プロジェクトFUKUSHIMA! プロジェクトFUKUSHIMA!の概要

プロジェクトFUKUSHIMA!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/26 03:28 UTC 版)

2011年には1万人規模の音楽イベント「フェスティバルFUKUSHIMA!」を開催した。連詩の共同制作と集団朗読、参加者公募のオーケストラ、福島県内外の協力による会場用の大風呂敷など、演者と観客、作者と鑑賞者といった関係を越えて参加できるプロジェクトを進めた。大風呂敷はプロジェクトを象徴するビジュアルイメージになり、2013年から始まった盆踊りは県外のイベントにも参加している[2]

時代背景

東日本大震災、東京電力福島第一原発事故

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震は、日本の観測史上最大のマグニチュード9.0を記録し、津波を含め東日本に広範な被害を及ぼし、死者は2万人以上におよんだ。津波の影響で東京電力福島第一原子力発電所メルトダウンを起こし、この原子力発電所事故によって放射性物質が放出された[3]

東日本大震災の特徴として、以下のような点があげられる[4]

  1. 被害範囲の広さ:甚大な被害範囲により、情報が不足する人々や不安を持つ人々が多数発生した[5]
  2. 原子力発電所事故:放射線物質の影響で通常の震災よりも復興が遅れ、居住できない地域もあり、不安が残り続けた[5]
  3. 通信技術:ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)などの通信技術が浸透した時代に起きた[5]

これらの特徴が合わさることにより、多数の誤情報や流言、デマが拡散される事態も起きた[5]

福島県は、2010年には「ふるさと暮らし希望地域ランキング」の1位だったが、原発事故によって帰還困難区域が出たほか、風評被害にも見舞われた[6]。県内は、太平洋に面していていわき市がある浜通り、福島市や郡山市がある中通り会津若松市がある会津の3つの地域に大きく分かれており、気候、方言、文化が大きく異なる。被災や放射線物質の影響も異なるため、複雑な状況となった[7][8]

エンターテイメント、アートへの影響

3月以降に発売予定だったCDタイトルは200以上が延期となり、一般ユーザーに限らずミュージシャンの中でも音楽を聴く気になれないという声があった[9]。イベントも多数が中止された。福島県では、古民家の旧広瀬座を中心とする数千人規模のイベント「FOR座REST」が中止となり、大友は福島での初ライブが実現しなかった[10]。和合は、詩のイベント「福島ニ交差点アリマス」を3月12日に予定していたが中止となった[11]。当時の県内で放射線量が低かった岩瀬郡岩瀬牧場では、4月17日に花見を兼ねたイベント「岩瀬牧場さくら祭」が開催され、遠藤が参加して野外ライブを行った[12]

のちにプロジェクトFUKUSHIMA!に協力するライブストリーミングスタジオのDOMMUNEは、震災当日は帰宅難民の避難所となった。番組のアーカイブをリクエストすれば視聴できると避難した人々に申し出たが、全員がニュースの視聴だけを希望した[注釈 1][14]。広告が自粛となり、テレビの民放では公共広告機構(ACジャパン)のCMだけが流された[注釈 2][16]

社会的文脈を意識するアートを指して「3.11以降のアート」という表現も使われるようになった。震災や原発の人災をめぐる政治的なメッセージを含む作品も増え、竹内公太のパフォーマンス『指差し作業員』(2011年)や、開発好明の『政治家の家』(2012年)なども発表された[注釈 3][19]。放射線については国外からも懸念され、影響は展覧会にも及んだ。2012年6月に福島県立美術館で開催された「ベン・シャーン展」では、画家ベン・シャーンの作品約500点のうちアメリカ合衆国の美術館7館が所蔵する約70点が展示拒否された[注釈 4][21]。他方、あえて帰還困難区域での作品制作や展覧会を行う川久保ジョイやアーティストグループのChim↑Pomらの試みもあった[注釈 5][23]。こうした震災後の状況下で、プロジェクトFUKUSHIMA!は最も早く始まった福島発の大規模アートプロジェクトだった。

