一の谷墳墓群遺跡 一の谷墳墓群遺跡の概要

一の谷墳墓群遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/04 21:41 UTC 版)

概要

1984年(昭和59年)に宅地開発の事前調査で存在が明らかにされ、その後の調査によって15500平方メートルの範囲に平安時代から江戸時代初期にかけての3000基以上の塚墓、土壙、集石墓などの墳墓があることが確認された。研究者からは国の史跡指定の価値があると評価され、市民による反対運動にもかかわらず、1989年(平成元年)に全面的に破壊された。

見付は遠江国国衙守護所が置かれた土地とされ、後に宿場町となって東海道五十三次の1つ見付宿となった。平安時代から南北朝時代にかけての在庁官人守護被官およびその関係者のものとみられる墳墓と鎌倉時代後期以後の庶民などのものとみられる墳墓に分けることが可能である。墓地がとして中心部から隔離された場所に置かれた中世都市の構造や墳墓の背景にある中世人の宗教観などを探る上で貴重であったと考えられているために破壊による損失は大きいとされている。

参考文献

座標: 北緯34度44分08.3秒 東経137度51分03.9秒 / 北緯34.735639度 東経137.851083度 / 34.735639; 137.851083




「一の谷墳墓群遺跡」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「一の谷墳墓群遺跡」の関連用語

一の谷墳墓群遺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



一の谷墳墓群遺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの一の谷墳墓群遺跡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS