上野大樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 10:07 UTC 版)
ロッテ選手時代(2011年) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都足立区 |
生年月日 | 1986年10月13日(37歳) |
身長 体重 |
182 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2008年 ドラフト3位 |
初出場 | 2009年7月3日 |
最終出場 | 2015年6月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
経歴
プロ入り前
帝京高では1年夏に甲子園出場するが登板なし[1]。東洋大学に進学。3年秋までは1勝止まりだったが[2]、2008年の第57回全日本大学野球選手権大会にて、最優秀投手賞に選ばれる[2]。4年秋はMVP、最優秀投手[1]の活躍で、明治神宮野球大会にも優勝して4冠に貢献。東都大学リーグ通算8勝3敗。
2008年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3位指名され、12月19日に契約した。
プロ入り後
2009年には、7月3日の対オリックス・バファローズ戦(千葉マリンスタジアム)に中継ぎ投手として一軍デビュー。8月21日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)で初勝利を挙げるなど、一軍公式戦16試合の登板で、1勝1敗、防御率3.94という成績を残した。
2010年には、一軍公式戦7試合に登板したが、1勝も挙げられなかった。
2011年には、7月9日に救援でシーズン初の一軍戦登板。同月17日の福岡ソフトバンクホークス戦で一軍初の先発マウンドに立つと、被安打6・無四球という内容で完封勝利を記録した[2]。その後は、先発ローテーションの一角を担いながら13試合に登板。4勝7敗、防御率3.55という内容でシーズンを終えた。
2013年には、この年から一軍監督に就任した伊東勤の方針で中継ぎに再転向。開幕直後の4月6日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、一軍公式戦42試合(先発1試合)の登板で、防御率3.06を記録した。
2014年には、6月17日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)8回裏2死満塁からの登板で勝利を挙げる[3]など、前年に続いて中継ぎで起用。一軍公式戦には、31試合の登板で2勝を挙げたが、プロ入り後自己最多の12本塁打を浴びた。
2015年には、一軍公式戦2試合に登板。通算2イニングで1勝を挙げたが、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[4]。11月10日には、シートバッティング形式の12球団合同トライアウト(草薙球場)に参加するも、白根尚貴から三塁打を浴びるなど、対戦した打者3人全員に安打を許し[5]、同月29日に現役引退を表明した[6]。
現役引退後
2015年12月10日に、マリーンズ・ベースボール・アカデミーのテクニカルコーチへ就任することがロッテ球団から発表された[7]。2018年1月からは、スタジアム部へ異動。「ホスピタリティグループおもてなし担当」として活動[8]。2023年からは球団広報。
選手としての特徴
平均球速約136km/h[9]、最速148km/hのストレートとスライダーを中心に、フォーク、カーブ、まれにシュートを織り交ぜる本格派右腕。
- ^ a b 2009スポニチプロ野球選手名鑑 スポーツニッポン新聞社
- ^ a b c d 道具の流儀 上野大樹『週刊ベースボール』2011年11月28日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-11/28, 60-61頁。
- ^ ロッテ 上野 今季初勝利「ここは男になってやろう」スポーツニッポン 6月17日付記事
- ^ 来季契約について 千葉ロッテマリーンズ公式サイト 2015年10月3日閲覧。
- ^ “2015年合同トライアウト速報”. 日刊スポーツ. (2015年11月10日)
- ^ “ロッテ戦力外の上野が引退決意「夢の世界でした」”. (2015年11月30日)
- ^ 来季スタッフ契約について 千葉ロッテマリーンズ公式サイト(2015年12月10日)
- ^ 紀章, 梶原. “引退から2年、ロッテ上野大樹が就任した「おもてなし担当」とは?”. 文春オンライン. 2019年6月8日閲覧。
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、80頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
- ^ 「【千葉魂】 努力の上野、がむしゃらに前へ 右肩打撲もパワーアップ誓う」千葉日報ウェブ ちばとぴ2013年7月16日
固有名詞の分類
- 上野大樹のページへのリンク