設立

設立の経緯

設立時の代表となった遠藤ミチロウ、大友良英、和合亮一は、いずれも福島県にゆかりがあった。遠藤は二本松市の出身で、大友は10代を渡利ですごし、和合は福島で詩人として活動していた[注釈 6][26]

震災後の3月16日、和合はのちに『詩の礫』と名付けられる一連の作品をTwitterに投稿して注目された[注釈 7][28]。3月22日、大友は和合の詩をTwitterで知り、その作品が福島を知る窓になっていて、どんな報道よりもリアルなものとして響いたと書いている[注釈 8][26]

4月4日、遠藤はフリーフェスを8月15日に福島で開催することを大友に提案した。当初遠藤が考えたテーマは「原発なんかクソ喰らえ」だった[注釈 9][31]。大友はイベントが可能かを確かめるために福島へ行き、4月11日から和合をはじめさまざまな人々と交流し、プロジェクトの設立へと進んでいった。和合と大友の会話から「プロジェクトFUKUSHIMA!」の名前が出て、遠藤も賛成した[注釈 10][33]。仮に状況が深刻化して観客が参加できなくなった場合は、遠藤と大友が2人で演奏すればよいと考えた[34]

4月19日にプロジェクトの結成会議が行われた[35]。プロジェクトについての最も早い言及は、4月28日に東京藝術大学で大友が行った講演にある。「文化の役目について:震災と福島の人災を受けて」と題した講演で、大友はプロジェクトの立ち上げを発表した[注釈 11][37]

設立会見

設立の記者会見は、2011年5月8日に福島駅近くのホテルサンルート福島の「芙蓉の間」で行われ、代表が以下の開催主旨を述べた[38]

「2011年8月15日、福島で、音楽を中心としたフェスティバルを開催します。また、これをきっかけに様々なプロジェクトを長期的に展開してゆきます。タイトルは『FUKUSHIMA!』

『ノーモアフクシマ』でも『立ち上がれフクシマ』でもなく、何の形容詞もつかない『FUKUSHIMA』。現在の、ありのままの福島を見つめることから始めたい。そんな思いで、福島で生まれ育ったゆかりの音楽家や詩人らの有志が集まりました。(中略)

フェスティバルを通して、今の福島を、そしてこれからの福島の姿を、全世界へ向けて発信していきます。『FUKUSHIMA』をポジティブな言葉に変えてゆく決意を持って」[26]

会見では、プロジェクトの内容も発表された。活動は大きく3種類あり、作品を共に作る場、メディアで発信する場、お祭りの場に分けられる[39]。フェスティバルでは音楽の他に詩を読むコーナーがある点や、アマチュアもプロも関係なく参加できるオーケストラの開催が予告された。フェスティバル以外の活動として、福島から情報を発信するストリーミング・スタジオDOMMUNE FUKUSHIMA!の開局、勉強会を行うスクールFUKUSHIMA!の構想も発表された[39]

シンボルマーク

プロジェクトのシンボルマークは、DOMMUNE FUKUSHIMA!開局に協力した宇川直宏がデザインした。マークは漫画の吹き出しをモチーフにしており、以下のような意味が込められている[40]。(1) 多くの人々のメッセージを発信してゆきたい[40]。(2) 現状が一言では表せないという複雑さ[40]、(3) 太陽とタイマー[40]、(4) 日の丸に生えたトゲ。トゲを解決するには、トゲを取り除くのではなく、丸が大きくなってトゲを包摂する方法もある[40]

メンバー

中心メンバーは、設立の代表である遠藤、大友、和合のほか、山岸清之進、ギタリスト・シンガーの長見順、ドラマーの岡地曙裕、パーカッショニストのASA-CHANG、建築家のアサノコウタ、美術家の中﨑透、配信をするDOMMUNE FUKUSHIMA!の森彰一郎らで構成される。加えて、イベントの設営、オーケストラFUKUSHIMA!の演奏、大風呂敷プロジェクト(後述)などをはじめ多数の参加者がいる[41]。遠藤は2019年4月25日に死去し、5月22日と27日にDOMMUNEで計10時間の追悼番組が配信された[42]

