リチャード・ポンソンビー=フェイン 人物

リチャード・ポンソンビー=フェイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 04:43 UTC 版)

人物

日本式の徹底

京都市北区上賀茂南大路町のポンソンビー=フェイン旧邸。
邸宅建築時の鬼瓦。ポンソンビー家の紋章があしらわれている。

日本在留時は常に和服で過ごした。イギリス渡航の際は、船がイギリスに入港すると洋服に着替えて下船し、日本に戻るため乗船すると、即座に和服に着替えた[13]

夕食時には刺身茨城県から取り寄せた納豆を欠かさず、酒は菊正宗の樽詰めと決めており、瓶詰めを出されると飲まなかったという。納豆や酒樽は船中にも持ち込んで航海中もたしなんだ他、台湾南洋群島では滞在先に取り寄せたこともあった[13]

京都で二度新築した自邸は、純和風で洋室は一室も設けず、施工者が設置した洋式便器を見つけると、怒って和式に交換させたという[13]

日本人の舶来品信仰を批判し、自らは日本製品の使用に努めた。輸入品、特にアメリカ製を嫌い、日本郵船の貨客船がアメリカ製石鹸を設置した際にはこれに抗議し、その後日本郵船では国産の石鹸を用いるようになったという[13]

「碧い目の高山彦九郎」

1928年(昭和3年)11月の昭和天皇即位大典の折、民間の外国人として唯一人、京都御所建礼門での列立奉拝に加わることを許されていたが[1]、東京還幸の鹵簿(行列)を見送る時、額を地面につけて平伏拝礼したことから「碧い目高山彦九郎」と評された[14]

船旅

日本居住以前に各地の英領総督秘書職を転々としていたころから、ニュージーランドインド・日本・台湾・セーシェルソロモン諸島ニューヘブリディーズ諸島などへの旅行やイギリスへの帰国で、船旅をくり返していた[1]

日本居住後もほぼ毎年冬季には、香港・セイロン・シンガポール・台湾などに渡航している。また2年に1度は数箇月間イギリスに戻っていたほか、タスマニアベトナムタイエジプト・南洋群島へも旅行しており、船旅で日々を過ごすことの多い人生であった[1]。生涯の航海距離は約70万海里、航海日数は約3千日であったという[13]

常客だった日本郵船が当時所有していた船に、神社名から取った名前が多かったことから、同社から『船名考』という著書を出版した。また同社の英文広報誌『THE TRAVEL BULLETIN』に毎号のように寄稿している[15]

集印

1935年(昭和10年)4月頃、邸宅前で自家用車とともに。

神社の朱印の蒐集を熱心に行った。遺品として、1冊に50社分を収められる集印帖が40冊残され、集めた朱印は計2千社分にものぼる。なかには、マーシャル神社(ヤルート島)や照南神社(ポナペ島コロニア)といった、南洋の神社の朱印も含まれている[14]。また、経済的苦境のため印を持たない神社のために、自らその神社の由緒に適った印を発注し、奉納し続けたという[13]

その他

電話ラジオといった文明の利器を嫌って自宅に設置させなかったが、晩年には国産品愛用の意味もこめてダットサン乗用車を購入した[13]飛行機で旅行することはあったが、汽車電車を問わず鉄道を非常に嫌い、京都から東京に行くのにも神戸からの船便を利用し、さらに京都で使っている自家用車を東京に運んで用いたという[15]


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 尾野稔「本尊美利茶道翁略伝」『本尊美翁追憶録』1938
  2. ^ Florence FarquharGeni
  3. ^ 北尾年弘「上賀茂本邸新築に就て」『本尊美翁追憶録』1938
  4. ^ 佐藤芳二郎「本尊美翁年譜」『本尊美翁追憶録』1938
  5. ^ 佐藤芳二郎「臨終前後の記」『本尊美翁追憶録』1938
  6. ^ a b c d 照沼好文「ポンソンビ博士の神道研究-とくに御神魂の理解について」『明治聖徳記念学会紀要』復刊第44号、2007
  7. ^ リチャード・ポンソンビー=フェイン「君と臣」1920、『ポンソンビ博士の真面目』1961所収
  8. ^ リチャード・ポンソンビー=フェイン「デモクラシィの誤謬」1926、『ポンソンビ博士の真面目』1961所収
  9. ^ リチャード・ポンソンビー=フェイン「昭和御大典印象記」1929、『ポンソンビ博士の真面目』1961所収
  10. ^ リチャード・ポンソンビー=フェイン「二重生活の廃止」1931、『ポンソンビ博士の真面目』1961所収
  11. ^ 安島八郎「本尊美翁の日支事変観」『本尊美翁追憶録』1938
  12. ^ リチャード・ポンソンビー=フェイン「日本の教育制度」1932、『ポンソンビ博士の真面目』1961所収
  13. ^ a b c d e f g 佐藤芳二郎「本尊美先生の日常生活」『ポンソンビ博士の真面目』1961
  14. ^ a b c d 新木直人・阪本是丸「碧い眼の神道学者・ポンソンビ博士」『神社新報』2017
  15. ^ a b 大谷登「本尊美翁を憶ふ」『本尊美翁追憶録』1938
  16. ^ 『本尊美翁追憶録』1938
  17. ^ 『ポンソンビ博士の真面目』1961





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