フリッツラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/17 20:08 UTC 版)
行政
議会
フリッツラーの市議会は、37議席からなる。
首長
2012年1月29日の市長選挙は、ハルトムート・シュポガート (CDU)、ゲルリンデ・ドラウデ (SPD)、ヨアヒム・フランク(無所属)で争われ、シュポガートが 53.9 % の票を獲得して勝利した[15]。彼は2012年5月1日から市長に就任している。
紋章
市の紋章は、銀地で、向かって左上と右下に配された赤い 2つの輪が十字でつながった意匠が描かれている。2つの輪はマインツの紋章に由来しており、この街が何世紀もの間マインツ大司教領に属していたことを示している。
姉妹都市
バーナム=オン=シー・アンド・ハイブリッジ(イギリス、サマセット)
カジーナ(イタリア、エミリア=ロマーニャ州)
経済と社会資本
経済
この街は、とりわけ行政運営とサービス業の中心となる街であり、公共および教会の運営機関、区裁判所、学校、病院などがある。さらにショッピングセンター、商店、レストラン、映画館、スポーツ施設、修理業者、クリニック、その他多くのサービス業者がある。フリッツラーは絵に描いたような中心街とショッピングセンター「ドームシュタット・センター」のおかげでこの地域で最も人気の商業都市となっている。
この街最大の雇用主は連邦軍である。これにヘングステンベルク社の保存食品工場が続く。この工場は主にザウアークラウト、ロートクラウト、キュウリ、酢や、野菜の酢漬け料理を製造している。フリッツラー周辺地域はドイツにおけるキャベツの主生産地であり、フリッツラーの業者が世界最大のザウアークラウト製造業者である。
交通
この街の重要な交通機関は以下の通りである。
- 1884年に開業した鉄道 ヴァーベルン - ブリロン=ヴァルト線。かつてのバート・ヴィルドゥンゲンからコールバッハまでの路線は完全に廃止されている。残ったバート・ヴィルドゥンゲンからヴァーベルンまでの路線は2008年以降クールヘッセン鉄道の運営下にある。ヴァーベルンでは、カッセルやフランクフルト・アム・マインに通じるマイン=ヴェーザー鉄道に接続する。
- アウトバーン A49号線(カッセル - マールブルク)
- 連邦道 B3, 253, 450号線
- 急行バス カッセル - フリッツラー - バート・ヴィルドゥンゲン
- フリッツラー・アレーからベルリンあるいはフランクフルト・アム・マイン行きのBEXの高速バス
教育
- ギムナジウム: ケーニヒ・ハインリヒ・シューレ
- ギムナジウム高学年を含む共同型総合学校: ウスズリーネンシューレ(カトリック系。かつてはウルスラ修道会が運営していた。現在の経営者はフルダ司教区)
- 本課程・実科学校: アンネ・フランク・シューレ
- 職業専門上級学校: ライヒスプレジデント・フリードリヒ・エーバート・シューレ
- 自由教会「Bund der Gemeinde Gottes」のドイツ養成教育/神学セミナー
- 基礎課程学校 - 3校
- 実践教育学校: シューレ・アム・ドーム
- 看護学校
レジャー・スポーツ施設
- アルテン・ヴィルドゥンガー通りのスポーツ・レジャーパーク
- エーダーアウエの屋外プール
- エーダーアウエの馬術広場
- エーダーアウエの射撃場(小口径の銃、ピストル)
- エーダーアウエとローテン・ラインのテニス場
- 学校センター内とウルズリーネンシューレ前の体育館
- ローテンラインのサッカースタジアム
- 市の周辺全域の標識が整備された遊歩道
- エーダーアウエの自然学習路
文化と見所
演劇
- SCALA ヴァリエテ - 歴史的な記念建造物内にある
博物館
- 教区教会聖ペーター教会(「聖堂」1085年から1090年頃に建造)
- ゴシック様式の市教会(旧ミノリテン修道院教会、1244年建造)
- 市壁と見張り塔(12 - 14世紀)
- グラウアー塔、博物館がある(13世紀)
- 市庁舎(1109年、ドイツで最も古い役場)
- ローラントの泉や旧貨幣鋳造所があるマルクト広場
- ホッホツァイトハウス(1580/1590年頃)北ヘッセンにおける大規模な木組み建築で、1956年以降は前史時代、古代、民俗、市史の博物館となっている。
- クリー(14 - 15世紀)
