レバノン侵攻 (2006年) 一時停戦

レバノン侵攻 (2006年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 07:21 UTC 版)

一時停戦

7月30日、イスラエル空軍(IAF)はレバノン南部の町カナへの空爆を開始、ヒズボラが潜伏すると思われた中心部への2度の空爆で、37人の子ども(うち15人は身体精神障害児で退避救援を待っていた)を含む56人が死亡、多数の負傷者が出た。

ライス国務長官のレバノン訪問中に起きたこの惨事により、イスラエルは国際的な非難を浴びた。これにより、イスラエルは7月31日に48時間の人道的空爆停止に同意した。しかし、自衛目的の攻撃は続けるとした為、停戦時間中も断続的に空爆を行った。

8月1日深夜から2日にかけ、IDFは特殊部隊によるベッカー高原バールベックへの空爆(シャープ・スムース作戦)を実行し、レバノン市民18人が死亡、5人を捕虜とした。

戦闘再開

停戦の終了する2日から3日にかけて、IAFはレバノン全土に対する空爆を再開した。南部ではIDFとヒズボラの地上戦も再開され、激しい戦闘となった。

レバノンのフアード・シニオラ首相は3日、IDFの攻撃でこれまでに900人以上が死亡、3000人が負傷し、人口の4分の1の約100万人が避難所生活を余儀なくされていると述べた。

また、死傷者の3分の1は12歳未満の子供だと主張した。同日、世界の子供を支援するイギリス非政府組織セーブ・ザ・チルドレン」は、IDFのレバノン攻撃による死者のうち、45%が子供であることを明らかにした。同組織が確認したとする死者数は615人で、子どもが33%を占めているという。

また、同日付のイギリスの日刊紙『インデペンデント』が国際連合児童基金の推計として報じたところによると、100万人近くのレバノン人が避難民となっており、その45%が子供だとした。

8月4日、IAFはカアへ空爆を行い、シリア人やレバノン系クルド人の農夫33人が死亡した。

一方、ヒズボラ下部組織はティルス周辺から、長距離ロケットによりハデラ(ハイファ地区の町)を攻撃した。IDFは、5日深夜1時、ティルス北部のオレンジ果樹園にヘリコプターで降着、ヒズボラ陣地と見た塀を越えて侵入した。アパートメントの2階を砲撃し、住人数名が負傷した。ヒズボラ兵士との銃撃戦となり、IAF武装ヘリコプターが支援した。これにレバノン国軍が地対空ミサイルを発射するが反撃され、地上のレバノン軍戦車に着弾、レバノン兵数名が負傷した。午前4時にIDFは撤退したが、ヒズボラ7人、レバノン軍兵士1人が死亡、IDFは8人が負傷(2人重傷、6人軽傷)し、ハイファのラムバム病院へ空輸された。

停戦

8月5日フランスのドラサブリエール国連大使は、午後開かれた国連安保理で、レバノン情勢に関する決議案を提示した。

6日カタール衛星テレビアルジャジーラは、ヒズボラがイスラエル北部の都市キリヤット・シュモナロケット弾攻撃を加え、12人のIDF兵士が死亡、6人が負傷したと伝えた。

これ以降、ヒズボラによる執拗なゲリラ攻撃により、IDFの戦死傷者が急激に増加した。国連による停戦案はイスラエル寄りのアメリカと、アラブ寄りのロシア・中国の間で、イスラエル撤兵後にレバノン南部に展開するレバノン国軍とUNIFILが、ヒズボラをどのように武装解除するかで衝突したが、アメリカが採決直前で武力による強制武装解除の案を取り下げ、実質的にヒズボラの兵力は温存されることとなった。停戦案は8月11日に可決、採択された。

8月13日、戦闘は継続していたが、イスラエル政府は国連の停戦決議を受諾することを発表した。翌8月14日午前8時、停戦決議に基づき、IDFに対して停戦命令が下った。ただし、自衛の為の攻撃は許可されていた為、小規模な空爆や戦闘は継続した。

また、停戦案提示から実現まで、IDFは1,800発に及ぶクラスター爆弾をヒズボラ攻撃に使用し、その不発弾が問題となっている。

これ以降、IDFは1か月をかけてレバノン国軍とUNIFILに占領地を明け渡し、自国領内に撤収した。UNIFILはレバノンに影響力のあるフランスが主体となることを、国連やアメリカも望んだが、先制攻撃を禁じられる上に犠牲を強いられると見たフランスは、工兵200名程度の少数派遣にとどまり、イタリアが2,000名以上の兵力を派遣することで合意、9月にレバノンへ上陸し、2007年3月以降はイタリア軍に指揮権が付与されることとなった。

また、トルコなども大規模派兵を表明している。

10月1日、IDFは国境沿いの数ヶ所を除き、レバノン領内から撤退した。この紛争でIDFは累計100人以上の戦死者を出しながら、ヒズボラの拠点建物や地下施設を完全に破壊することは出来ず、イスラエル北部の軍事的安定はおろか、元々の発端であった拉致兵士2名の解放すら実現できなかった。そのため国内でも作戦に対する批判が高まり、政府の調査委員会による調査の結果、エフード・オルメルト首相、アミール・ペレツ国防相、ダン・ハルツ参謀総長(当時)の責任が厳しく指摘され、オルメルト政権はその求心力を失う事となった。

対外情報局や軍の情報網で把握できていた地点についても、散発的にイスラエル領内への攻撃が行われていることから、IDFによる攻撃が十分になされていないことが停戦後に判明した。このため、IAF機は停戦後も、ヒズボラの監視としてレバノン領空の侵犯を繰り返している。


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