モンテビデオ 歴史

モンテビデオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/22 14:15 UTC 版)

歴史

地名の由来

由来には諸説あるが、いずれの説もスペイン語でを意味する「モンテ」がモンテビデオ湾の西岸にそびえるフォルタレーザ・デル・セロを指すことについては共通している。しかし、ビデオの語源をめぐっては、以下のように複数の説がある[5]

  • Monte Ovidio説 - フォルタレーザ・デル・セロは当初「聖オヴィディオ山(Monte Ovidio)」と命名されたとする説。市の観光案内では、これが採用されている[6]
  • Monte vide eu説 - フェルディナンド・マゼランの艦隊がこの土地を見つけた際、ポルトガル語で「Monte vide eu(我、山を見たり)」と述べたとする説。
  • Monte VI De Este a Oeste説 - スペイン人がこの土地を地図に記す際に「Monte VI De Este a Oeste(東から西に向けて六番目の山)」と記し、それの頭文字が略されたとする説。

初期の歴史

モンビデオの丘からみた市街地(1865年
1888年のモンテビデオ

1516年にフアン・ディアス・デ・ソリスがここを訪れたが、チャルーア族に殺害された。1624年に、現在のモンテビデオの地にグアラニー族を対象とするイエズス会伝道所が建設された。

その後、1680年ポルトガル人が、今のモンテビデオの西にコロニア・デル・サクラメントを建設する。その後、スペイン人はトルデシリャス条約を持ち出してポルトガル人と戦い、1720年にサンホセ要塞が建設された。1726年に、ブエノスアイレス総督のブルーノ・マウリシオ・デ・サバーラがサンホセ要塞を拡大して、都市サン・フェリペ・イ・サンティアゴ・デ・モンテビデオ(San Felipe y Santiago de Montevideo)を建設する。これが現在のモンテビデオ市の基礎となった。

1828年にウルグアイが独立すると、その首都となった。

1832年7月26日から8月19日まで、チャールズ・ダーウィンの乗ったイギリス海軍のビーグル号が投錨した。ダーウィンはここを拠点にして、モンテビデオ一帯の調査旅行を行っている。彼はバイア・ブランカ(アルゼンチン)に近いプンタ・プラタで、巨大な化石貧歯類メガテリウムの、歯の一本ついた顎骨を発見した[7]。ビーグル号は第1回の測量調査を終えて1832年11月14日から27日までの間、2回目の停泊をしている。この間にダーウィンは、チャールズ・ライエルの『地質学原理』第2巻を受け取っている[8]

19世紀から20世紀のはじめまで、モンテビデオはアルゼンチンとブラジルの影響を回避するためにイギリスの強力な影響下で発展し、1869年には内陸に向かう鉄道が開通した。

20世紀以降

独立広場(1900年

1860年に5万7913人だった人口は、多くの移民を迎えて、1884年には10万4472人になった。移民の大半はスペインとイタリアの出身者であったが、中欧からも多くの移民を受け入れた。1930年にはFIFAワールドカップが開催され、初代優勝国の栄冠を勝ち取った。

第二次世界大戦初頭の1939年12月13日プンタ・デル・エステ沖に現れたドイツ海軍ポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペーイギリス海軍が追撃し、ラプラタ沖海戦が起きた。海戦の後、艦長のハンス・ラングスドルフ大佐はモンテビデオ港に退避した。この間にウルグアイの中立を巡るドイツ・イギリス・ウルグアイの外交戦が繰り広げられ、この町は一躍世界的に有名になった。ウルグアイは英寄りの中立を貫き、グラーフ・シュペーに72時間以内の退去を通告、その直後12月17日、モンテビデオ港外で同艦は自沈した。

1950年代には人口が90万人近くに達したが、その頃から経済停滞に苦しみ、さらに軍事政権(1973-85年)下の混乱の影響もあって街は衰退し、その後遺症は現在まで続いている。多くの貧しい地方出身者が都市に溢れ、特に旧市街に集中した。2002年にはブラジル、アルゼンチンから波及した経済危機により貨幣価値が下落、物価が高騰した。

2004年には135万人近い人口を数え、大モンテビデオ都市圏を含めると180万人になる。近年の経済回復と隣国との強力な貿易上の結びつきによって、ウルグアイの農業は発展してきており、将来の繁栄が望まれている。


注釈

出典

  1. ^ "...el Área Metropolitana de Uruguay nuclea a los departamentos de San José, Canelones y Montevideo..." Retrieved 10 November 2014.
  2. ^ Info censal de departamentos/Data 2011 census. Retrieved 10 November 2014.
  3. ^ Datos Departamentales Censo 2011”. INE. 2014年2月27日閲覧。
  4. ^ International Mercer of Human Resources
  5. ^ Nelson Ormazábal. “Día del Patrimonio” (Spanish). montevideanos.com. 2010年11月17日閲覧。 “Pocas villas con deseos de ser ciudad, tuvieron tantos prenombres hasta llegar al definitivo de Montevideo. Pináculo de la Tentación, Monte de la Detención, Nuestra Señora de la Candelaria, Monte de San Pedro, Santo Vidio, Monte Seredo, Monte Vidi, Monte veo, Montem Video, Monte Vide Eu, Monte Ovidio, Monte VI D. E-O... Tales fueron, entre el viaje de Amerigo Vespucci (1501) y la fundación por Bruno Mauricio de Zabala (1726), las diversas denominaciones que la elevación al oeste de la bahía recibió.”
  6. ^ Ormazábal, Nelson. “El origen de la palabra "Montevideo"” (スペイン語). montevideanos.com. 2009年11月17日閲覧。
  7. ^ パトリック・トール著、平山廉監修、南條郁子、藤丘樹実訳 『ダーウィン』 《「知の再発見」双書99》 創元社 2001年 37ページ
  8. ^ パトリック・トール著、平山廉監修、南條郁子、藤丘樹実訳 『ダーウィン』 《「知の再発見」双書99》 創元社 2001年 38ページ
  9. ^ Estadísticas climatológicas : Estacion Meteorologica Prado” (Spanish). Dirección Nacional de Meteorología. 2013年3月26日閲覧。
  10. ^ World Weather Information Service – Montevideo”. World Meteorological Organization. 2013年3月26日閲覧。
  11. ^ http://www.tacuy.com.uy/Servicios/Montevideo/index.htm
  12. ^ Intendencia Municipal de Montevideo. “Acta de hermanamiento entre las ciudades de Montevideo y Aaiun” (スペイン語). 2014年5月2日閲覧。
  13. ^ InfoMellilla.com (2008年4月20日). “Melilla se hermana con Montevideo para unir lazos y promocionar valores” (スペイン語). 2014年5月2日閲覧。
  14. ^ Intendencia Municipal de Montevideo. “Acuerdo de Hermanamiento entre la ciudad de Montevideo y la ciudad de Rosario” (スペイン語). 2014年4月30日閲覧。
  15. ^ Câmara Municipal de Curitiba. "Lei Municipal de Curitiba 7438 de 1990" にウィキソース (ポルトガル語)。 2014年5月2日閲覧。
  16. ^ Intendencia Municipal de Montevideo. “Hermanamiento entre la ciudad de Río de Janeiro y Montevideo” (スペイン語). 2014年5月2日閲覧。
  17. ^ Intendencia Municipal de Montevideo. “Hermanamiento con Ulsan” (スペイン語). 2014年4月30日閲覧。






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