リチャード・ポンソンビー=フェイン
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没後
『本尊美翁追憶録』の刊行
1938年(昭和13年)9月、秘書兼助手だった佐藤芳二郎、宗教学者の加藤玄智、国語学者の新村出らで構成する本尊美翁追憶録編輯刊行会が、『本尊美翁追憶録』を刊行した。同書には生前のリチャードと交流のあった、学界・神社界・教育界関係者や華族・教え子など60名以上が追悼文を寄せている。石川岩吉、入江相政、大久保利武、大谷登、佐伯有義、高山昇、林博太郎、町尻量弘、柳田國男、西田直二郎といった人々が名を連ねている[16]。
「本尊美君碑」
1939年(昭和14年)4月、西賀茂の西方寺境内に顕彰碑として「本尊美君碑」が建立された[17]。
(表面碑文)RICHARD ARTHUR BRABAZON
PONSONBY-FANE
1878-1937
本尊美君碑
(裏面碑文)英國法學博士本尊美利茶道君倫敦人系出名
族以蒲柳質蚤遊海外其在香港任總督秘書兼
大學講師 今上尚在東宮航歐通其地侍駕通
譯以功贈勳四等君已屡次來朝因慕我國情之
美大正八年始住東京遂徙京都君通曉國語校
覈國史足迹殆遍海内於皇室制度皇陵神社神
道之等攷究闡明尤致其力多所論著博覽卓識
學者推之君恭儉寡欲清痩如鶴平生起居飮食
衣服盡由吾國俗視門下猶子終身不娶昭和十
二年十二月十日病歿於上賀茂第享年六十
- (裏面碑文の大意)
- 英国法学博士本尊美利茶道君はロンドンの人で、名家の出である。病弱であったため早くから海外を漫遊し、香港では総督秘書に任ぜられ大学講師を兼ねた。今上陛下がまだ東宮であられた時の訪欧の途上、同地で通訳を務め、その功によって勲四等を贈られた。同君は以前よりしばしば我が国に来ており、我が国の美風を慕っていたことから、大正8年はじめて東京に住み、さらに京都に移った。同君は日本語に通暁して日本史を研究し、その足跡は殆ど日本全国にあまねく及んでいる。皇室制度・皇陵・神社・神道などを考究解明しようと大いに力を尽くした。論著は博覧卓識であり、学者もこれを推している。同君は恭倹にして寡欲であって、すらりと痩せていることは鶴のようであった。日常の起居・飲食・衣服はことごとく我が国の習俗に由った。門下生を我が子同然に思い、終生独身であった。昭和12年12月10日、上賀茂邸で病没した。享年60。
吉田茂の推奨
1953年(昭和28年)に『ポンソンビ博士著作選集』の刊行がはじまると、当時の首相吉田茂は一冊目を百部予約購入し、駐日イギリス大使や総領事などに「日本のことが知りたければ、この先生の著作を読むように」と贈呈している[14]。
回顧展
下鴨神社の第34回式年遷宮に際して、秘書兼助手だった佐藤芳二郎の親族が、リチャードの遺品・遺稿・旧蔵書等多数を奉納したことから、奉納を受けた下鴨神社では2017年(平成29年)7月8日から9月30日まで、鴨社資料館秀穂舎において「碧い眼の神道学者ポンソンビ博士展」と題する回顧展を開催した[14]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 尾野稔「本尊美利茶道翁略伝」『本尊美翁追憶録』1938
- ^ Florence FarquharGeni
- ^ 北尾年弘「上賀茂本邸新築に就て」『本尊美翁追憶録』1938
- ^ 佐藤芳二郎「本尊美翁年譜」『本尊美翁追憶録』1938
- ^ 佐藤芳二郎「臨終前後の記」『本尊美翁追憶録』1938
- ^ a b c d 照沼好文「ポンソンビ博士の神道研究-とくに御神魂の理解について」『明治聖徳記念学会紀要』復刊第44号、2007
- ^ リチャード・ポンソンビー=フェイン「君と臣」1920、『ポンソンビ博士の真面目』1961所収
- ^ リチャード・ポンソンビー=フェイン「デモクラシィの誤謬」1926、『ポンソンビ博士の真面目』1961所収
- ^ リチャード・ポンソンビー=フェイン「昭和御大典印象記」1929、『ポンソンビ博士の真面目』1961所収
- ^ リチャード・ポンソンビー=フェイン「二重生活の廃止」1931、『ポンソンビ博士の真面目』1961所収
- ^ 安島八郎「本尊美翁の日支事変観」『本尊美翁追憶録』1938
- ^ リチャード・ポンソンビー=フェイン「日本の教育制度」1932、『ポンソンビ博士の真面目』1961所収
- ^ a b c d e f g 佐藤芳二郎「本尊美先生の日常生活」『ポンソンビ博士の真面目』1961
- ^ a b c d 新木直人・阪本是丸「碧い眼の神道学者・ポンソンビ博士」『神社新報』2017
- ^ a b 大谷登「本尊美翁を憶ふ」『本尊美翁追憶録』1938
- ^ 『本尊美翁追憶録』1938
- ^ 『ポンソンビ博士の真面目』1961
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