- 木組み建造物群(15 - 18世紀)
- 旧フランシスコ会(ミノリテン)修道院(13世紀)、現在は病院である。
- 旧ウルスラ修道会(1719年)、現在はギムナジウムである。
- カタリナ教会(1300年頃)旧アウグスチヌ女子修道院およびウルスラ会修道院の修道院教会
- フラウミュンスター教会
- ドイツ騎士団の館
- ハルデハイザー・ホーフ
- ヴァルテン(旧市街外の見張り塔)
- ヴェルケルの村の教会、シュトックハウゼンのステンドグラス『世界の判事たるキリスト』がある。
周辺の観光地
- ビューラベルク(7-8世紀の城砦と修道院、出土品、ブリギーダ教会、十字架の径)
- ガイスマー近郊の石器時代の定住地跡
- チュッシェン近郊の石室墓(紀元前 2000年頃)
- フリードリヒシュタイン城があるバート・ヴィルドゥンゲン
- フェルスブルク城があるフェルスベルク
- ハイリゲンベルク(ゲンズンゲン近郊)
- オーベルンブルク城があるグーデンスベルク
- ボルケン (ヘッセン)。ヘッセン褐炭採掘博物館がある。
- バート・ツヴェステン
- ホムベルク (エフツェ)
- ヴァルデック城とエーダー湖
- チュッシェンのガルフェンスブルク城
- フリッツラーはハーナウからブレーメンに至るドイツ・メルヘン街道沿いにある。
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年中行事
- カーニバル、バラの月曜日のパレードがある。
- 馬市(家畜市と民衆祭)7月の第2週末
- 聖堂前での文化の週、8月
- ホッケー大会、10月末
文学
アドルフ・クニッゲは 1795年に『フリッツラーへの旅 1794年夏』を書いている。
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- ^ ヘッセン州の自治体別人口
- ^ Ide, 1972, pp. 121–122
- ^ F. Schwind, Fritzlar zur Zeit des Bonifatius. In: Fritzlar im Mittelalter, pp. 69-88, この件については p. 72, pp. 77-79 に記述されている
- ^ M. Gockel, Fritzlar und das Reich. In: Fritzlar im Mittelalter, pp. 89-120.
- ^ H. K. Schulze, Das Chorherrenstift St. Peter zu Fritzlar im Mittelalter. In: Fritzlar im Mittelalter, pp. 144-167; St. Peter Fritzlar. Bilder aus seiner 1250jährigen Geschichte, Parzeller, Fulda, 1974.
- ^ Ide, 1972, p. 107
- ^ Fritzlar, Porträt einer historischen Stadt, Magistrat der Stadt Fritzlar, 1964, p. 3.
- ^ Demandt, 1974, pp. 26–27
- ^ Liebenswertes Fritzlar, 1999, p. 13,
- ^ Nach Missbrauchsskandal: Orden zieht sich zurück(「職権濫用スキャンダルの果て: 教団撤退」)、 ニーダーゼクジシェ・アルゲマイネ 2010年6月30日付け
- ^ ゲーラ修道院のプレスリリース
- ^ http://www.regionalmuseum-fritzlar.de/
- ^ Jürgen Preuß, 70 Jahre Flugplatz Fritzlar, 1938–2008.
- ^ Demandt, 1974, p. 29
- ^ Spogat wird Fritzlars neuer Bürgermeister Hessische/Niedersächsische Allgemeine 2012年1月29日付け(2012年6月10日 閲覧)
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