賞醸造断念 震災で設備損傷 中勇に商標権譲渡”. 河北新報. (2011年7月16日). オリジナルの2011年7月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110719201936/http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/20110716t12008.htm 2021年1月25日閲覧。 
  18. ^ 仙臺伝統裸参り保存会


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