ランベルト・ディーニ ランベルト・ディーニの概要

ランベルト・ディーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/22 14:05 UTC 版)

ランベルト・ディーニ
Lamberto Dini
ランベルト・ディーニ
生年月日 (1931-03-01) 1931年3月1日(92歳)
出生地 トスカーナ州フィレンツェ県
フィレンツェ
出身校 フィレンツェ大学経済学部
所属政党 自由の人民(2008年 - )
自由民主主義者
配偶者 ドナテッラ・ディーニ

内閣 ディーニ内閣
在任期間 1995年1月17日 - 1996年3月18日
大統領 オスカル・ルイージ・スカルファロ

内閣 第1次ロマーノ・プローディ内閣
在任期間 1996年5月18日 -
内閣 マッシモ・ダレマ内閣
内閣 第2次ジュリアーノ・アマート内閣

法務大臣
内閣 ディーニ内閣
在任期間 1995年10月19日 - 1996年2月16日

その他の職歴
国庫大臣
(1994年5月 - 1995年1月)
上院(元老院)議員
(2001年 - 現職)
下院(代議院)議員
(1996年 - 2001年)
自由民主主義者党首
(2007年 - 現職)
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下院議員(1期)、首相(第75代)、外相、法相、国庫相、上院副議長、自由民主主義者党首(初代)、国際通貨基金理事、イタリア銀行副総裁を歴任。

概要

トスカーナ州フィレンツェ県フィレンツェ出身。

フィレンツェ大学経済学部を経て、ミシガン大学大学院修了。

1959年IMF勤務。 1976年からIMF理事に就任。

1979年にはイタリア銀行副総裁に転身し、アジア開発銀行のイタリア代表に就任。

1994年5月、第1次ベルルスコーニ内閣に非議員ながら国庫相に就任。翌1995年1月、第75代(戦後第54代)の首相に任命される。

1996年下院議員に選出。

2001年上院議員に選出。

2007年マルゲリータ(ML)と左翼民主主義者(DS)の合流(民主党結党)方針に反発し離党、自由民主主義者(DL)を結成し、党首に就任した。2008年プローディ内閣信任案に反対票を投じたことで「ルニオーネ」と決別、中道右派連合「自由の人民」(PL)入りを表明した。

2009年日本国政府より旭日大綬章授与[1]

主張・発言

  • 「米国の言うことを聞いている『お友達』は日本だけ」と日米地位協定について事実上皮肉を込めた発言をしている[2]



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