フリッツラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/17 20:08 UTC 版)
紋章 | 地図 (郡の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | ヘッセン州 |
行政管区: | カッセル行政管区 |
郡: | シュヴァルム=エーダー郡 |
緯度経度: | 北緯51度07分 東経09度16分 |
標高: | 海抜 220 m |
面積: | 88.79 km² |
人口: | |
人口密度: | 162 人/km² |
郵便番号: | 34560 |
市外局番: | 05622 |
ナンバープレート: | HR |
自治体コード: | 06 6 34 005 |
行政庁舎の住所: | Zwischen den Krämen 7 34560 Fritzlar |
ウェブサイト: | www.fritzlar.de |
首長: | ハルトムート・シュポガート (Hartmut Spogat) |
郡内の位置 | |
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フリッツラー (Fritzlar) は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州北部のシュヴァルム=エーダー郡に属す小都市で、同郡の経済的中心地である。
この街は、ドイツ中部および北部のキリスト教化(723年の聖ボニファティウスによるドナーアイヒェの伐採)ならびに中世の神聖ローマ帝国(919年の帝国会議でハインリヒ1世が東フランク王に選出された)の起点となった聖堂と皇帝の街である。
フリッツラーの名前は元々は「平和の街」を意味する Friedeslar に由来する。
地理
位置
フリッツラーは、カッセルの南約 25 km(直線距離)の北ヘッセン山地に位置し、「フリッツラー・ベルデ」の南端およびエーダー川北岸の「フリッツラーラー・エーダーフルーア」に面している。
この街の付近の環境は肥沃な土地と、数多くのほとんどが森に覆われた玄武岩の山で特徴付けられる。これらの山はその多くが山頂に城砦や遺跡を戴いている。グーデンスベルク、ホムベルク、フェルスベルク、ハイリゲンブルク城、アルテンブルク、イェンスベルク、ナウムブルクなどである。
隣接する市町村
フリッツラーは、北はナウムブルク、バート・エムスタール(ともにカッセル郡)とニーデンシュタイン、東はグーデンスベルクとフェルスベルク、南はヴァーベルンとボルケン、南西はバート・ツヴェステン(いずれもシュヴァルム=エーダー郡)、西はバート・ヴィルドゥンゲンとエーダータール(ともにヴァルデック=フランケンベルク郡)と境を接する。
市の構成
フリッツラーは同名の中核市区の他、以下の10市区からなる。
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これらの市区は、1970年から1974年のヘッセン州の地域再編に伴い合併した旧市町村である。ウンゲダンケンとロートヘルムスハウゼンは歴史的にもフリッツラーと密接に結びついていたが、14世紀にマインツ大司教領の飛び地となっていた。チュッシェンはフリッツラーに合併するまではヴァルデック郡に属す独自の市であって、歴史的にはヴァルデック侯領に属していた。他の町村はヘッセン方伯領であった。
人口推移
この街の中世の人口は 2,000人から 3,000人の間を推移した。精確な数値は1740年以降について知ることができる[2]。
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市の景観
中世の中核市区は、全長 2.5 km、高さ 7.5 m から 10 m、厚さ平均 3 m の市壁で囲まれていたが、18世紀以降その 2/3 が取り壊された。戦略上重要な地点には塔が設けられ、少なくとも5箇所がフルデ(監視、防衛活動のための足場)で強化されていた。1274年に初めて記録されている「グラウアー塔(灰色の塔)」は 37 m の高さがあり、ドイツに現存する最も高い市の見張り塔である。市の防衛施設は、経済的理由や近代的な砲撃に対しては役に立たない存在となったことから、七年戦争以降すでに放置されていた。グラウアー塔付近のわずかな部分だけは、城壁内通路を有する城壁頂部が1980年代に修復された。19世紀前半に、交通の障害としてほとんどの市門が取り壊された: 1823年にホスピタル門、1829年にヴェルケル門、1834年にフレッケンボルン門(ツィーゲンベルクの麓)、1838年のハダマー門の楼門といった具合である。23基あった見張り塔のうち、現存するのは10基である: フラウエン塔、グラウアー塔、グレーベン塔、ローゼン塔、ヨルダン塔、レーギル塔、アム・バート塔、ブライヒェン塔、カンツェル塔、ヴィンター塔(最後の4基はいわゆる新市街を囲む市壁部分である)。塔の基部だけが遺されているのは、アルター塔、カラース、ペータース塔、ナーデレール塔、ツックマンテル、シュタインゴッセン塔とその付属建造物、2基の無名の塔である。市壁前の堀は現在、旧市街西側のわずかな痕跡だけを遺して、それ以外はほとんど見られなくなった。