科学者の協力

設立会見後の福島の放射線量は、福島市中心部で毎時1.5マイクロシーベルト程の値を示していた。プロジェクトに対する批判が届き、福島に人を集めることを殺人行為とみなす意見もあり、代表をはじめとするスタッフへの重圧となった。フェスティバルの開催が懸念されていた時期、5月15日にNHKのETV特集ネットワークでつくる放射能汚染地図」が放送された。大友は番組に出ていた放射線衛生学者の木村真三に会い、木村がプロジェクトに協力することが決まった[注釈 12][44]

国外の協力

来日したミュージシャンのアート・リンゼイと大友は6月8日にライブを行い、アートとの話し合いでフェスティバルの輪を広げるためのヒントを得た。国外のアーティストと協同することを大友は考え、世界同時多発イベント(後述)としても進んでいった[45]

代表の交替

プロジェクト当初から関わっていた山岸清之進は福島出身で、東京でTVディレクターをしつつ鎌倉のルートカルチャーでイベントを開催していた[注釈 13][46]。2014年には遠藤が闘病に入るなど、設立時の代表の継続が困難となる事情もあり、2015年から山岸が代表となった[注釈 14][2]。山岸は、代表を引き継ぐにあたって以下のように述べている。

福島発の文化が各地に広がっていて、何かが生まれる芽が出来始めているような感覚があったんです。3.11をきっかけに福島で豊かな面白い文化が生まれたら、ネガティブな『FUKUSHIMA』という言葉をポジティブに転換していくこともできる。これをなんとか続けて、この先まで進めていきたいと思って代表を引き継ぐことにしました[2]

