フェンダー (楽器メーカー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 17:36 UTC 版)
フェンダー・ジャパン
1982年から2015年3月まで存在した、日本製造のフェンダー社ライセンス商品に冠されたブランド。
フェンダー・ジャパン株式会社(1982年-1997年)
1970年代以降、日本の楽器市場でフェンダーギターのコピー商品が出回り始めた。フェンダー社はその主な製造先であった東海楽器製造に対して訴訟を起こし、製品の販売停止に追い込むなどの対抗手段が取られたが、価格の面でコピー商品を完全に駆逐することができなかった。そのため、最終手段として自身も日本に製造拠点をおいて低価格なギターを販売することにし、1982年に当時の国内代理店であり筆頭株主でもあった神田商会の仲介の元、アイバニーズやグレコなどの下請け製造をしていた富士弦楽器製造(現フジゲン)とフェンダーの共同子会社のフェンダー・ジャパン株式会社を設立した。この時、当時の筆頭株主であった山野楽器と神田商会も共に共同出資を行い、ホテルグランドパレスにて設立発表も行われた。
設立後は富士弦楽器製造が製造担当となり、国内向け廉価版シリーズを「スクワイア(組み立てはダイナ楽器)」、ワンランク上の製品を「フェンダー・ジャパン」のブランドの元で販売開始[注釈 1]。設立当初のフェンダー社の計画は、日本国内のコピー品の駆逐とスクワイアブランドの廉価品をアメリカ国内を含む海外で販売を行うことを目的としたものだった[注釈 2]。
しかし、1985年にCBSがフェンダー社を売却し、当時社長であったビル・シュルツが経営権を買収したが工場は含まれなかった為、製造拠点を失っている。その為、新工場が設立されるまでの間、日本のフジゲンが製造した製品がフェンダー製品として世界中で販売された。海外向けのスクワイア(1983年 - 1987年)および、Fender USA Vintage re-issue series(1987年まで)の製造は、フジゲンによるものである。バブル崩壊後には、フェンダー・メキシコなどの設備投資で大きな負債を抱えていたフジゲンが、1997年にフェンダーメキシコ社と共にフェンダー・ジャパン社を売却。完全子会社化したフェンダーはフェンダー・メキシコ社のみを残し、フェンダー・ジャパンはスクワイアへと統合され幕を閉じた。
神田商会ブランド(1997年-2015年3月)
フェンダー・ジャパンが解散後、代理店であり株主でもあった神田商会が新たなビジネスとして1997年中にフェンダーから商標のコピーライセンスの使用許諾を得て、『フェンダー・ジャパン』を自社のプライベートブランドとして再興させた。開業当初は東海楽器製造や寺田楽器、アトランシアなどの外注で木工などの製造を行い、当時自社ブランドなどの楽器組み立て工場として持っていた子会社のダイナ楽器で組み込みをし販売をするというスタイルであった[注釈 3]。その後、2007年にダイナ楽器が設備投資を行い木材加工も可能にし、自社生産のものを『Made in Japan』と刻印するようになった。2008年には完全に自社グループ内で製造するようになった[3]。両者を見分けるポイントはシリアルナンバーであり、フェンダー子会社時代のフジゲン製造のものは「MADE IN JAPAN」、神田商会ブランド以降は木材加工などの製造が外注で組み込みがダイナ楽器のものは「CRAFTED IN JAPAN」、完全にダイナ楽器が製造しているものは「MADE IN JAPAN」表示となっている[4]。アメリカの本家フェンダーには存在しないオリジナルモデルや生産が終了したモデル、マーカス・ミラー、リッチー・コッツェン、イングヴェイ・マルムスティーンなどのアーティストモデル、ムスタング、スティールギター等のマニアックな復刻モデルの発売など、日本独自やニッチな市場にも向けた商品展開が特徴のひとつである。
2015年3月20日、同年4月にフェンダーが日本支社のフェンダーミュージック株式会社を立ち上げたのに伴い、神田商会とのライセンス契約を3月31日をもって終了し、同時に「Fender Japan」ブランドの終了が発表された。
フェンダーミュージック株式会社(2015年4月-)
以前からフェンダーの下請け会社でもあったダイナ楽器によるフェンダージャパンの生産ラインは、フェンダーのジャパン・エクスクルーシブ・シリーズとして組み込まれ、4月から販売が開始された。しかしこれは過去にギブソンの製品の輸入代理店が山野楽器からギブソンジャパンに移行された時期と同様に、地方部の販売店のように大量の仕入れが困難な店舗や、他社のコピーモデルを販売している店舗には商品を卸さないという事例が多発しており、問題となっている[要出典]。
同年7月22日、恵比寿ガーデンホールにて『Fender Launch Party』[5]が開催され、フェンダーの楽器を愛用するアーティストが集結し、今後は輸入代理店を介さずにアメリカから直接日本に届けることが可能になったことを披露した[6]。
注釈
- ^ レオ・フェンダーがCBS社への売却後、米国製フェンダーは売上が芳しくなくなり、コストダウンが求められ旧型機械の使用を継続するなどの様々な工程の圧縮が行われ、楽器品質が低下していたため、一部の日本製のコピーモデルはオリジナルを凌駕する品質とみなされていた。そこで当時の富士弦楽器製造の技術指導により品質を回復していったという事情もある。
- ^ 当時のドル高と上昇した労働賃金、老朽化した生産設備では価格面での対抗は敵わず、将来のユーザーを呼び込むためのスチューデントモデル(入門モデル)の充実を図る必要があり、当時の日本の技術、労働賃金では十分に可能だった。
- ^ 1985頃からフジゲン以外のメーカーが製造に参加しており、1990年に入るとフジゲンの製造本数は激減。フェンダー・ジャパン株式会社の末期にはフジゲンはほとんど受注しておらず、製造体制の移行には大した混乱は生じなかった。
出典
- ^ January 2020, Rob Laing 28. “Fender has a new majority owner” (英語). MusicRadar. 2020年6月13日閲覧。
- ^ “フェンダー、世界初の旗艦店「FENDER FLAGSHIP TOKYO」をオープン。フェンダーづくしの店内をレポート”. cinra.net. 2023年7月17日閲覧。
- ^ イケベ楽器店web site 「フェンダー・ジャパン、ファクトリー潜入レポート!」
- ^ フェンダー社のシリアルナンバー表 Archived 2009年2月18日, at the Wayback Machine.
- ^ ローリングストーン日本版(@rollingstonejp)7月22日のツイート 参加者・出演者の中にもFender Japanのパーティーとする誤記が見られる
- ^ “フェンダーギター愛用ミュージシャン集結! 司会のサバンナも1曲披露!?”. exciteニュース (2015年7月23日). 2015年9月8日閲覧。
- ^ Fenderイヤホン全5機種一斉レビュー!各モデルの音の違いを探る(2016年7月11日付 音元出版)
- ^ ASCII.jp:日本初上陸のAurisonics、売りのROCKETSは壊れな~い(2014年10月24日付 アスキー・メディアワークス)
- ^ 遂に発売!Fenderイヤホンの詳細をデール・ロット氏に直撃インタビュー(2016年6月16日付 音元出版)
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