この街の守護聖人である聖マルティンの1441年製石造レリーフを持つ市庁舎は、記録に遺るドイツで最も古い政庁(1109年)である。旧フランシスコ会修道院のゴシック教会は現在、他の修道院の建物が近代的な病院「聖霊病院」に改築されたにもかかわらず、プロテスタントの教会となっている。マルクト周辺の多くの建物は14世紀から17世紀に建造され、入念に修復されている。マルクト広場は現在野外レストランやカフェの絵に描いたような舞台装置となっている。
街の景観からは、いわゆる「ドーム(大聖堂)」と呼ばれるロマネスク=ゴシック様式の教区教会、聖ペーター教会が抜きんでている。この教会は、1085年頃から1118年に聖ヴィクベルトによって建設された小さなバシリカの跡に建てられており、1180年から1200年までの間に大きく改築された。時代と共に行われた小さな増改築を除けば、この教会は当時の姿を現在まで遺している。この大聖堂は、2004年から教皇庁のバシリカ(バシリカ・マイナーの地位)にある。
市の外には、現在も7つの旧監視所が遺っている。14世紀後半あるいは1425年に監視所と環状壁で護られた避難所が建設され、一部が互いに接続されていた。オーバーメルリヒャー(ウンレーダー)監視所、ガルベヒャー(ガルベルガー)監視所、エッケリヒス監視所、ヘレン監視所、カッセラー監視所(1640年に皇帝軍の将軍ピッコロミーニはこの近くに陣を敷いた)である。アウエ監視所は1937年に軍用飛行場を建設するために取り壊された。また、ホルツハイマー監視所は18世紀にはすでに倒壊した。
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- ^ ヘッセン州の自治体別人口
- ^ Ide, 1972, pp. 121–122
- ^ F. Schwind, Fritzlar zur Zeit des Bonifatius. In: Fritzlar im Mittelalter, pp. 69-88, この件については p. 72, pp. 77-79 に記述されている
- ^ M. Gockel, Fritzlar und das Reich. In: Fritzlar im Mittelalter, pp. 89-120.
- ^ H. K. Schulze, Das Chorherrenstift St. Peter zu Fritzlar im Mittelalter. In: Fritzlar im Mittelalter, pp. 144-167; St. Peter Fritzlar. Bilder aus seiner 1250jährigen Geschichte, Parzeller, Fulda, 1974.
- ^ Ide, 1972, p. 107
- ^ Fritzlar, Porträt einer historischen Stadt, Magistrat der Stadt Fritzlar, 1964, p. 3.
- ^ Demandt, 1974, pp. 26–27
- ^ Liebenswertes Fritzlar, 1999, p. 13,
- ^ Nach Missbrauchsskandal: Orden zieht sich zurück(「職権濫用スキャンダルの果て: 教団撤退」)、 ニーダーゼクジシェ・アルゲマイネ 2010年6月30日付け
- ^ ゲーラ修道院のプレスリリース
- ^ http://www.regionalmuseum-fritzlar.de/
- ^ Jürgen Preuß, 70 Jahre Flugplatz Fritzlar, 1938–2008.
- ^ Demandt, 1974, p. 29
- ^ Spogat wird Fritzlars neuer Bürgermeister Hessische/Niedersächsische Allgemeine 2012年1月29日付け(2012年6月10日 閲覧)
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