下村寿一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 16:02 UTC 版)
下村 寿一 | |
---|---|
誕生 |
1884年7月31日 京都府与謝郡加悦町(現・与謝野町) |
死没 | 1965年1月9日(80歳没) |
職業 | 官吏、教育者 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東京帝国大学法科大学 |
代表作 |
『教育行政撮要』(1933年) 『聖戦完遂と女子教育』(1944年) |
経歴
京都府与謝郡加悦町(現在の与謝野町)出身[1]。1910年(明治43年)、東京帝国大学法科大学を卒業[1]。山形県属、同警視、富山県理事官、東京府理事官を務めた[1]。その後、文部省参事官・文部大臣秘書官に転じ、宗教局長、社会局長を歴任し、1929年(昭和4年)に退官した[1]。1932年(昭和7年)に宗教局長として復帰し、1934年(昭和9年)に普通学務局長に転じた[3]。1935年(昭和10年)より東京女子高等師範学校校長を務め[3]、1945年には女子学習院長となった[2]。
戦後は大日本女子社会教育会理事長、宗教法人審議会会長、文化財専門審議会副会長などを務めた[4]。1953年12月、国有財産管理処分に関する件(富士山頂払下げ事件)に関し衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された[5]。
著作
- 「明治以来の宗教行政」(『文部時報』第730号、帝国地方行政学会、1941年7月)
- 著書
- 『教育行政撮要』 岩波書店、1933年4月
- 『教育行政撮要』 岩波書店、1937年9月改訂版
- 『現代教育学大系 原論篇第廿三巻 社会教化運動』 成美堂書店、1936年10月
- 『岡田良平』 文教書院〈日本教育先哲叢書〉、1944年1月
- 『聖戦完遂と女子教育』 日本経国社、1944年11月 / 日本図書センター〈近代日本女子教育文献集〉、1984年12月 / 2002年6月、ISBN 4820568892
- 編書
- 『崇神天皇の御聖徳』 文松堂出版、1944年9月
- ^ a b c d e 大衆人事録 1930.
- ^ a b 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
- ^ a b 日本官界名鑑 1942.
- ^ 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年。
- ^ 第19回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第2号 昭和28年12月17日
- 下村寿一のページへのリンク