プロヴディフ 住民

プロヴディフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 23:28 UTC 版)

住民

人口

人口推移
人口±%
18801,884—    
18871,892+0.4%
19001,910+1.0%
19201,926+0.8%
19341,939+0.7%
2405333,442+1624.7%
3303236,033+7.7%
4303347,981+33.2%
6441584,655+76.4%
99883105,643+24.8%

プロヴディフに現住所を持つ者の数は、2010年3月の時点で380,733人であり、ブルガリアで2番目の規模である。ブルガリア国立統計局によると、同時点で実際にプロヴディフに居住している者の数は376,103人と推定されている[4]。プロヴディフの人口がヴァルナに越されたとする言説がいくつかある[40][41]が、いずれも公的な統計によって確認されたものではない

ブルガリア解放の時代には、プロヴディフの人口は24,053人で、当時のブルガリアでは最大であった[42]。ブルガリア統一後もしばらくの間はブルガリアで最大の都市であったが、やがてソフィアの人口に追い抜かれた。1946年の国勢調査では、プロヴディフの人口は117,563人であり、ソフィアは487,000人であった[36]。現在のプロヴディフの都市圏人口は575,298人であり、これもブルガリアで2番目の規模となっている[43]

民族と宗教

旧市街に建つ、アルメニア教会の聖ケヴォルク(ゲオルギ)聖堂
カトリック教会の聖ルイ大聖堂(St Louis Catholic Cathedral

民族構成を見ると、プロヴディフにはブルガリア人トルコ人アルメニア人ユダヤ人ギリシャ人ロマなどの多様な民族が住んでいる。1884年の国勢調査によると、ブルガリア人の人口比率は50.09%であり、以下トルコ人が21.36%、ギリシャ人が16.44%、ユダヤ人が6.48%、アルメニア人が2.93%などとなっている。バルカン戦争第一次世界大戦の後、ギリシャ領の土地(マケドニア、西トラキア)から多くのブルガリア人が強制移住によってブルガリア国内に流入し、プロヴディフのブルガリア人人口は大幅に増加した。現在のプロヴディフにも、「ヴァルダルスキ」(Вардарски / Vardarski、「ヴァルダルの」)や「ベロモルスキ」(Беломорски / Belomorski、「エーゲ海の」)といった地名が残されている。ユダヤ人の多くは、1948年イスラエル建国後に街を去った。現代のプロヴディフでは、ブルガリア人が人口の多数を占めており、次いでロマとトルコ人が多い[44]

住民の大多数はキリスト教徒であり、多くは正教会に属するが、少数のローマ・カトリック教会東方典礼カトリック教会プロテスタント諸派(セブンスデー・アドベンチスト教会バプテスト教会など)の信徒もいる。この他にムスリムユダヤ教徒もいる。プロヴディフには数多くのキリスト教会やモスクシナゴーグがある。










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