注釈

  1. ^ DOMMUNEではDJラリー・ハード英語版とMOODMAN(ムードマン)によるプレイを3月13日にライブ配信した。震災後のエンターテイメント番組としては最も早い部類であり、当時はテレビ番組もバラエティを自粛している時期で、節電協力の呼びかけも出ており、配信は賛否を呼んだ[13]
  2. ^ ACジャパンのCMをはじめとする「日本は強い国」「日本人はやれる」「日本は負けない」「がんばろう」などのメッセージは、被災地では違和感を覚えたり不快に思う反応もあった[15]
  3. ^ 竹内は作業員として福島第一原発に勤務し、東京電力のライブカメラに向かって防護服姿で指を差し、語りかける仕草をした[17]。開発は仮設住宅に似た小屋を南相馬市に建て、「政治家の家」という看板を掲げ、小屋に招待する手紙を国会議員に送った[18]
  4. ^ ベン・シャーンには、第五福竜丸を描いた作品もある。和合亮一はベン・シャーン展での展示拒否にショックを受け、これを題材とした詩を書いた[20]
  5. ^ 川久保ジョイは、福島第一原発から800メートル離れた大熊町の地面にフィルムを埋めて現像した『千の太陽の光が一時に天空に輝きを放ったならば』(2014年)を発表した[22]。アーティストグループのChim↑Pomの発案で2015年から開催中の国際展『ドント・フォロー・ザ・ウィンド』(DFW)は、帰還困難区域を会場としている。住民の許可を得たChim↑Pomが会場を設営したが、区域の封鎖が解除されるまで一般の鑑賞はできない[1]
  6. ^ 和合は震災前から、小中学生に詩を教える「詩の寺小屋」を福島県立図書館で開催していた[24]。74本の木々に名前をつけて74の詩を書く「74の樹木」というプロジェクトは書籍化された[25]
  7. ^ 和合は『詩の礫』を書いていた当時、高校時代から聴いていたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』、『BGM』、『テクノデリック』、『テクノドン』をかけていたと語っている[27]
  8. ^ 『詩の礫』は、2017年にフランスのNUNC誌が主催するニュンク・レビュー・ポエトリー賞で外国語部門を受賞した[29]
  9. ^ 遠藤は、8月15日は終戦日であるとともに日本の民主主義の始まりでもあり、アメリカとの関係、高度成長期、原子力発電所の建設にもつながる象徴的な日だと考えていた。また、お盆と慰霊のイメージもあった[30]
  10. ^ 大友がイベント開催への強い賛成意見を最初に聞いたのは、和合と飲んでいた居酒屋の店主からだったという[32]
  11. ^ この講演の内容は、大友の著書『クロニクルFUKUSHIMA』に収録されている[36]
  12. ^ 大友は木村との出会いについて「いろいろ迷いながら進めてきたんですけど、(中略)相談していく中でだんだん迷いが確信に変わり、『やっぱりやろう』ってなりました」とも語っている[43]
  13. ^ 山岸がディレクターを務めた番組にドレミノテレビなどがある。
  14. ^ 山岸は、プロジェクト参加後は遠藤ミチロウの『FUKUSHIMA』、漫画家のしりあがり寿の『あの日からのマンガ』、写真家の広川泰士の『Still Crazy 原発 53基の原子炉』に助けられたと語っている[2]
  15. ^ 8月14日時点の会場の線量は、地表1メートルで最大で毎時0.58マイクロシーベルト、地表面で毎時0.69マイクロシーベルトであり、1日で浴びる線量としては影響はないと木村は語った。当日のインタビュー時で会場にいた際は、毎時0.2マイクロシーベルトだった[47]
  16. ^ 出演は福島群読団2011、遠藤賢司、和合亮一『詩の礫』(朗読は和合、音楽は大友、坂本龍一)、木村真三の報告会、七尾旅人原田郁子 スペシャルバンド[49]
  17. ^ 出演は二階堂和美、ムーン♀ママ(メンバーはピカ☆、坂本弘道英語版)、天鼓向井秀徳[49]
  18. ^ 出演はThe Camels、ほいどの森、SKIP ON THE BASS、静寂(メンバーは灰野敬二ナスノミツル一楽儀光)、De+LAX[49]
  19. ^ 出演はプロジェクトMadamguitar! with 会津マスクワイア、グループ魂頭脳警察、遠藤ミチロウ「ザ・スターリン246」、渋さ知らズ[49]
  20. ^ この他、7月に急逝したレイ・ハラカミのために『テクノポリス』が演奏された。演奏者は坂本龍一、大友良英、勝井祐二、U-zhaan[50]
  21. ^ 大友は、「その場にいる人たちが、自分たちの今現在もっている力で音楽を作り出していくような方法」と呼んでいる。アイデアは、ブッチ・モリス英語版による『コンダクション』をもとにしている[51]
  22. ^ 2012年はケージ生誕100年であり、サントリーホールで記念イベントが行われていた。大友の作品はケージの『ミュージサーカス』へのオマージュでもある[53]
