マサ斎藤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 07:18 UTC 版)
トレーニングへのこだわり
プロレスラーとしては背が高くなかったが、その体格のハンデを埋めるためにウエイトトレーニングを熱心に行っていた。その結果、50歳を過ぎても現役のプロレスラーとして活躍し続け、おなかは出ているが分厚い胸板や太い腕をした身体を披露していた。若手レスラーに対して熱心にトレーニングの指導を行っていた。
トレーニングや肉体に対して信仰にも近いこだわりを持っており、病気で入院していた時にトレーニングが出来ないことを嘆いて「見てよ、身体が縮んじゃったよ!」と看護師にぼやいたというエピソードがある。ただし、それを聞かされた看護師からは「こんな大きな身体してて、どこが縮んだっていうの?」と返され、取り合ってもらえなかったそうである。
ある時プロレスライターの門馬忠雄が斎藤に「腕に贅肉が付いて来たよね」と、からかったら徹底的に否定した。それでも門馬が繰り返しからかった所、納得しないままその場を去った。そして2週間後「どうだいモンちゃん(門馬)、きっちり締まったろ!」と、筋肉痛になった腕をさすりながら、門馬に力瘤を見せた。
斎藤自身はトレーニングに対する信奉は強かったようで、現役レスラーを退いてからもトレーニングジムなどで無謀とも思える高重量のバーベルに挑む姿が目撃されている。全盛期はベンチプレスで200kg以上、インクラインベンチプレスで180kgを挙げていた。
エピソード
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2018年7月) |
カルピス愛
プロレスラーとしてのマサ斎藤は一貫して荒々しいキャラクターであったが、カルピスが大好きという愛嬌のある一面や解説者時代に見せた天然ボケともいえるキャラクターも知られている。カルピスについては「あんなに美味しい飲み物はないよね」と自他共に認める大好物である。これが斎藤自身の豪快なイメージと相まってか「原液をそのまま飲んでいる」という噂まで生まれたが、これについて本人は「あれは薄めないと飲めないよ」と否定している。カルピス好きの原点は、食糧難であった戦後まもない頃の甘い物を求めていた幼年期にある[54]。
解説者として
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2024年4月) |
解説者時代の斎藤は、言い間違いや素頓狂なコメントをすることが多かった。当時、正体を公式には明らかにしていなかったマスクマンの試合を実名で解説してしまったことも多かった。例として獣神サンダー・ライガー、ブラック・タイガー、エル・サムライなど。また正体が明らかであるが、あくまで別キャラクターとしてリングに上がっている選手(グレート・ムタ、パワー・ウォリアーなど)も本名で呼んでいた。
蝶野正洋と小原道由の試合で小原が犬の首輪をはめられた場面では「イヌワですイヌワ!」と連呼。また「nWoの狙いは世界制覇」と言おうとして「世界平和」と発言したこともある。このほか「G1(ジーワン)のことをジーアイと言った」「G1の優勝候補選手予想で、レフェリーのタイガー服部の腕っ節の強さを熱く語った」「アナウンサーが『受身の取れないバックドロップ!』と実況すると『いや、ちゃんと(受身を)取ってますよ』と返した」「TEAM 2000(チーム・トゥーサウザンド)を頑なに『ティーにせん』と発音」「辻よしなりがノートン出演CMにひっかけて『スコット・ノートンは和の精神を理解しています』と煽ったところ『それはCMだけでしょ?』と無粋な突っ込みをした」「(アメリカ人の)スタイナー・ブラザーズについて日本人離れしたパワーだとコメントした」などの逸話がある。
アメリカでの活動が長かったこともあり、英語力に長けている。ノートンなどの外国人レスラーに流暢な英語でインタビューすることもあった。
アメリカでの評価
先述の通り、アメリカでは堅実なレスリングのできる日本人ヒールとして、1960年代末から1980年代にかけて、当時の3大メジャーであるNWA、WWF、AWAの各団体で活躍した。とくに、斎藤と同じくレスリングのオリンピック代表選手だったバーン・ガニア主宰のAWAでは、1983年にハルク・ホーガンと抗争するなど絶大な悪党人気を獲得、後にミネソタ州知事となるジェシー・ベンチュラともタッグを組み、彼の名を冠したカクテルが存在するほどである。関係者からの評価も高く、警官暴行事件の際には、裁判でバーン・ガニアやニック・ボックウィンクルらが斎藤の弁護に立った。ブロック・レスナーは斎藤のことを非常に慕っている。レスナーは2012年のWWE復帰以降は地方巡業や海外でのハウスショーはおろか、通常のテレビショーにもほとんど登場せず大一番のみのスポット参戦となっていたが、2015年7月4日に両国国技館で開催されたWWE日本公演にてアメリカ国内も含めて実に11年ぶりとなるハウスショーへの電撃参戦を果たしたことが大きな話題となったが、参戦を決めた理由がブラッド・レイガンズとともに療養中の斎藤のお見舞いに行くためであり、当初は試合とは関係なくプライベートで自腹で来日する予定であった[55]。
フクちゃん
若手時代、漫画のキャラクターに似ていたことから「フクちゃん」と呼ばれていた。出獄後マスコミから「獄門鬼」というニックネームがつけられたが、マサ本人が嫌がったためすぐお蔵入りとなった。
東京プロレス社長
東京プロレス設立の際、豊登はそのドンブリ勘定な性格から周囲より忌避され、また、猪木も帰国していなかった状況だったため、レスリングオリンピック代表の経歴および父親が某電器会社の重役という信用性により、斎藤が初代の代表取締役社長として登記された。
新日本プロレスでの斎藤
明治大学の同窓ということで若手の頃から坂口征二と交流があり、1972年に東京プロレス時代の縁を通じて新日本プロレスから参戦オファーがあったのを断り、日本プロレスに参戦したのは「坂口がエースだから」とプロレス雑誌の坂口との対談で明かしている。その際に馬場・猪木離脱後の日本プロレスの集客の惨状を見て「このままではダメだぞ」と坂口に進言し、西麻布の某焼肉店での猪木・坂口会談を実現させた。また、タイガー服部は明治大学レスリング部の後輩にあたる。
