仁支川峰子 ディスコグラフィ

仁支川峰子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/30 09:11 UTC 版)

ディスコグラフィ

シングル

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1 1974年
7月25日
A面 あなたにあげる 千家和也 三木たかし 藤田はじめ SV-1191
B面 おとめ港 岡千秋
2 1974年
12月5日
A面 初めてのひと 山田一芳 SV-1210
B面 恋化粧 三木たかし
3 1975年
3月25日
A面 ふたりの秘密 SV-1220
B面 十六の恋
4 1975年
7月5日
A面 考えさせて欲しいのよ 名取純 賀川幸生 SV-1241
B面 恋が私を変えました 中山大三郎 新井利昌
5 1975年
9月5日
A面 縁切り港 千家和也 千葉毅 SV-1252
B面 野菊の丘
6 1975年
12月20日
A面 あのひとは遠い人 三木たかし SV-1265
B面 恋でしょうか 岡千秋
7 1976年
3月5日
A面 十九の夢 石坂まさを 湯野カオル SV-1285
B面 さよならはくちづけで 臼井ひさし 猪俣公章
8 1976年
4月25日
A面 初恋音頭 石坂まさを 吉田正 寺岡真三 MV-1080
B面 湯けむり小唄
9 1976年
7月5日
A面 峰子のマドロスさん 山口洋子 猪俣公章 前田俊明 SV-6027
B面 東京へ行っちゃった 石坂まさを 岡千秋
10 1976年
10月25日
A面 女になるでしょう 吉岡治 岡林信康 SV-6114
B面 夜祭りの都 岡林信康
11 1977年
2月25日
A面 ギター流して今晩わ 山田宏 猪俣公章 SV-6172
B面 それまで待ってね 臼井ひさし 新井利昌 柳田六合雄
12 1977年
7月5日
A面 男友達 小林亜星 竜崎孝路 SV-6252
B面 わたしの波止場 増田智子 岡千秋 あかのたちお
13 1977年
11月5日
A面 愛したいあなた 千家和也 穂口雄右 毛利猛 SV-6328
B面 あなたの涙 千葉毅 藤田はじめ
14 1978年
4月5日
A面 いっちゃえ いっちゃえ 森雪之丞 市川昭介 若草恵 SV-6400
B面 おんな花 木村弘清 竜崎孝路
15 1978年
8月25日
A面 東京ラブ・コール 西井久 岡千秋 前田俊明 SV-6462
B面 十九の海峡 平山忠夫 馬飼野俊一
16 1979年
2月25日
A面 帰郷 芦原みづほ 鶴岡雅義 馬場良 SV-6548
B面 別れ上手な人でした 吉法かずさ 徳久広司 伊藤雪彦
17 1979年
7月25日
A面 小泊岬 山口洋子 遠藤実 斉藤恒夫 SV-6609
B面 女のみれん 白鳥園枝 岡千秋 伊藤雪彦
18 1979年
11月1日
A面 あしたの幸せ 茜まさお 平尾昌晃 馬飼野俊一 SV-6652
B面 三日月だより 森雪之丞
19 1980年
6月21日
A面 やさしく別れて 中村泰士 戸塚修 SV-7014
B面 恋の約束 吉法かずさ 中村泰士
20 1981年
6月21日
A面 恋の川 はぞのなな たきのえいじ 伊藤雪彦 SV-7121
B面 好きなひと
21 1982年
10月21日
A面 夜の新宿しのび逢い たかたかし 市川昭介 斉藤恒夫 SV-7257
B面 あなたに惚れちゃった
22 1983年
10月5日
A面 ツキツキ小唄 伊藤アキラ 佐藤寛 馬飼野康二 SV-7342
B面 惚れました はぞのなな 岡千秋 斉藤恒夫
23 1985年
3月21日
A面 いけず 千家和也 三木たかし 高田弘 SV-9002
B面 わかれてあげるわ
24 1985年
11月5日
A面 時雨宿 初信之介 岡千秋 池多孝春 SV-9072
B面 波の花 水木かおる 弦哲也 丸山雅仁
25 1992年
7月22日
01 島田のブンブン 田口洋 山田一平 伊戸のりお VIDL-10261
02 恋囃子
26 2007年
4月18日
01 恋情・香春町 開田豊 吉川みき SURSU-2
02 流れ星キラリ
27 2011年
8月24日
01 人生一花 峰崎林二郎 三浦丈明 猪股義周 WKCL-7070
02 閉め忘れた窓 石田光輝
28 2018年
2月21日
01 一歩坂 さいとう大三 泉盛望 Deep寿 TJCH-15580
02 しょんがいな 結木勝揮 平山むつみ
29 2019年
8月28日
01 昭和の女 にしかずみ 泉盛望 TJCH-15631
02 一歩坂 さいとう大三 泉盛望 Deep寿

デュエット・シングル

発売日 デュエット A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1977年 橋幸夫 A面 お祭り音頭 吉川静夫 吉田正 寺岡真三 MV-1093
B面 ふるさと囃子