  23. ^ 中﨑はどう断るかを考えていたが、新幹線を降りる頃には賛成していたという[55]
  24. ^ アサノは、震災前には「文化的な取り組みは安定した生活の上に付加される余剰なものではないか」と考えていたが、震災後には「不安定な生活や厳しい状況においてこそ、文化的な取り組みは必要とされる」と考えるようになった[57]
  25. ^ 福島での大規模な参加型アートとして、加藤翼の『The Lighthouses - 11.3 PROJECT』(2011年)もある。これはいわき市の瓦礫から塩屋埼灯台を模した模型を作り、500人の参加者で起き上がらせた[60]
  26. ^ 和合はそれまでにも「六本木詩人会」など詩に関する活動やイベントでオーガナイザーを務めた経験があった[25]
  27. ^ 木村は放射線医学総合研究所に勤めていた時代に東海村JCO臨界事故(1999年)が起きたが、現場に入ることを官庁から止められた経験がある。福島第一原子力発電所事故ののち、辞表を提出して福島へ来ていた[63]
  28. ^ せんだいメディアテークは、被災者にとっての震災をテーマとした展覧会「記憶と想起」や、震災と復興をめぐるアーカイブプロジェクト「3がつ11にちをわすれないためにセンター」などを行っている[67]
  29. ^ 「ええじゃないか」は、幕末の1867年から1868年頃にかけて武蔵や安芸で流行した運動とされる。一揆や打ちこわしのような目標はなく、年齢や性別を問わず規制秩序を無視して踊り、仮装をしたり、女性が男性、男性が女性の衣服を着ることもはやった。類似の現象として、近畿地方のおかげ踊り、砂持、豊年踊り、東海地方の御鍬祭などがある[74][75]
  30. ^ 東日本大震災以降、盆踊りが各地で活発化する動きがあった。東京都でも、墨田区のすみだ錦糸町河内音頭大盆踊りや、岸野雄一が運営に参加してDJが盆踊りを流す中野区の大和町八幡神社大盆踊り会、豊島区のにゅ〜盆踊り、青梅市の成木地区大盆踊りなどがある[77]
  31. ^ 参加アーティストは岩根愛、ちばふみ枝、中崎透、中村葵、藤井光。キュレイターは中崎透。会場構成はアサノコウタ。
  32. ^ 参加アーティストは大友良英スペシャルビッグバンド、和合亮一 with spoken words project、在庭坂デュオ、福島わらじまつり、オーケストラFUKUSHIMA ! 、DEFROCK、GREENBACK、SANZASHI/MANAMI、thing of gypsy lion、平兄弟、村民こだま、ダイスケワナゴー、Merry Shone、Liho、えりんぎ、THE NEATBEATSなど。
  33. ^ 参加アーティストは赤間政昭、木下真理子、椎木静寧、地引雄一、アサノコウタ、鉾井喬、和合亮一、spoken words projectほか。
  34. ^ 国外の会場は、ソウルのYOGIGA、台北のcafe philo、上海のBM SPACE、バンコクのCosmic Cafeや居酒屋 田舎っぺ、ブエノスアイレスのCOBRA、ロンドンのCafe OTO、アムステルダムのSTEIMなど。最大のものはジョン・ゾーンがニューヨークのTHE STONEで行った2日間のイベントだった[83]
  35. ^ Twitterでは、早川由紀夫による「福島はいま戦場だ。芸術家ふぜいがちゃらちゃら出かけていくようなところじゃない」などのツイートがあった[85]
  36. ^ 遠藤、大友、和合が中通りにゆかりが深かったため、そのような批判もあった。
  37. ^ 鶴田の朗読は、ルートカルチャーが鎌倉で主催したイベント「FOR座REST trip」で行われた[90]。これは中止になった福島のFOR座RESTを鎌倉に招待する形で開催された[91]
  38. ^ 参加アーティストは、あまちゃんスペシャルビッグバンド、珍しいキノコ舞踊団、橋本知久、沼田眞由み、菅沼朋香など[94]
  39. ^ 当日に演奏した「相馬盆唄」は、山中カメラの編曲によりクラフトワークの『Radio Activity』のメロディを引用した。ゲストは阿部芙蓉美、二階堂和美など[96]
  40. ^ 参加アーティストは、珍しいキノコ舞踊団、ブラウンノーズ、大谷能生、DJフクタケ、伊東篤宏、長見順、遠藤知絵、Sachiko M、大友良英、会津マスクワイア、池袋盆BANDなど[97]
  41. ^ 参加アーティストは、サンティアゴ・バスケス、高木完×DJみそしるとMCごはん芳垣安洋とOrquesta Nudge!Nudge!、勝井祐二、高良久美子。
  42. ^ 藤井は、被災地の風景を定点カメラで撮影した『沿岸部風景記録』シリーズ(2012年-)や、南相馬市の映画館「朝日座」を題材とした『ASAHIZA 人間は、どこへ行く』(2014年)などの作品もある[67]

出典

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