長州力の参謀についた頃から現在に至るまでも、大学レスリング部出身およびオリンピック代表という両人の経歴のため、参謀につく以前から師弟関係が存在していたと見る向きがあるが、1982年末に長州力がマサ斎藤に会いに渡米するまでそれほど接点はなかったそうである。マット上では北米タッグ(長州は坂口のパートナーとして)やプレ日本選手権等でのシングルマッチ対戦経験はあったが、当時は「ほとんど喋ったことがなかったね」と、プロレス雑誌のインタビューで語っている。
獲得タイトル
- NWAサンフランシスコ
-
- NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):2回(w / キンジ・シブヤ)[25]
- ^ a b “Masa Saito passes away”. WWE.com (2018年7月16日). 2018年7月17日閲覧。
- ^ 斎藤昌典日本レスリング協会
- ^ a b c d e f 『THE WRESTLER BEST 1000』P131(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史 Vol.2』P24(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 9784583621876)
- ^ “The AJPW matches fought by Masa Saito in 1985”. Wrestlingdata.com. 2018年7月18日閲覧。
- ^ パテラは「偶然訪れたマクドナルドで、その店を解雇されたことを恨んだ元従業員による投石があった際にその場に居合わせただけ」と主張している。
- ^ “Ken Patera & Masa Saito vs Waukesha Police Department”. The Wrestling Professor. The Armpit (2016年8月6日). 2018年7月16日閲覧。
- ^ 罪状のうちほとんどが無罪だったが、パテラと一緒に現場にいたことや女性警官を投げ飛ばしたため有罪となってしまった。
- ^ 警察官との乱闘で刑務所へ…マサ斎藤<4>YOMIURI ONLINE 2015年2月5日(2015年7月22日閲覧)
- ^ “【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編”. 日刊スポーツ (2022年10月1日). 2022年12月12日閲覧。
- ^ a b “AWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ “マサさんが猪木、前田を語る! マサ斎藤インタビュー「このあいだ、アントニオ猪木にショルダータックルかまされたよ(笑)」”. THE BIG FIGHT (2014年9月18日). 2015年1月26日閲覧。
- ^ いつまでもGo for broke!…マサ斎藤<5>YOMIURI ONLINE 2015年2月6日(2015年7月22日閲覧)
- ^ パーキンソン病と闘うレジェンド・マサ斎藤 12月リング復帰!!東京スポーツ 2016年9月20日(2016年9月20日閲覧)
- ^ 【復刻】パーキンソン病からの復活を目指すマサ斎藤 - 日刊スポーツ 2018年7月16日(2017年1月17日付復刻記事)
- ^ “マサ斎藤さんが死去 アントニオ猪木氏と巌流島で死闘”. 東スポWEB (東京スポーツ新聞社). (2018年7月16日) 2018年7月16日閲覧。
- ^ マサ斎藤さん、倫子夫人が明かした最後の3時間半…止まった心臓を蘇生させようと闘い抜いた - スポーツ報知 2018年7月21日
- ^ 上井文彦、2018、「[2つのメモリアルマッチの裏側]“獄門鬼”の過激なプロレス 『巌流島』と『復帰戦』証言=上井文彦」、『G SPIRITS』(49)、辰巳出版 pp. 033
- ^ マサ斎藤さん通夜に坂口征二氏、天龍源一郎ら参列 - 東スポWeb 2018年7月21日
- ^ マサ斎藤さんに坂口相談役、長州力、前田日明ら別れ - 日刊スポーツ 2018年7月22日
- ^ マサ斎藤さん通夜、戒名は「マサ斎藤」…祭壇はリングを再現 長州力、古舘伊知郎アナら弔問 - スポーツ報知 2018年7月21日
- ^ “甦るマサ斎藤、永遠のGO FOR BROKE<3>通夜の夜に届いたハートの贈り物”. スポーツ報知 (2019年7月16日). 2019年8月8日閲覧。
- ^ 甦るマサ斎藤、永遠のGO FOR BROKE<3>通夜の夜に届いたハートの贈り物 - スポーツ報知 2019年7月16日
- ^ a b 『Gスピリッツ Vol.10』P109(2009年、辰巳出版、ISBN 4777806200)
- ^ a b c “NWA World Tag Team Title [San Francisco]”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ a b “NWA Americas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ 【あの日の馬場さん=1971年12月17日】 ジャイアント馬場記念館
- ^ “The NWAHW matches fought by Masa Saito in 1971”. Wrestlingdata.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ a b “NWA Beat the Champ Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ a b “NWA Canadian Tag Team Title [Vancouver]”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ “The ASW matches fought by Masa Saito in 1974”. Wrestlingdata.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ “The ASW matches fought by Masa Saito in 1975”. Wrestlingdata.