アルバム

  • 演歌17才(1975年、GX-1008)
  • あなたにあげる(1975年、SJX-198)
  • 西川峰子スーパーデラックス(DX-10036)
  • ふたりの秘密(1975年、SJX-210)
  • 十九の夢(1976年3月25日、SJX-10127)
  • 演歌18才(1976年7月25日、SJX-10142)
  • ギター流して今晩わ(1977年3月5日、SJK-10183)
  • 故郷への便り(1977年7月5日、SJK-10196)
  • いっちゃえ いっちゃえ(1978年5月25日、SJX-20064)
  • 銀座カンカン娘(1978年、SJX-20090)
  • 帰郷(1979年3月5日、SJX-20113)
  • GOLDEN☆BEST やまびこ演歌・西川峰子(2007年11月21日、VICL-62659)
  • 女優・仁支川峰子が文芸作品を唄う(2014年6月11日、POCE-3452)

タイアップ曲

楽曲 タイアップ
1979年 あしたの幸せ フジテレビ系ドラマ「微笑日記」主題歌

注釈

  1. ^ 当日は西川の故郷の人たちが応援に駆けつけてくれた。歌唱前に司会者から「故郷の皆さんがお越しです」と紹介され、本人は「紅白という大舞台の中、故郷の人たちのおかげで本当にホッとしたし嬉しかった」と回想している[10]
  2. ^ 作中では病気により、布団部屋で一人半狂乱で喀血しながら「誰でもいいからさ、抱いておくれよ。お願いだから。ねぇ、ここ、噛んで!」と絶叫する。
  3. ^ 本人は後年、「見てくれた女性の方に、『私も若かった頃の記念にヌードを撮って残そうかな』って思ってくれたら嬉しい。また、私の写真集を身内で保管してもらって、私が亡くなってからも『峰子おばちゃんてこうだったの?!』みたいに語り継がれていくのが理想です」と語っている[4]
  4. ^ また滞在中西川以外のスタッフたちは現地のものを食べて全員お腹を壊したが、本人は日本から持参したレトルト食品だけを食べていたため一人だけ大丈夫だった[4]
  5. ^ 35歳以降も写真集を出しているが、本人は後のインタビューで「その後もヌードのオファーは来たが一切受けていません」と発言している[4]。詳細は不明だが、以後の写真集では着衣のグラビアを新しく撮っても、ヌードは過去の写真を掲載している模様。
  6. ^ 先述の子供時代の通学により成人までに丈夫な骨になっており、骨の状態を知らないままかなりの長距離を歩いたことで炎症を起こした。
  7. ^ この時について本人は後に、「はたから見れば静かに眠っているようでしたが、当の私は息ができず、苦しくて苦しくて、それがお医者さまには届かないんです。『あぁ、死ぬときってこんなに苦しんだ』と思いましたね。一種の悟りというか……。よく、亡くなった人のことを『穏やかな最期でした』って言うけど、とんでもないことですよ。そのまま3日間で10回呼吸困難に陥った後、何とか息を吹き返しましたけど」と述懐している[12]
  8. ^ 改名直後に甲状腺の乳頭癌が判明した。本人はこれについて「『改名は逆効果』と思うかもしれませんが、私はむしろ改名したからこそ奥にいたがんが早く出てきて命が助かったと思っています」とのこと[4]
  9. ^ 本人はさらに、「“嫌われたくないから”と言いたいことを言わないのは良くないと思っています。万人なんかに好かれなくていいんです。100人いたら2~3人、自分のことを好きでいてくれる人がいたらいい、という感じで自由に言わせてもらっています」とも述べている[6]

出典

  1. ^ a b c d 高須基仁 (2009年5月7日). “威風堂々・西川峰子“熟年恋愛”…熟女ブーム先駆け”. ZAKZAK. 2012年5月19日閲覧。
  2. ^ a b c TV美女50人「女優力」最新ランキング(3)ブッタ斬りインタビュー”. アサ芸プラス (2012年1月26日). 2012年5月19日閲覧。
  3. ^ a b アサヒ芸能 2012年5月24日号 p. 66 -69
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 週刊実話2023年6月22日号・美女ざんまい「実話劇場」ゲスト・仁支川峰子p70-73
  5. ^ a b 「尽くしすぎ」原因? 歌手の西川峰子が正式離婚”. ZAKZAK (2009年4月27日). 2012年5月19日閲覧。
  6. ^ a b 何度も試練経験の仁支川峰子「人間死ぬまで修行、怖がり過ぎは無意味」(その3)”. NEWS ポストセブン (2022年1月25日). 2023年7月30日閲覧。
  7. ^ 熟女ヌードで人気、西川峰子を見守るクールな愛の影”. ZAKZAK (2008年3月27日). 2012年5月19日閲覧。
  8. ^ 西川(仁支川)峰子がん摘出 6・1復帰”. 日刊スポーツ (2010年5月25日). 2012年5月19日閲覧。
  9. ^ 仁支川峰子「岡江さんとの縁がありました」 生前所属の「スタッフ・アップ」に移籍”. スポニチ (2021年1月6日). 2021年9月28日閲覧。
  10. ^ a b c d 週刊ポスト1月7日号紅白落選「私はこう乗り越えた」p155
  11. ^ 何度も試練経験の仁支川峰子「人間死ぬまで修行、怖がり過ぎは無意味」(その1)”. NEWS ポストセブン (2022年1月25日). 2023年7月30日閲覧。
  12. ^ a b c 何度も試練経験の仁支川峰子「人間死ぬまで修行、怖がり過ぎは無意味」(その2)”. NEWS ポストセブン (2022年1月25日). 2023年7月30日閲覧。


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