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ “The PCAC matches fought by Masa Saito in 1976”. Wrestlingdata.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ a b “NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ a b “Encounters of Wrestlers: Masa Saito”. Wrestlingdata.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ a b “NWA Florida Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ “The CWF matches fought by Masa Saito in 1980”. Wrestlingdata.com. 2024年4月30日閲覧。
- ^ “The CWF matches fought by Masa Saito in 1981”. Wrestlingdata.com. 2024年4月30日閲覧。
- ^ “The CCW matches fought by Masa Saito in 1981”. Wrestlingdata.com. 2024年4月30日閲覧。
- ^ a b “NWA Alabama Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ a b “NWA Southeastern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年1月21日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Masa Saito in 1981”. Wrestlingdata.com. 20224-04-30閲覧。
- ^ a b “WWF/WWF/WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年4月30日閲覧。
- ^ a b “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Masa Saito in 1982”. Wrestlingdata.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ “WWF TV-Taping at Allentown 1982/12/07”. Wrestlingdata.com. 2014年9月10日閲覧。
- ^ “The AWA matches fought by Masa Saito in 1983”. Wrestlingdata.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ a b “The AWA matches fought by Masa Saito in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ “The AWA matches fought by Masa Saito in 1985”. Wrestlingdata.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ “The AWA matches fought by Masa Saito in 1986”. Wrestlingdata.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ “The AWA matches fought by Masa Saito in 1987”. Wrestlingdata.com. 2014年9月1日閲覧。
- ^ “NWA Starrcade 1990 "Collision Course"”. Online World of Wrestling. 2021年2月11日閲覧。
- ^ ミスター高橋『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』宝島社、2018年。ISBN 9784800289216 pp.88-89
- ^ News On Brock Lesnar Working House Show In Japan, WWE Stars Sing HBK's Theme Song wrestlinginc.com 2015年5月29日
- ^ “NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月28日閲覧。
- ^ 坂口&長州vsヒロ・マツダ&マサ斎藤 Youtube
固有名詞の分類
日本のプロレスラー |
房総ボーイレフト ビリーケン・キッド マサ斎藤 真霜拳號 宮本裕向 |
プロレス・トレーナー |
ハーリー・レイス 風香 マサ斎藤 グラン浜田 ザ・グレート・カブキ |
日本のレスリング選手 |
宗村宗二 松永共広 マサ斎藤 池田三男 中邑真輔 |
アマチュアレスリング出身のプロレスラー |
ボビー・ラシュリー ボブ・バックランド マサ斎藤 中邑真輔 スコット・ケーシー |
新日本プロレスに所属したプロレスラー |
石澤常光 保永昇男 マサ斎藤 グラン浜田 船木誠勝 |
オリンピックレスリング日本代表選手 |
宗村宗二 松永共広 マサ斎藤 池田三男 笹本睦 |
日本プロレスに所属していたレスラー |
北沢幹之 木村健悟 マサ斎藤 ザ・グレート・カブキ ミツ・ヒライ |
ジャパンプロレスに所属したプロレスラー |
新倉史祐 保永昇男 マサ斎藤 アニマル浜口 キラー・カーン |
東京プロレスに所属していたレスラー |
豊登道春 北沢幹之 マサ斎藤 アントニオ猪木 大剛鉄之助 |
日本の実業家 |
鬼塚喜八郎 速水優 マサ斎藤 織田収 小林宏治 |
- マサ斎藤のページへのリンク